2008年5月16日 (金)

苦戦

このところ、忙し過ぎて、論文を読む時間もとりにくい。
新しい環境にやっと慣れたかと思うと、直後に色んなことが起きて、てんやわんやの状態。というわけで、このブログも更新ペースは大幅にダウン。

たるんでいたところもあるので、気を引き締めなきゃいけない。

今の生活で、実験なんてできるのだろうか?とちょっと不安に陥る。
やるべきことは沢山ある、ありすぎる。
まあ、やるしかないんだし、もう少しすれば、時間の使い方も効率的になってくるかと。

Tononi G, Koch C.
The neural correlates of consciousness: an update.
Ann N Y Acad Sci. 2008 Mar;1124:239-61

最近読んだ、総説論文。
TononiとKochが一緒に書いているなんて、仲が悪いと思っていたのに感慨深いというか。いや、むしろ何かあったのだろうかと勘ぐってしまう。

Nerural Correlates of Consciousness(NCC)という作業仮説のもとでの、意識の科学のこれまでの知見が分かりやすくまとめられており、読みものとしては勉強になった。どちらかと言えば、Tononiのinformation integration theoryについて重点的に解説されている。僕は、この理論、好きだ。 
グラフ理論を取り込めば、もっと説得力のある内容になるのかもしれない。
時間ができたら、詳しく書こう。

最近の音楽:なし

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2008年4月21日 (月)

network randomization in schizophrenia

ようやく大学での生活にも慣れてきた。この2週間は、過剰適応気味だったかもしれない。
月曜から土曜まで仕事をして、合間に実験の準備をするという生活だ。
要は、出力の配分だ。

Rubinov M, Knock SA, Stam CJ, Micheloyannis S, Harris AW, Williams LM, Breakspear M.
Small-world properties of nonlinear brain activity in schizophrenia.
Hum Brain Mapp. 2007 Dec 10

これは、前々回の記事で紹介したschizophreniaのニューロンネットワークでネットワークアナリシスを行った実験だ。

40人のschizophrenia群と、40人の健常被験者とでresting stateのEEGを130sec計測する。従来のネットワークアナリシスと同様に電極間のconnectivityを計測するわけだが、近隣の電極間電極間の擬似的なcoherenceと真のcoherenceの混同を避けるため、この実験では電極群を大きく7つのderivationに分けて、異なるderivation間のcorrelationだけを評価している。この実験では、correlationの尺度として、Breakspearらの"nonlinear interdependence"を採用している。nonlinear interdependenceは、「あるダイナミカルの現在の状態から、別のシステムの将来の状態をどれだけ確実に予測できるかの指標」と大まかに定義される尺度である。これらの結果として得られたcorrelationのmatricesは、閾値を超えたエッジだけを抽出して、重み付けされたグラフ(weighted graph)へと変換する。閾値は、最も強いエッジの10〜30%の範囲で設定する。最後に、この閾値を少しずつ変化させていった場合の、characteristic path length(L)、clustering coefficient(C)、centralityを計算することによって、ネットワークのトポロジーを調べる。被験者間のばらつきを標準化するため、これらの尺度は特定の手続きで作成されたsurrogateのランダムグラフとの比で表される。

この実験の新しい点は、binary graphではなく、weighted graphを採用している点であろう。弱いエッジの大部分はfluctuationを反映しただけのもので、ネットワークトポロジーにおいて有意ではないという報告がある。しかし、従来のbinary graphでは、弱いエッジも強いエッジも一様に重み付けをされるために、shortest pathとnon-clusterd neighborhoodの出現率を見かけ上押し上げてしまうという問題点があった。

結果としては、従来の知見通り、健常被験者、schizophreniaの両群で、グラフはsmall-world的特徴を示していた。すなわち、「大きなCと小さなL」である。また、ハブ的なトポロジーを示す電極も存在することが間接的に示されている。しかし、両群を比較すると、微妙な差が明らかとなる。すなわち、統合失調症群では、CとLがともに健常被験者に比較して、小さな値を示していたのである。これは、ネットワークのトポロジーという視点から、どのように解釈するべきだろうか?

CとLが小さくなるということは、元々small-world的特徴を示していたグラフが、ランダムグラフにより近づいていることを示している。つまり、schizophrenia患者の脳のマクロレベルの機能的ネットワークはなおsmall-world性を保ってはいるものの、健常者よりもランダムさを増しているということになる。

また、この実験では、ネットワークトポロジーの変化とPANSSなどの症状評価尺度との間に有意な相関は見いだされていない。ここで注意すべきは、Cが小さいから、あるいはLが短いからといって、特定の認知機能が特定の方向に変化するとは言えないという点だ。そのような推測を立てるには、僕らの知識は余りに不足している。しかし、そもそも、small-worldは、functional integration/segregationを両立させるために理想的なネットワ−ク構造だった。schizophreniaのニューロンネットワークでは、微妙なランダムさの増大によってこのようなバランスが部分的に破綻し、情報の生成、処理に何らかの障害を来しているのではないかと推測される。詳細なモデルは、これからだ。

今日の音楽:Little Creatures「ハイスクールララバイ」(細野晴臣トリビュートアルバム)
最近のヘヴィローテーション。細野晴臣作曲、イモ欽トリオのヒット曲をLittle Creaturesがカバー。Little Creaturesがカバーしているだけあって、オリジナルのエレポップ風味は完全に消え失せ、放課後ムードの気だるいフォーキーな歌謡曲となっている。

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2008年4月 7日 (月)

dayvan cowboy / boards of canada

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ネットワークの神経心理学

He BJ, Shulman GL, Snyder AZ, Corbetta M.
The role of impaired neuronal communication in neurological disorders.
Curr Opin Neurol. 2007 Dec;20(6):655-60.

ネットワークの神経心理学とも言うべき内容のreview。

脳の構造学的損傷と行動学的障害との関係の解析は、昔から神経心理学的手法が用いられてきた。しかし、局在論的視野に立つ旧来の神経心理学では説明できないような臨床像がしばしば観察される。たとえば、皮質下の脳梗塞の急性期には、知覚・運動障害だけでなく、遂行機能や言語の障害が出現することがある。このような事態は、局所における損傷と行動学的障害を一対一に結びつけるという旧来のモデルでは、上手く説明することができない。今日の神経学では、このような局在論を逸脱した臨床像について、脳浮腫や血行動態の変化が非特異的な症候を引き起こすという説明がなされることが多いが、もう少し精細なモデルはないだろうか、というのがこのreview。
このような問題意識は、今に限ったことではなく、これまでにもGeschwindのdisconnection syndromeや、ジャクソニズムなどのモデルが提唱されている。このレビューでは、ネットワークの視点に立って、脳梗塞などの高次機能障害を考えるというパラダイムを提唱している。

読んだらくず箱に捨てる類いのレビューかと思って手に取ったら、内容もしっかりまとまっていて、具体的な実験データも色々と紹介しており、読み応えがあるではないか。と、思ったら、He BJ, Snyder AZ、Corbetta Mなどのそうそうたる面子が書いており、なるほどと。彼らは、これまでに、hemineglectやfunctional connectivityに関する実験を、Neuron、Natureなどで報告している強者だ。

「損傷した脳を、旧システムから損傷部位を差し引いたシステムと捉えるのではなく、旧システムとは新たなネットワーク構造をもったシステムと捉えるべきである」、というような表現が繰り返し出てくる。

He BJ, Snyder AZ, Vincent JL, Epstein A, Shulman GL, Corbetta M.
Breakdown of functional connectivity in frontoparietal networks underlies behavioral deficits in spatial neglect.
Neuron. 2007 Mar 15;53(6):905-18.

hemineglect(半側空間無視)の患者を11人集めて、attentional task下でfMRIをとり、functional connectivityと症状の重症度、改善度との相関を縦断的に調べた研究。ventral attentional network(VAN)と、dorsal attentional network(DAN)の二つのattentional pathwayにROIを置いて、領域内、半球間のfunctional connectivityを計測している。

