Date:2006年9月16日(土)〜9月25日(月) 現地8日間。 ルートと日程:僕のような社会人旅行者の参考のために旅のメモを。急ぎ足で以下のような足取り。成田(9/16 AM発)→Islamabad(Bangkok経由で深夜着、Rawalpindhiにて1泊、どこも満室ばかりで数軒あたった)→Gilgit(9/17の早朝Islamabadから軍用機に乗せられ約1時間。空港で拾ったタクシーでそのままKalimabadへ)→Kalimabad(別名Hunzaに15時に到着。Koshosun Guest Houseは日本人旅行者で満室のため、Old Hunza Innで9/17〜9/20まで3泊。とても居心地の良い宿。1日目はぶらぶら、2日目はUltar base campへのトレッキング、3日目はHoper氷河へのトレッキング)→Passu(9/20にKalimabadからPassu氷河へのトレッキングに出かけ、そのまま公共バスでSostへ)→Sost(18時到着、このPakistan側の国境の街にて1泊)→Khunjurab pass(9/21、NATCOバスで国境越え。Khunjurab峠は14時頃に通過。標高は4800mで、吹雪)→Tashkurgan(北京時間で18時着。Tashkurganの標高は3200m、入国審査を終えたところでジープをシェアしてそのままKashgarへと向かう)→Kara Kul Lake(カシュガルに向かう途中、北京時間で20時頃に通過、標高4000m)→Kashgar(9/21の深夜24時過ぎに到着。Qinibaghu hotelにて3泊。ゴキブリ異様に多し。2日目は旧市街をぶらぶら、3日目に日帰りでTaklamakan desertへ。)→Urmuqi(9/24、ウイグル自治区の首都。乗り継ぎのみ)→北京(夜着、トランジットで1泊)→成田(9/25 PM) Giding tools:「Lonley planet Pakistan&Karakoram Highway」と「旅行人 アジア横断」のコピーを持参した。「地球の歩き方 パキスタン」は絶版のため手に入らず。 付記:社会人がとることのできる9〜10日間という日程でも、カラコルムハイウェイを抜けることは十分に可能だと思う。今回、Kashgarを1日切り詰めたら、Afganistan国境のKhaibar峠にも行けたかもしれない。
バンコク経由のタイ国際航空で、深夜に到着した。ホテルの予約はしていなかったのだが、どこも満室で結局ぼったくりホテルに泊まる羽目に。この日は空港からのタクシーをシェアした男性と、ラワールピンディでカレーを食べた。久しぶりのカレーで美味しいのだが、いつまで飽きずにもつことか。これから、しばらくカレーとケバブの生活が続くことになる。彼は、翌日ハイバル峠に向かい、僕は北部パキスタンに飛んだ。
カラコルムハイウェイでみかけたパキスタン「名物」の、装飾過剰なトラック。車体に無数の鈴が着けられており、派手なだけではなく、うるさい。写真を撮るとき、ドライバーは誇らしそうにしていた。
ギルギットの空港でタクシーをチャーターし、カリマバード(フンザ)へ向かう。お金は無くとも時間はある学生時代とは、旅のやり方が変わった。「貧乏旅行」という言葉は嫌いだ。
カラコルム山系の谷間を縫うように走るカラコルムハイウェイの道沿いには、このような事故の光景もみられた。
ギルギットからカリマバードまでは、快適なドライブだった。
カラコルムハイウェイ。ギルギットを超えると、風景が変わり、カラコルム山系の山々が視界に入ってくる。
シルクロードの中国側からカシュガル、タシュクルガンを抜け、クンジュラブ峠を超えて、パキスタンに入るのが一般的なルートだけど、僕は日程の都合もあってこのルートを逆走した。道の片側は崖で落ちたらアウト、反対側も今にも落ちてきそうな岩がゴロゴロ。こういう道を、あり得ないようなスピードでひた走る。
2日目の14時頃にフンザに到着した。日本人の多いコショーサンゲストハウスに泊まろうとしたが満室のため、Old Hunza Innに変更。フンザの谷が一望できる、とても居心地の良いゲストハウスだった。日本人はおらず、西洋人のみ。一泊150ルピー(300円)くらいだったか。夜は、一つのテーブルを皆でワイワイと囲み、食事をとる。僕は英語が得意ではないなので、気後れしたものの、いい雰囲気だった。