ざっと目を通しただけだが、VANにおけるfunctional connectivityの破綻は症状の重症度と相関し、慢性期においても破綻したままだ。一方、DANをみてみると、急性期には両半球のpIPS間のfunctional connectivityだけが破綻しており、これは慢性期になると改善する。

今日の音楽:Boards of Canada "Olson" from album " Music has the right to children"(LP)
最近のboards of canadaのお気に入りは、このトラックだ。疲れているときは、このトラック。最近、何十回となく聴き続けている。元気のあるときは、1969とraygiv。変な気分のときは、peacock tail。

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2008年4月 5日 (土)

散文

Schizophreniaの中核的病理は存在するか?あるとしたら、それは何か?
この問いは、100年くらい前から精神医学が問い続けてきたもので、今日に至ってもなお、ほとんど答えらしい答えは得られていない。大げさに言えば、患者さんに対する治療的行為、僕たち精神科医がやっていること、精神医学の行く末を揺るがしかねない問題なだけに、「デルフォイの神託」などと仰々しく呼ばれることもある。むしろ、このような大胆な問いを立てること自体を潔しとせずに却下する精神科医も多い。そして、生物学的精神医学と心理主義的な精神医学への二分化が進み、ICD-10やDSM-IVなどの陳腐なお手軽マニュアルが隆盛となった今日にあたっては、もはやこのような問いを抱き続けるナイーブな精神科医は非常に少なくなったのではないだろうか。

schizophreniaの病的体験を記述し、さらに説明すべく、精神科医たちはさまざまな理論や概念を提唱してきた。当時の社会的潮流や時代を反映した哲学的な潮流の影響を間接的に受けながら、「自然な自明性の喪失」、「本質属性の突出」、「ファントム空間論」などなど、本当に様々な説明がなされている。そのどれも臨床的に示唆に富むものだと僕らは実感している。近年は、生理学的な知見に基づいて、ドパミン仮説のみならず、不均衡症候群仮説、視床フィルター仮説などが提唱されている。これらの理論もそれなりの説得力をもっているのだが、やはり昔の人は偉い、というか、Kraepelinの"loss of inner unity"(1919)や、Bleulerの"loosening of association"(1950)などの、理論や議論が現在のように細分化される以前の臨床的な経験に基づいた時代の仮説が、神経科学が隆盛を迎えている近年になって、さらに説得力を増しているように思えてならない。1990年代に相次いで提唱され、最近になってやっと認知されてきたFrisotonのdisconnection hypothesisや、AndreasenのCCTCC仮説(これは、個人的にはどうかと思う)は、KraepelinやBleulerらからの影響をはっきりと言明している。そして、それよりもずっと早い時期の、心理学におけるゲシュタルト理論や神経心理学における離断症候群という一連の概念は、今日の動向を予期させるものだったとも言えるかもしれない。ただ、当時は実証的なデータや、理論化が欠けていただけで、方向性としての違いは無いものと思われる。

話は飛ぶけど、この20年くらいの神経科学の実験的データは、脳内のニューロンの同期発火現象、非平衡相転移やパーコレーションなどの複雑系現象、ニューロンネットワークがもつ特徴的なconnectivityなど、ニューロン群の共同的な振る舞いを明らかにしてきた。脳の機能を、神経の発火パタンによって構成される情報現象としてみた場合に、脳は情報を局在的に処理する側面(information segregation)だけでなく、極めて効率的に統合するという側面(information integration)を持ち合わせているのだ。最近は、精神医学でも、特にschizophreniaの病因モデルにおいて、このような理論を適用したモデルが提唱されている。前々回に紹介したWang XJの論文や、Hoffmanの論文では、schizophreniaのworking memoryの障害をアトラクターダイナミクスという観点から考察しており、これからどのように発展していくか気になるところだ。

一概には言えないが、脳内の情報現象の上に述べたような共同的なふるまいは、神経科学において、まず機能的レベルから先に明らかとなり、解剖学的・構造的レベルでは、やや後回しにされてきたように思える。データの性質や、解析方法などの発展の差異も一因だろう。今でこそ、DTIなどの脳内のネットワーク構造を可視化する方法が確立しつつあるけど、解剖学で巨視的なネットワーク構造を明らかにするのは、以前ははなはだ困難であったと言わざるを得ない。Fristonのdisconnection hypothesisも一見構造レベルに立った理論のようだが、やはり基盤となるのはBOLD信号やEEGなどの機能的なデータであって、この意味では、機能レベルの理論というべきだろう。部分と全体、構造と機能とを異なる次元に分けるのは、むしろ一種のドグマみたいなもので、このようなドグマに拘束されつつ研究や理論化がなされてきたという事情がこのような経緯の背景にあるようにも思える。

いずれにせよ、統合と局在という一見矛盾するような特性を構造、機能という両レベルから説明したモデルは、近年までほとんどみられなかった。ここでまた、唐突に話を飛ばすのだけれど、アトラクターダイナミクスやグラフ理論などの数理的解析手法の神経科学や精神医学への応用は、単なる流行にとどまらず、脳の「機能」と「構造」を一元的な説明に向けた一筋の道になるんじゃないか、と僕は淡い期待をもっている。ただそれが言いたいだけなんだけど、どうだろうか?浅はかと言われるかもしれないが、精神病理学的な読みができるという側面もあると思う。

※断っておくが、理論や仮説はあくまで説明であって、病的体験そのものを直接的に可視化したり、複製するものではない。ただし、神経科学に対するそのような批判はもはや論外だろう。ただし、臨床に携わっている以上、何らかの説明言語や理論化は必要だと思う。それは、病理学でも、薬理学でも、心理学的理論でも、社会学的理論でも、神経科学でも本質的には変わらないはずだ。

Micheloyannis S, Pachou E, Stam CJ, Breakspear M, Bitsios P, Vourkas M, Erimaki S, Zervakis M.
Small-world networks and disturbed functional connectivity in schizophrenia.
Schizophr Res. 2006

schzophreniaで、small-world性が破綻している可能性を示した最初の報告。少ないチャンネルのEEGデータによって再構成された粗いネットワークだが、これが出たときはちょっと興奮した。schizophrenia群では、ネットワークのcharacteristic path length(L)が延びるだけでなく、clustering coefficient(C)も低下している。結果的に、small-world性は破綻する傾向を示している。

Liu Y, Liang M, Zhou Y, He Y, Hao Y, Song M, Yu C, Liu H, Liu Z, Jiang T.
Disrupted small-world networks in schizophrenia.
Brain. 2008 Apr;131(Pt 4):945-61. Epub 2008 Feb 25

精神医学の分野で、グラフ理論を応用した一番新しい実験の報告。ここでは、resting-state下でBOLD信号を記録し、各ROIにおけるlow-frequency bandのfluctuationどうしのpartial correlationをとって、thresholdを設定し、90個のノードからなるグラフを再構成している。ここでも、small-world性は破綻している。

Rubinov M, Knock SA, Stam CJ, Micheloyannis S, Harris AW, Williams LM, Breakspear M.
Small-world properties of nonlinear brain activity in schizophrenia.
Hum Brain Mapp. 2007 Dec 10

これは、まだ読んでいないのだけれど、Stamが絡んでいることから、EEGかMEGでsynchronization likelihoodをとって、再構成したグラフを解析した実験だと思われる。

Achard S, Bullmore E.
Efficiency and cost of economical brain functional networks.
PLoS Comput Biol. 2007 Feb 2;3(2)

抗精神病薬の投与前後でのネットワークの機能構造特性の変化を精細に調べた実験はまだ存在しないが、ここではD2antagonistであるsulpirideを投与した際のネットワークに生じた変化を精細なデータで報告している。

Sporns O, Honey CJ, Kötter R.
Identification and classification of hubs in brain networks.
PLoS ONE. 2007 Oct 17;2(10):e1049.

皮質および皮質下のネットワークのハブの特定を主眼においた解析。連合野がハブ的なconnectivityを示すのは当然の結果だけれど、面白い。

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2008年4月 1日 (火)

明日から

明日から大学院生となる。

と言っても、実状は、無給で働きながらごくわずかの空いた時間に実験を行うという生活だ。

メリットとして、

大学がライセンスを取得した論文にアクセスし放題。今までのように、図書館に行ったり、メールで送ってもらう手間がなくなる。
同じように研究をしている先生たちと、ディスカッションができる。
学会に参加しやすい環境になる。
大学では、僕の臨床能力について第三者的な批判が入る。こういう場所は、臨床人生の中で一度は必要だと感じていた。
ごくわずかの時間に、実験を行うことができる。

デメリットとして、、

うーん、メリットとデメリットは表裏一体だから、書くのはよそう。

最初の実験プロトコルは何とか方向性と大まかな手順だけは決まった。
Attentional blinkのERP studyだ。
ちょっとだけ、consciousnessに絡めてある。

また、MEGを使った実験のプロトコルも考えなければならない。
今のところ、schizophreniaにおける抗精神病薬服薬前と服薬後でネットワークアナリシスを行い、synchronizability、small-world propertiesなどの変化を調べることなどを考えている。

数理解析のプログラムはMATLABで組む(組んでもらう)必要があるが、これをどうするかが一番の問題だ。

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2008年3月29日 (土)

バリ島

本日、バリ島から帰国。

クタやレギャンは汚いし、どうってことの無い猥雑なリゾート地だったのだけれど、ウブドはやっぱり特別な場所だった。

僕が熱帯を訪れるのは今回の旅が初めてだ。どこをみても草花や奇妙な果実をつけた木々が辺り構わずに空間を占拠していて、これまでに訪れた地域と比較すると、この島に何か異様な場のエネルギーようなものを感じずにはいられない。

人もそうだ。長年にわたってバリ人が乱立させてきた寺院の意匠と色彩は、乱暴な熱帯の森に負けていない。彼らはバリヒンドゥーという独特の宗教文化をもち、どこかで毎日のように祭りを行っている。蜜のように濃くて重い何かが、島に充満している。

確かに、20世紀以降彼らが観光というものを意識するようになり、今日のバリ島を作り上げてきたのだといわれても、僕らにとってこの島はやっぱり異様だった。

雨期のバリ島では、昼過ぎから夕暮れまで必ず強い雨が降る。したがって、もっぱら昼間にいそいそと観光することになる。雨上がりの夕暮れには、木々が混沌と生い茂るジャングルと、重たい空に陰る夕陽を眺めながら、僕らはひたすら茫として過ごす。気が向けば、本や論文を読んだり、歩いたり、泳いだり、昼寝したり。熱帯特有の密度の濃い空気を感じながら、時間の流れもゆっくりと段々重くなる。

こういう場所でこういう時間の過ごし方を体験してしまうと、強い刻印を残してしまって、もはや後に引けなくなるなあなんて感じながら、気が付いたら辺りは暗くなっていて、蛍が舞っていたりする。
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バリ島では、バトゥール山(1700mくらい)への早朝登山に挑戦した。4時くらいから登り始め、3時間くらいで登頂。山頂の火口からは、小規模ながら今でも噴煙が上っている。
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この島では、毎日のようにお祭りが行われている。数が多いからといって、彼らは毎回真面目な気持ちで参加しているようだ。これは、島で最も神聖なブザキ寺院のオダラン祭。
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ウブド近くの棚田。ウブドから島の北部にかけてこのような棚田の風景が続く。棚田がリゾートだなんて、ちょっと普通じゃあないんじゃないか?


滞在中と行き帰りの飛行機で読んだ本、論文。

廣松渉「身心問題」(青土社、1989年)

これは、持って行って正解。心脳問題ならぬ、身が先に来る「身心問題」。およそ20年前の本だが、今日の諸科学が意識の問題に取り組もうとする際に直面するおよそ全てのテーマが扱われており、しかも著者の洞察がいちいち全て的を得ていることに驚いてしまう。意識の神経相関、物理現象と心的現象の因果的関係、開放系システム、他者認識と自己意識の同時性、社会的認知などなど。難解な哲学用語も出てくるものの、対談形式になっているので、飽きずに最後まで読むことができる。
Varelaは、心的現象と物理的現象(特に脳内のニューロンの発火活動)を異なる二つの現象領域だとした上で、両者には非対称な双方向的な因果作用があると指摘し、そこに立ちはだかる説明的、方法論的断絶に対する救済策として神経現象学というアプローチを提唱した。一方、廣松氏は、身心問題という因果関係について正面から問うような議論はそれ自体不毛なもと位置づけている。このような立場に立った上で、脳、身体および環境における物理的現象という「可能態」から心的現象という「現実態」が対自的に「転化」するプロセスを、脳や身体というオープンシステムにおける一種の「状態関数」として位置づけている。現象学的視点に近いVarelaと異なり、因果的にみればあくまで起因作用をもつのは物理現象であるとされる。ここだけみれば、Edelmanの「伴立entailment」や「phenomenal transform」という概念に近い立場と言えるかもしれない。しかし、上述のように、氏は、心的現象を、身体や脳における可能態から現実態への転化という「対自的現成化」と位置づけており、この意味では心的現象そのものの存在論的な根拠がなはだ怪しいものに弱められている。むしろ、僕たちが、日常頂いている素朴な心理学を土台にして、このような「怪し気な因果関係」を前理論的に跳躍し、自己の身体や他者との相互的な関わりを通して「私という心的現象」と「心的現象をそなえた他者像」なるものをいわば構成的に作り上げ、心的現象という物理世界においては仮想的な現実態を最終的に自己や他者へと体験的に「帰属」させていくプロセスを置き去りにしてしまっていることが、身心問題のという不毛な議論の源泉になっているのだと指摘する。僕らが、このような著者の立場をどうとるかは別として、これから脳あるいは身体と意識との関係について考えようとする人は、是非読んでおくべき本だと思う。時間があれば、もう一回読み直してみたい。

Slagter HA, Lutz A, Greischar LL, Francis AD, Nieuwenhuis S, Davis JM, Davidson RJ.
Mental training affects distribution of limited brain resources.
PLoS Biol. 2007 Jun;5(6)

meditationのERP study。meditation(ヴィパッサナー瞑想など)の訓練によって、attentional blink/RSVP課題におけるT2の識別率が上昇するというbehavioralな結果と、これがT1に対するP3の振幅の低下と相関するというelectro-physiologicalな結果から、meditationの実践がattentive resourceの効率的なdistributionに影響を与えるのではないか、という内容。実験の解釈は微妙な気もするが、meditationによって、僕たちの知覚システムに何らかの痕跡を与えるということは言えると思う。

Sergent C, Dehaene S.
Is consciousness a gradual phenomenon? Evidence for an all-or-none bifurcation during the attentional blink.
Psychol Sci. 2004 Nov;15(11):720-8.

意識あるいは主観的知覚と無意識あるいは非主観的知覚とは、連続する(gradualな)現象なのか、あるいは非連続(all or none的)な現象なのかという問いは、未だ未解決だ。これは、attentional blink/RSVPとmaskingを用いた精細な心理物理実験であり、少なくともattentional blink/RSVPにおけるT2の主観的知覚が、all or none的なふるまいを示すことを報告している。

Dehaene S, Changeux JP, Naccache L, Sackur J, Sergent C.
Conscious, preconscious, and subliminal processing: a testable taxonomy.
Trends Cogn Sci. 2006 May;10(5):204-11. Epub 2006 Apr 17.

このレビューも、上のDehaeneらの実験と密接に関わる内容。Baarsのglobal workspace仮説をニューラルモデルに上手く落としこんでいる。前に一度読んでいたが、再び読む必要が生じたので、今回の旅に持参した。

Wang XJ.
Synaptic reverberation underlying mnemonic persistent activity.
Trends Neurosci. 2001 Aug;24(8):455-63.

In recent dynamical systems model, various attractor states of cortical neural activities are thought to contribute to specific working memory (mnemonic) states. Such attractor states depend on the synaptic reverberation in the cortical recurrent circuit which is largely mediated by activities of NMDA receptors. In this model, NMDA:AMPA ratio is a critical factor for the optimal working memory performance. This review summarizes recent studies and show new model of attractor dynamics of brain acitivity. An intriguing possibility is that working memory disturbance in schizophrenic patients may results from an abnormally low NMDA:AMPA ratio, which would give rise to dynamical instability of the mnemonic cortical circuit.

Fries P.
A mechanism for cognitive dynamics: neuronal communication through neuronal coherence.
Trends Cogn Sci. 2005 Oct;9(10):474-80.

neural synchronizationが脳内のbindingを可能とするという従来のbinding-by-synchronization仮説を一歩進めて、二つのneural asssemblyのoscillationの位相差が、両者の間におけるinput、outputの時間枠(communication window)を規定するのだという仮説。binding-by-synchronization仮説がrepresentational codeとして提唱されているのに対して、Pascal Friesは、およそあらゆるcognitionのダイナミクスにこのようなoscillationの位相差を介したcommunicationの原理が働いているのではないかと予測している。

今日の音楽:Clare and reasons/ The movie(CD、2007)

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2008年3月22日 (土)

チベット、大学院

昨日、今日は、僕の勤めている病院での仕事納めだった。
皆には色々と助けられて、何とか3年間やってこれたんだ、と思う。

4月に入ったらもう僕は大学院生。のびのびと、でもただひたすら臨床と研究をやる、ただそれだけ。
自分のPCで論文が落とし放題になるので、論文読んで、学会に出て、勉強しまくろう。

こんな僕に講演の予定も舞い込んで来た。
意識、NCC、ネットワーク、神経現象学あたりについて話そうと思う。

実験プロトコルも、一つ目は概ね出来そうだ。
細かいところを詰める必要があるが。
意識の問題は、当面のところでは迂回して、まずは実験のトレーニングを地道に踏むべしとは思っていたが、初回の研究でもやっぱり意識に関連したテーマを選んでしまった。

実は、退職時のどさくさに紛れて、明日から、僕はチベットのラサとチョモランマベースキャンプを訪れる予定であった。チベットのラサで始まり、短期間でチベット全体に波及した暴動のために、中止せざるを得なかった。
旅に出られないのも残念だが、今回のチベットの騒乱はもっと懸念される事態だ。

これを機に、チベットで起きた火種が、地球上にパーコレートしていき、もっと大きな波となって中国政府に跳ね帰ってくればいいという空想。

で、僕は行き先を買えて、タイとラオスに行くことにしたんだけど、これまた航空券の手配ミスでおじゃんになってしまった。
結局、バリ島のウブドでゆっくりしながら、たまっていた論文でも読んでくることにした。

バリ島には、僕の先輩が研究をしているはずなのだが、これをみている人で誰か住所を知っている人がいれば、教えて下さい。

最近読んだ論文
oh M, Rolls ET, Deco G.
A dynamical systems hypothesis of schizophrenia.
PLoS Comput Biol. 2007 Nov;3(11):

これは、統合失調症について、精神病理、薬理、シミュレーションなどのトップダウンアナリシスという観点から考えている精神科医であれは、必ず読んでおいた方がよい。

今日の音楽:Nick Drake/Pink Moon(LP)
Elliot Smithと同じように、Nick Drakeのうたを聴いていると、僕の気分はどんどんと落ち込んでいって、気づいたら夜中の2時くらいになっていて、いつの間にか色々と頑張ろうなんていう気持ちが出てくる。

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2008年3月 7日 (金)

beyond NCC

Edelmanの意識の理論の重要な概念に、"degeneration"(縮重)というものがあった。縮重の定義は、「異なる組み合わせのユニットが、同一のアウトプットを産出する」、もしくは「同一のアウトプットを産出するユニットの組み合わせが2つ以上存在する」ということだ。これを、意識の観点から言い換えてみると、「異なる組み合わせのニューロンの発火が、同一の意識状態を産出する」ということになる。縮重の程度が大きければ大きい程、そのシステムは冗長であり、意識の成立に参与するニューロン群の数も増加するとことになる。

意識の神経基盤もしくはNCCを考える上で、縮重や冗長性という概念にEdelmanはどうしてこれほどまでにこだわるのだろうか?これまで、僕は今イチよく理解できなていなかったのだけれど、とある論文を読んで、この疑問が氷解した。

Maier A, Logothetis NK, Leopold DA.
Context-dependent perceptual modulation of single neurons in primate visual cortex.
Proc Natl Acad Sci U S A. 2007 Mar 27;104(13):5620-5

これが、その論文。金井氏のブログで「変化するNCC」として紹介されており、この論文の存在を知った。

視覚皮質のニューロンは、与えられた刺激の特性によって発火頻度を変えることが知られている。しかし、visual NCCを特定するためには、入力刺激の物理的特性によって発火頻度を変える(sensory modulation)ニューロン群を特定だけでは不十分である。むしろ、主観的知覚のパタンに応じた発火頻度の変化(perceptual modulation)を示すニューロン群を特定しなければならない。binocular rivalryやbistable figureは、刺激の物理的特性を変えることなく、複数の主観的知覚パタンを産出するため、NCCの研究に貢献してきたパラダイムである。

上記のsensory modulationとperceptual modulationを示すニューロンの割合は、視覚皮質の中でも、そのprocessing stageによって異なることが知られている。primary visual cortexでは、sensory modulationを示すニューロンが多数存在するのだけれど、perceptual modulationを示すニューロンは少ない。一方で、MTなどに代表される高次の処理を担う領域ともなると、perceptual modulationを示すニューロンの割合が増加する。さらに、これらのニューロンの割合は、刺激の種類、提示方法によらず一定の値を示すことも報告されている。このような知見は、脳内に、静的、固定されたNCCが存在するのではないかという予想を生み出すことになった。実際に、Kochは、そのNCCの探求において、主観的視知覚を担う特定のニューロン群が脳内に存在するのではないかと推測している。しかしながら、sensory modulationを示すニューロンと、perceptual modulationを示すニューロンとの本質的な違いは明らかにされておらず、両者に決定的な違いが存在せず、重複している可能性もある。

この実験では、binocular rivalry flash suppression(BRFS)で異なるペアのmoving dotsもしくはmoving gratingを提示したところ、directionのペアによってMT野のニューロンが示すperceptual modulationのパタンが劇的に変化するという結果が示されている。つまり、MT野では、主観的知覚の様々なパタンに応じて、perceptual modulationを示すニューロンの組み合わせが変化していることを示している。これは、常に特定のニューロン群が主観的知覚の成立に参与しているわけではないということを示している。

さらに、驚くべき結果が続く。この実験では、2匹のサルのMT野で計126個のsingle unitsからニューロンの発火を記録している。1種類の刺激セットに対して、約40%のニューロンがperceptual modulationを示す。この割合は、従来の知見と大差はないものだ。しかし、これを4種類の刺激セットまで拡大してみると、約93%のニューロンがperceptual modulationを示すことが明らかにされている。これは、MT野のstimulus-responsiveなニューロンのほとんど全てといってもいい数字であり、刺激セットの数を増やせば、perceptual modulationを示すニューロン群の割合はさらに増加すると予想される。つまり、主観的知覚に参与する権利は、特定のニューロン群に独占されているのではなく、MT野の大多数のニューロンに与えられている可能性がある。

この実験から導かれる結論は、脳内にはKochの言うようなNCCは存在しないかもしれないということだ。少なくともMT野で考える限り、ほとんど全てのstimulus-responsiveなニューロンが主観的知覚の成立に参与していて、意識の成立にとって脳は僕らが考えていたよりも冗長なシステムだと言えるかもしれない。また、主観的知覚パタンの変化によって、これに参与するニューロン群もダイナミックに変化する。これは、NCCが脳内の特定の構造から成るのではなく、時々刻々と変化するニューロン群によって担われるプロセスだということだろう。

この結論を情報のコーディングの観点から考えると、主観的知覚のパタンは、特定のニューロン群によるrate codingで表現されているのではなく、population codingによって表現されているということだ。このような脳内の情報表現の戦略自体は、近年の神経科学が予想し、実際に示してきたことである。実のところ、Kochも、当初の静的なNCCを特定するという戦略からシフトして、neural cell assemblyに近い"neuronal coalitions"という表現を使用するようになっている。

うーん、こうなってくると、意識の科学にとってNCCという問題提起は本当に必要なのだろうかと考えさせられる。僕らがNCCについて考えれば考える程、その存在位置があやふやなものになってしまうからだ。

蛇足だが、意識の神経基盤を考える上で、ニューロンの組み合わせだけを特定すれば十分とは到底考えられない。むしろ、ニューロン同士がどのようなパタンでリンクし、どのようなconnectivityをもったクラスターを構成しているのか、というネットワーク的な視点から考えていくことがますます重要になるのと思う。

最近観たDVD「甲殻機動隊 2nd GIG」(押井守監督)
無自覚なノードやIndividualistたちがハブの存在下で知らず知らずのうちにシンクロしていく様は、あたかもネットワークに生じるパーコレーションを映し出しているようだ。シンクロの強度が閾値を超えたときに、何が起きるのかは全く予想もつかないけれど、僕たちがネットワークの未来に抱く直感は、おそらく正しい。

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2008年2月19日 (火)

先々週の日曜日に、友人とともに中央アルプスの駒ヶ岳を訪れた。
去年も同じ友人と訪れたのだが、今年は一工夫して、携帯コンロとコーヒー、ソーセージなどをもちこんだ。人生で五本の指に入る美味しいコーヒーであった。

山が好きだ。
僕は、登るのよりも、近くから眺めるのが好きだ。
以下、自問自答。

「最も美しい山は?」 「ナムチャバルワ」。ヒマラヤの最東端に位置する標高7782m(世界第15位)の山だ。つい最近まで世界最高峰の未踏峰であり続けたが、1992年に日中合同登山隊が初登頂に成功した。「超槍ヶ岳状態」。というか、もはや槍ヶ岳など遥かに後方に置き去りにしてしまうくらい、完璧に均整のとれた山だ。この山の写真はどれだけ眺めていても飽きない。

「最も神々しい山は?」 「カイラス」。6656m(未踏峰)。西チベットにある霊峰。昔からヒンドゥー教や仏教の聖地として崇められ、また近年はバックパッカーの憧れであり続けている。たどり着くのが大変な分だけ、感動も大きいのだという。僕もいつかこの山をコルラ(一周)してみたいと思っている。

「最も美しい山脈は?」 「カラコルム山脈」。K2(8611m)やナンガパルパット(8125m)など、非情だけれども美しい山をいくつも擁する。一昨年、僕はカラコルムハイウェイを旅して、パキスタンのイスラマバードから中国のカシュガルまで抜けた。その途中に眺めていた山々の光景は、悲しいかなもはや現実とは思えなくなってしまった。カラコルム山脈の奥地には、フンザという、山を眺めながらひたすら沈没するのに適した谷があることでバックパッカーに有名だ。

「いつか行ってみたい山は?」 「ナンダ•デヴィ」。北インドのチベット国境寄りに位置する標高7816mの山だ。日印合同登山隊が1976年に初登頂に成功したのだけれど、現在登山は禁止されている。ナンダデヴィとは、「女神の住む山」という意味で、ヒンドゥー教のシヴァ神の妻であるパールバティのおわす山と信じられている。山の美しさもさることながら、麓には花の谷という、およそ僕らの想像を絶する美しい谷がある。

「最もなじみのある山は?」 「眉山(290m)と剣山(1955m)」。いずれも徳島の山で、小さい頃から眺めたり、登っていた山だ。四国山地の山は小ぶりではあるけど、険しい山が多い。ちょっと分け入るとたちまち急峻な山に囲まれてしまい、緊張感が高まる。昔から山岳修行の地として有名で、文化的にも色々と興味深いものが多い。

遊びばかりじゃいけないので、実験関連の勉強も。

このブログでもたびたび書いてきたように、consciousnessの成立過程の一端を解きほぐせるような実験をしたいと思っているのだが、そう簡単にはうまいアイデアは思い浮かばない。

binocular rivalryにせよ、attentional blinkにせよ、change blindnessにせよ、backward maskingにせよ、最近話題のcontinuous flash suppressionにせよ、実験を行うには共通の条件下でconscious/unconsciousという二つのoutputを生み出す何らかのパラダイムが必要なのだが、これを自分で考案するのは時間と実力と運次第というところがある。

もう一つ、consciousnessとattentionのようにベクトルを二つもってきて、その相互作用や、神経活動に対するmodulationを調べるという戦略もこの10年くらいの主流だ。しかし、色々と調べているが、今の僕に思いつきそうな実験は、ほとんど既に手をつけられているように思えてしまう。

その中で、比較的未開拓な領域はどこかと考えてみると、consciousnessとemotionの関係だと思う。
ひとまず、その路線で考えてみたい。

Trippe RH, Hewig J, Heydel C, Hecht H, Miltner WH.
Attentional Blink to emotional and threatening pictures in spider phobics: electrophysiology and behavior.
Brain Res. 2007 May 7;1148:149-60. Epub 2007 Feb 24.

実験デザインの参考になる。

Anderson AK, Phelps EA.
Lesions of the human amygdala impair enhanced perception of emotionally salient events.
Nature. 2001 May 17;411(6835):305-9.

consciousnessとemotionの研究の嚆矢となった実験。RVSPでaversive stimuliを提示した場合、amygdala損傷患者と健常被験者とで、percetptual enhancementの程度が異なるが、word meaningの理解は変わらないという結果。

Tsuchiya N, Adolphs R.
Emotion and consciousness.
Trends Cogn Sci. 2007 Apr;11(4):158-67. Epub 2007 Feb 26.

関連するレビュー。土屋氏は、attentionとconsciousnessに関する実験を行ったり、レビューを書いたりしていて、とても参考になる。何より、日本人が海外でこういう研究をやっているのをみると、勇気づけられる。

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2008年2月 8日 (金)

引っ越し

先週の土曜日に、荻窪への引っ越しを済ませた。
大雪の前日だったので、翌日だったらと思うとぞっとする。

次こそはまっとうな家に住んで、まっとうな内装にして、まっとうな暮らしをしようと心に決めていたのだけれど、僕が選んだのは忍者屋敷のような変てこな家で、結局のところ僕の性分は変わらないらしい。

最近は、attentional blinkが起きる条件下(RSVPを使ったやつ)で、T2をhigh emotional valenceのpicutureにした場合のERP modulationや、T2のperceptual thresholdの変化などに関する論文をチラホラと読んでいた。結局、僕が探していたものは見つからず。ここら辺、実験につなげられそうな気がするのだが。

もしかしたら、3月に休みがとれるかもしれず、成都経由でチベット自治区のラサとチョモランマベースキャンプに行くかもしれない。雲南、ミャンマー、インドネシアのボルブドゥールなどとも迷っているのだが。 
ああ、本当は時間さえあれば、カイラスをコルラしに行きたいのだ。

41gtfsttt1l_aa240_今日の音楽:Herrmann & Kleine "Our music"(CD) ちょっと古いけど、これまた秀逸なアンビエント〜エレクトロニカ。Ulrich Schnaussみたいなキラキラとした恍惚感をもつトラックあり。

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2008年1月27日 (日)

41mnpgefnkl最近買った本。

Giacomo Rizzolatti (著), Corrado Sinigaglia (著), Frances Anderson (翻訳)
Mirrors in the Brain - How Our Minds Share Actions and Emotions
Oxford University Press, USA; 1版 (2007/10/26)

まだ読んでいないので詳細は不明だが、mirror neuronに関する初めての一般科学書だろう。Parma大のRizzolattiによる2006年の著作を、英語に翻訳したもの。

目次は以下の通り。
1. The motor system
2. The acting brain
3. The space around as
4. Action understanding
5. Mirror neurons in humans
6. Imitation and language
7. Sharing emotion

この目次を見る限り、1990年代にRizzolattiが行っていた運動系の研究から始まりmirror neuronの発見に至るまでの経緯、mirror neuronの刺激反応特性から導かれたRizollattiによるaction understanding仮説、IacoboniらのImitation仮説、Galleseらのsimulation仮説などについて説明されているんじゃないかと思う。

今日の音楽:US3/Cantaloop (mp3,iTunes store)

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2008年1月23日 (水)

唯識

4月から院生になり、ラボや勤務地の都合上、立川在住ではちょっと距離的に辛いので、家探し。
大学にも近い荻窪に、「忍者屋敷」のような家があって、直感的にそこに決めた。
2部屋を合わせた通常の居住空間よりもロフトの方が1.5倍広いという、お得で風変わりな物件だった。
ちなみに荻窪には1年半くらい住んでたことがあって、おいしいカレー屋と蕎麦屋がそれぞれ少なくとも2件あること、「ひな菊」と「邪宗門」という僕が好きな喫茶店があることなどから、好きな街の一つだ。

最近、唯識関連の本をちょこちょこと読んでいる。

唯識というのは、4世紀頃のインドで現れた瑜伽行唯識学派によって唱えられた認識論的傾向を持つ思想体系のことだ(Wikipedia)。かのナーランダ(いつか行きたい)の古代の仏教大学では、主にこの唯識を研究していたのだそうな。宗派で言えば法相宗ということになって、日本では東大寺などが総本山となっている。

で、何で唯識かというと、それがそのまま「意識」を扱おうとしているから。その射程範囲は知覚、意識から無意識にまで及んでいる。そして、無意識の下に、個を超えた背景的な心的空間である阿頼耶識(あらやしき)を想定したのが、この唯識だ。読む前は、禅やヨガなどの体験を通じて一人称的な視点に基づいた内観的なアプローチかとたかをくくっていたら、実のところ、個々の体験だけを重視しているわけではなくて、おそらくは当時の東洋世界の最新かつ複雑な論理構成を下敷きに、個々の体験と理論の間を何度も行ったり来たりしているのだ。良い意味で予想を裏切られた。しかも、難解。ほとんど分からない。

現代の科学と哲学のタームとは、その作法は大分異なるけど、表層的な意識の本質を「識別」あるいは「差異化」などと指摘していたり、ある種の実体的な現象(読みようによっては物理的な現象とも読み取れる)と心的現象との関係について述べていたり、因果的関係では関係論的存在論(縁起)やネットワーク性なども持ち出していて(これは、仏教思想全般にあてはまること)、EdelmanやVarelaが言っていたような仮説と接続可能な部分もあり(僕がこういう箇所にばかり反応しているのにもよるが)、かなり興奮した。西洋哲学での唯心論とは全く異なる点に要注意。というのも、当初は、表面的には唯心論と同じように、まず「識」はあるけど外界の事物は存在しないという仮の主張から出発するのだが、最後には「識」そのものまで「空」に帰してしまうからだ。残るのは、実在性も中枢も書いた、「帝網」のようなネットワークの関係論的存在だけだという。

現時点では、オルタナティブであって、脳科学と直接的に接続するのは難しいと思うが、Mind and Life instituteのように、哲学の分野ではこういうアプローチも真剣に検討され始めている。

それにしても、このMind and Life instituteのメンバーに日本人が含まれていないのは、一体どういうことだろう?単に、欧米のエキソティシズムとくくってしまうことは出来ないような気もする。

井筒俊彦「東洋哲学覚書 意識の形而上学—『大乗起信論』の哲学」 (中公文庫BIBLIO)
大乗起信論は、唯識そのものでは無いようだが、仏教が「意識」をどう扱おうとしてきたのかという点を、必要な部分は現代思想のコンテクストで読み直すことによって、比較的明瞭かつ詳細に解説していて、意識の東洋思想的なアプローチに関連した本の中では、今のところ最も感じ入るところが大きかったものの一つ。

岡野守也「唯識と論理療法—仏教と心理療法・その統合と実践」(佼成出版社、2004)

横山 紘一 「唯識とは何か—『法相二巻抄』を読む 」(春秋社)

最近、読んだ論文。

Fan J, Byrne J, Worden MS, Guise KG, McCandliss BD, Fossella J, Posner MI.
The relation of brain oscillations to attentional networks.
Neurosci. 2007 Jun 6;27(23):6197-206.

attentionとoscillation関連の研究も、一時のピークを過ぎたかなあ、というのが最近の感想だ。

これは、矢印を使った比較的シンプルな刺激をもとに、alerting、orienting、executive controlという3つの異なるattentional stateを評価するための課題を行わせ、EEGで得られたデータをもとにERPおよびpower-spectrum analysis、source analysisを行ったという研究。source analysisに一工夫をこらしている。

frequencyドメインの解析は、頭皮レベルではなく、dipoleレベルで行っているのが一つ目の特徴だ。筆者らの主張によれば、この方法をとった方が解剖学的構造と機能との相関が強まるとのこと。また、同じグループが行った過去のf-MRI studyで 得られたデータをもとにして、dipole modeling(BESAを使用)にf-MRI basedのconstraintをかけているのが、二つ目の特徴。f-MRI basedでdipole modelingを行っても逆問題は完全には解決されないが、experimenter biasは小さくなり、ERP studyにおけるsource analysisの欠点を小さくするのが目的。

結果としては、、異なるattentitonal networkでは、それぞれ異なる周波数帯域と分布をもったoscillationのmodulationのパタンがみられる。
alertingでは250-400msでθ、α、β帯域のパワーの減少、orientingでは200msまでにγ帯域のパワーの増加、executive controlでは幾分複雑なmodulationのパタンを示している。

51r0wilu3ul_aa240_今日の音楽:Manual & Syntaks/Golden Sun(CD)
どこか知らない国の浜辺の夕暮れ時、辺りが黄金色に染まって、自分もその中に飲み込まれてしまい、時間の流れがただひたすらスローになっていくという、chill outのゼロポイントのような音景。では、どこの浜辺か?イビザでも、パンガンでも、ゴアでも、沖縄でもない。案外、伊豆とか和歌山とかかもしれない。

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2008年1月 9日 (水)

Brain dynamics underlying the nonlinear threshold for access to consciousness.

ちょっと前に読んだ論文。久しぶりに意識関連の論文をピックアップ。最初に読んだときはよく分からなかったが、最近になってもう一回読んでみると理解できたので、取り上げてみた。

Del Cul A, Baillet S, Dehaene S.
Brain dynamics underlying the nonlinear threshold for access to consciousness.
PLoS Biol. 2007 Oct;5(10)

これは、backward maskingを使って、conscious perceptionが生じる決定的なtime periodを調べたERP study。behavioralなデータとして、objective、subjectiveの両方のデータを採用している。

以前、同じくDehaeneのグループのClaire Sergentの"Timing of the brain events underlying access to consciousness during the attentional blink."(Nature Neuroscience, 2005)を紹介した。あれも、attentional blinkを用いることによってconscious perceptionと相関するEEG activityの詳細なtemporal structureを調べた実験だった。結果としては、consciousとnon-conscious間では刺激提示後の約270ms後にelectrical activityの"divergence"が生じるというもので、確か、T1-evokedのN2とT2-evokedのP3が競合して、blinkが生じるという解釈だったと思う。Sergentの実験は、僕的にはかなり衝撃的だった。ただし、問題がないわけではないらしい。

最近までvisual perception関連のERP論文を読みあさっていたのだけれど、意識に関して言えば、これまでに行われた意識関連のERP studyの多くは、objectiveなbehavioral dataをconscious、non-consciousに二分しており、これらと相関するERP componentを探し出すという戦略(ERP-correlates of consciousness)をとっている。しかし、刺激や課題が異なると、このERP-correlates of consciousnessも実験間で異なってくるため、必ずしも実験結果が一致しないという限界があった(おそらく、実験課題におけるattentionの関与の度合いの違いが大きいのだと思う)。例えば、P1やN1といったearly processingを反映するERP componentsがconscious perceptionと相関するという報告もあれば、P3、Central Positivity(CP)などのlate  processingを反映したERP componentsだけが相関するという報告もある。また、Visual Awareness Negativity(VAN)みたいに、結局どっちつかずのERP deflectionもある。

それと、Dehaeneが言うように、behavioralにみると、conscious perceptionの成立は基本的にnon-linear、bimodalまたはall-or-noneな現象であるため(反論もあるが)、先のSergentの実験で採用されたconscious、non-consciousという大雑把な二分法では、このようなnon-consciousからconsciousへのシャープなtransitionを捉えにくいという限界もある。

で、基本的にはこの実験でもSergentの実験と似たような結果が得られているのだけれど、重要な点が2つあって 、

一つ目は、backward maskingのtarget-mask stimulus onset asynchrony (SOA)を16-100msの区間でかなり細かくずらしていくことで、non-consciousからconsciou perceptionへの急激なtransitionを捉えるのに十分な実験条件を整えていること(Segentのattentional blinkを使った実験では、T1-T2 lagが258ms、688msの二点設定していない)。この実験では、SOAが33-66msの区間でのみ、objective,subjectiveなスケールがシグモイドカーブを描くことが示されている。ただし、maskingのonsetがtrial毎に変化するため、ERPをtarget stimuliのonsetに合わせて加算平均しようとするとS/N比が落ちてしまう。これを回避するために、ちょっと巧妙なsubtractionをやっている。

二つ目は、ERP-correlates of consciousnessを特定するために、単にobjectiveまたはsubjectiveなスケールや刺激条件とのANOVAを調べるだけではなく、conscious perceptionの本質的にnon-linearなふるまいを新たなクライテリアとして採用していること。 その「クライテリア」とは、

(1)刺激強度(ここでは概ねSOAのこと)を細かく変化させることによって、ERP componentのamplitudeがnon-linearなカーブを描くこと(ERP componentのamplitudeをSOAの関数としてみると、transition pointまたは閾値が存在する)。さらに、具体的に言うと、SOAがある特定の区間(この実験では、SOAが33-66ms)にあるときのamplitudeの変化が、その他の区間におけるamplitudeの変化のトータルよりも大きなERPのcomponentを探し出すことを、non-linearな変化としてひとまず定義している。

(2)刺激強度を閾値付近(この実験では、50ms)で固定した際に、seen、not-seen trial間で、amplitudeが有意に異なること(divergenceが生じる)

(3)脳内の広域を巻き込む活動であること(補足)

である。

つまり、subjective visiblity(conscious perception)が示すnon-linear、integrativeなプロフィールを、神経活動レベルにおけるconscious processingの"signature"として採用しているのだ。

実際、上記のERPのearly componentとlate componentのどちらが、conscious percetpionに対して真に相関しているのかという未解決の疑問は、単にbehavioral dataとの相関をみているだけでは解決する気配が一向にないのだけれど、このクライテリアを使うことで両者にもっと明確な違いが出てくるかもしれない、というわけだ。

ちなみに、Dehaeneらの意識のモデルは、主にaccess consciousnessを説明しようとする仮説で、簡単に言えば脳内の広域の活動が統合されて意識が成立するために必要な「場」を構成するというものだった。この仮説と上記のクライテリアから、次のような推測が立てられる。

まず、ERPのearly componentは、conscious perceptionと部分的な相関を示すが、それ自体は刺激強度に対してlinearにbuild-upしていくものであり(thresholdが無い)、またoccipito-temporalの比較的限局した領域に限定されるので、上記のクライテリアを満たさない。これに対して、late componentは、刺激強度を大きくしていくと、あるポイントから突然シグモイドカーブを描きながらnon-linearに変化し、また脳内の広い領域をfeed-forward、feed-back式に巻き込んで、上記のクライテリアを満たすだろう、と。

つまり、target刺激の知覚強度を変化させていくと、ある閾値を超えたときに、non-linearな変化を示し、脳内の広い領域にpropagateしていき、これがERPのlate componentに反映されるのであろうと。

実験結果の詳細は省くが、大体以下のような結果だ。

(1)従来の報告通り、SOAを少しずつ変化させていくと、objective data、subjective visiblityの双方ともに、類似したbimodal、non-linearな分布パタンを示すこと

(2)SOAが約50ms( 33-66ms)付近になると、visiblityにnon-linearなtransitionが生じる。

(3)N2のonsetは、targetのonsetと相関しているが、N2のoffsetはmasingのonsetの影響を受けて変化している。これは、N2にのみ確認されており、N2のtime period(212ms以後)でtargetおよびmask stimuliに対するprocessingの競合が起きている可能性を示唆している。

(4)P1bのようなearly componentもbehavioral dataと相関しているが、上記のクライテリアを満たすERP componentは、P3だけである。

(5)seen、not-seen間では、targetを提示して約270ms後からsudden divergenceが生じる

(6)このP3を含む、約270-400msのtime periodでは、EEG活動は、両半球のfrontal〜parietal〜occipito-temporalを含む広域に広がっている

(7)ちなみに、not-seenでも、mask-onlyの条件と比較して有意に大きい活動があり、non-consciousな刺激に対しても脳内ではsubliminalなprocessingが進行している


相関関係は因果関係と同一ではないし、この実験で採用されたクライテリアが厳密にどこまで妥当なのかは追試と検討が必要かもしれないけど、意識のnon linearな特性を考慮した「相関関係」を職人芸的なERP studyにもちこんだのは面白い。それに、これまでERPによる意識関係の実験の意義が今イチ良く理解できなかったのだけれど、このnon-linearなふるまいとattentionとの関係とか、まだやれることはあると思う。

色々と考えることはあるが、それを実験デザインのレベルに落とし込めない自分にちょっとイライラする。

今日の音楽:Kazuya Kotani/Made in love(CD, 2007)
これは、かなり質の良いアルバムだ。思いつくキーワードを挙げてみると、organic、ambient、chill out、太鼓、虫、海、ジャングル、trip、africa、middle-east、琉球などなど沢山出てきて情景豊か。フィールドレコーディングの音素材も散りばめられているけど、わざとらしくなくて、「旅」って感じがよく出ている。多分、この人世界中の土地を歩き回っているんだろうなあ。chari chariほどアーシーではなく、calm程スピリチュアルでもない。このCDの控えめでノスタルジックな雰囲気は、和製blissと言ったら失礼かもしれないが、同じくらい好きだ。竹村延和とか、Up, Bustle and Outとか、色んなところで色んな人と共演してきた人らしい。

一昨日の映画:「ボルベール 帰郷」/ペドロ・アルモドバル監督
ペネロペ・クルーズが何だか神がかってて・・すごい。

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2008年1月 7日 (月)

あけまして

2008年一発目は、勉強ネタはなし。
いくつか、意識の神経科学、ネットワーク関連、書きたいことがあるけれど、それは次の機会に。

年末年始、徳島の実家に帰り、空海にちなんだ史跡をまわった。
これまでに色々と行った海外のどの国もよりも、感慨深い旅になった。

2007年の正月、僕は高校の友人と高野山の宿坊に宿泊して、奥の院の形容し難い静謐さに素直に感動した。奥の院の周辺は結界が張ってあって、誰であっても新たな精神のモードに入るという。そのちょっと前に、RT先生に「空海の夢」という希有な本を教えてもらった。あれ以来、完全に空海に心を奪われてしまった。そして、司馬遼太郎の「空海の風景」、夢枕獏の「沙門空海 唐の国にて鬼と宴す」などもを読んだ。「三教指帰」は今読んでいるところだが、これも興味深い箇所がいつくもある。。
「空海」熱がさめられない中、年末年始に四国に帰るということもあって、今回は、佐伯真魚が生まれてから「空海」となるまでの足跡を兄とたどってみた。

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四国八十八箇所 第75番札所 善通寺

空海は、従来、護岐国多度郡、現在の善通寺のある辺りで誕生したといわれている。一説では、真の出生の場所は、屏風ヶ浦というところにあり、ここに佐伯家の別宅があったのではないかとも言われている。幼名は真魚。空海は多度郡の郡司の子弟であったという。父は佐伯直田公で、母は阿刀氏。
境内には、幼少時の真魚が遊んだとされる巨木が残っている。
御影堂地下では、「戒壇めぐり」といって、「南無大師空海金剛遍照」と唱えながら、真っ暗の通廊を歩いて行く。長野の善光寺のお戒壇巡りほどの雰囲気はない(ここでは、子供が泣き叫んでいた)けど、アトラクション性はこっちが高いので、子供はよろこぶかもしれない。真っ暗な廊下を進むと、途中ににわかに明るい部屋に到着し、そこでは録音機から空海の生の声がきかれる(もちろんどこかの僧か声優の再現だ)

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四国八十八箇所 第71番札所 弥谷寺

ここは、空海幼少時の学問所と言われているところ。ここで、書字、漢学、儒教など当時の教養を学んでいたのだろう。また、真言密教の開祖となった後に再度来山して、ここで虚空蔵求聞持法を行じたという。 なかなか良い雰囲気の山寺であった。地元では、「死者の魂が集まる山」なんて言われているらしい。

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四国八十八箇所 第21番札所 太龍寺
ここは、昔から「西の高野」と呼ばれているらしい。

空海は18歳で大学で学び始め、20歳過ぎに大学を去り、山林での修行に入ったといわれている。僕的には、「偉大なるドロップアウト」の一つに数えられる、勇断だと思う。しかし、20代後半(延暦16年から23年までの7年間)にの空海の消息には余りに不明な部分が多くて、それが逆に僕らの空想をふくらませて面白いところだ。のちの「三教指帰」の序文には、「阿国大滝嶽に躋攀し、土州室戸崎に勤念す。谷響きを惜しまず、明星来影す。」という有名な一文があって、これをもって空海が阿波の太龍嶽での修行の後に、四国の東の海辺を巡って、土佐の室戸岬付近の御厨人窟で修法をなしたのだということが分かる。 
僕らは、寺から離れたところにある、まさに空海が修行を行っていたという巌棚まで行ってみた。ここには、平成5年に建立されたという「求聞持法御修行大師像」があり、東から上る明星の方角を向いている。おそらく、空海が修行をしていたのは、もう少し前にある人があぐらをかいて座れるくらいの小さな岩場だろう、と僕らは直感した。
ここから眺める風景も、山と空と海だ。
後で知ったのだが、実は立ち入り禁止だった。

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室戸岬のすぐ近くにある御蔵洞もしくは御厨人窟(みくろど)。

空海晩年の「御遺告」には、「土佐の室生門の崎に寂留す。心に観ずるに、明星口に入り、虚空蔵光明照し来りて、菩薩の威を顕し、仏法の無二を現ず。」とあって、ここでやはり何らかの宗教体験があったのだろう。一体、「のうぼう あきゃしゃ きゃらばや おんありきゃ まりぼり そわか」という虚空蔵求聞持法の真言を百万遍も唱えると、脳あるいは心理的にどのような事態が起きるのだろう?ある文献では、真言を100万回も唱えることにより、精神が澄み切った状態になり、一度見聞きしたことは一度にして覚えてしまうという。ここは、後日再考したい。

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室戸岬付近の丘からの風景。

ここで、ちょっと空想。「空海」という名は、御蔵洞での修法を終えた直後に起きた宗教的体験を通過した際に思い浮かび、突如としてつけられたということになっているが、一体どうだろうか?一方では、山林修行の時代から「空海」という名をつけていたという説もある。僕らが先に訪れた大滝嶽では、谷の向こうに海と空が広がっていた。また、四国の東の海岸を歩いていると、 人家は少なく、山、海、空だけの風景が延々と続く。司馬遼太郎の「空海の風景」によれば、昔は、この辺りは魔境のような土地とされ、まともな人が入り込むようなところではなかったらしい。佐伯真魚は虚空蔵求聞持法を行じながら、険しい海辺の路(辺路)をひたすら歩いていく。徐々に高まる何らかの変化の予感を抱きながら・・・。そして、最後に訪れる室戸では、ついに山と陸地は途絶えてしまい、突如として「空」と「海」だけの、恐らく当時の空海が見慣れていたものとは明らかに異質な風景が現前する。その室戸で、虚空蔵求聞持法の修法と、陸地での旅の終わりが重なったとき、自身を根底から変えるような何らかの強い体験が起きたのだろう。僕が勝手に想像するに、「空海」という名は、阿国大滝嶽から土州室戸へと虚空蔵求聞持法を行事じながら歩いた物理的、心理的な過程の中で徐々に芽生え始め、これら二つの過程のある一点への収斂という体験を象徴する、他にはあり得ない名前だったのだろうと思う。

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おまけ。これは、祖谷のかずら橋。
祖谷村にかずら橋は全部で三つあるけど、こっちは、西祖谷村にかかっている方の吊り橋。
ちなみに、祖谷(いや)村は、「四国のチベット」などと呼ばれているらしいけど、地元ではそんな呼び名は一切聞かない。それでも、秘境然とした風景は今でもちゃんと残っていて、アレックスカーのような外国人バックパッカーが当地の雰囲気や民家に感動して、住人が去った古民家を買い取って「ちいおり」というプロジェクトを進めている。

雪が降りしきる中で吊り橋を渡るのは少し怖かった。

今回の旅と帰省を通して、四国がもっと好きになった。

で、今年は昨年以上に頑張ろう。小さくてもよいから、何らかの変化を期待しながら。

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2007年12月30日 (日)

2007年

明日からしばらく徳島の実家に帰省。
予定は決めていないけど、香川の善通寺、室戸岬近くの御厨人窟、徳島の太龍寺など、空海にまつわる史跡をめぐってみようと思う。実家の猫たちに会うのも楽しみの一つ。

2007年の後半は色々なことがあってブログへの投稿ペースがかなり失速したけど、振り返ってみれば、これまで同じペースで相変わらず論文や本は読み続けていたとは思う。ただし、乱読、雑読ではあった。今年に入ってから読んだBuzsakiの"Rhythm of brain"とか、凄い内容だったなあ。時間があれば、あれはもう一度読んでみたい。insightに関する一連の研究で、意識への神経科学的アプローチが、決して間口の狭いものでは無いんだと思った。RT先生と一緒に書いた社会脳の総説をきっかけに、かなりの量の論文を読んだのだが、同じく総説を書く必要から調べたサヴァン症候群の研究とも重なって、今後は意識以外の諸問題の動向も追わなきゃ、と強く思った次第。あと、ネットワーク関連でSporns、Achard、CJ Stamらの研究をちゃんと知ったのも、大きかったなあ。social neuroscienceや、彼らのやっているようなネットワークサイエンスが精神医学の領域もでもはっきりとした潮流になるだろうなと確信はしているのだけど、2007年の後半に関しては、これらのテーマをいったん棚上げにして、とにかくEEGやMEGに関する実験デザイン、方法論を頭に叩き込むのに徹していた。
とにかく、来年からは自分でやらなきゃ。
あと、臨床については、何かと同僚に迷惑をかけた、反省点の多い一年だった。

ちなみに、今年一番の頑張りは、槍ヶ岳登山か。

51wjido9nol_ss500_音楽的生活については、とても充実した一年だったと思う。Hammock"Raising Your Voice...Trying to Stop an Echo"、Manualの"Lost Days, Open Skies And Streaming Tides"(2007)、Kettelの"Volleyed iron"(2005)、Halcaliの"サイボーグ俺達”(2007)、Blast Headの"Head Music"(2001)、レイ・ハラカミの"暗やみの色"(2007)などなど。

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2007年12月12日 (水)

change blindness

Pourtois G, De Pretto M, Hauert CA, Vuilleumier P.
Time course of brain activity during change blindness and change awareness: performance is predicted by neural events before change onset.
J Cogn Neurosci. 2006 Dec;18(12):2108-29.

最近は、visual perceptionに関するEEG studyの論文を読みあさっている。

これは、"change blindness"に関連したERP(event-related potentials) study。

change blindnessは、僕たちが日常生活で良く体験するもので、例えば提示された写真の内容にゆっくりと生じた変化に対してはしばしば意識的に知覚できないことがある、というもの。

change blindnessに関しては、これまでf-MRIを使ったイメージング実験が数多く行われている。特に、C.D. Frithのグループの