到着後、フンザの谷をぶらぶらと散策。遠くに見えるのはフンザの象徴とも言うべき、バルチット城。標高がやや高めで、ここまで歩くと大分息がきれる。後ろにそびえるのは、ウルタル山。
バルチット城の近景。つい20年くらいまで、この城に藩主が住んでいたという。現在はツーリストのために開放されている。外から見ると岩肌むき出しの山に合っていて、いい景色なのだけれども、中はどうってことはなかった。ただし、この城のテラスから眺めたフンザの谷は圧巻だった。
宿に戻り、夕食までテラスで茫として過ごす。他のツーリストも、テラスや屋上に出て、思い思いに過ごしている。この頃になって、やっとフンザに来たんだという実感が湧いてきた。
夜、これほどの星が輝く空をみたのは、いつぶりだったろうか。天の川がカラコルムの山から山にかかっているのを、はっきりと見ることができた。カメラの三脚をもっていっていたのだけれども、なかなかうまく撮れない。夕食後にチャイを飲みながら、テラスでゆっくりと過ごす。昼間は半袖だったけれども、夜は冷え込むので長袖が必要だった。
早朝のフンザの谷。空には雲一つ無く、ラカポシやディランなどの6000〜7000m級の山々がはっきりと見えた。
朝食は、フンザ風オムレツとチャイ。油で揚げたようなオムレツだった。
3日目、ウルタル氷河までのトレッキングに出かけた。ガイドは地元で雇ったパキスタン人。一日1000ルピーとられたが、控えめで礼儀正しいひとだった。
バルチット城の裏手から渓谷に入ると、氷河の雪解け水が急流となり、行く手を阻む。登山はネパールのポカラ以来だったので、息がもたず、苦しい。あのときは道があったのだが、今回は、しばしば道がなくなり、ときに崖のような斜面を全身を使って登っていく。ときどき、川に落ちてずぶ濡れになる。しかし、パキスタン人のガイドは待ってくれない。
途中、ヨーロピアンのツーリストがでっかいバックパックを背負って下りてくるのにすれ違ったが、あのエネルギーは一体どこから来るのだろうか。
予定の3時間から大幅に遅れて、ウルタルのベースキャンプに(Ultar meadow)に到着。標高は4300mだと言っていたから、1500mくらい登ったのだろう。既に、足は限界にきていた。ベースキャンプは平らな草地にあり、ここには山小屋があって、夏場は地元の人が常駐している。お湯を湧かしてもらいチャイをすする。あったかくて美味しい。昼食はゆで卵とクッキー。遠くに見えるディランがまぶしい。
ベースキャンプでのんびりしていたら、ウルタルで雪崩が起きた。僕がいた場所からは大分離れているので全く問題なかったのだが、すごい音がして驚いた。
フンザ3日目、ホパール氷河のトレッキングに出かけた。
このような険しい道をジープで進み、フンザから2時間くらいで到着。この辺りの畑には、変なものが色々と生えていた。
ホパール氷河。巨大な灰色の氷河が延々と続いている。さらに、この氷河によって削りとられた岩肌がむき出しの谷が、はるか彼方まで続く。谷はシーンとして静かで、ときどき氷棚がきしみ、岩が崩れる音が響くのみ。当たりには僕ら以外に誰もいない。何となく、世界の果てに来たような感慨に陥る。
ホパール氷河からフンザに帰ってくると、既に日は落ちようとしていた。この日は夕焼けがきれいで、谷は毎日違った表情をみせる。毎日この時間はテラスに出て、谷を眺めながら過ごす。山には雲がかかり始めていて、翌日からは雨になった。
Old Hunza Inn。フンザでは停電が多く、ろうそくやランプは必須。宿の部屋はこざっぱりして清潔なのだけれども、毛布を使って寝たら全身が痒くなったので、シュラフで寝た。
宿のオーナーは勝新太郎に似たパキスタン人で、人が良く、とかく色々と気をつかってくれる。最近、日本人ツーリストが来なくなったことを嘆いていた。
パスーを過ぎ、中国との国境の街スストに到着。国境の街だけあって、うらびれた短い通りが一本あるだけである。他には見るべきところは何もないのだが、国境の街に泊まるのはいつも何だかドキドキしてしまう。
NATCOのバス。リクライニングシートで、冷暖房もついているとのこと。思ったよりもきれいだ。午前8時半に駐車場に集合したが、予想通り出国手続きがもたつき出発は10時を過ぎてからになった。
ここからタシュクルガンまで売店は無いので、スストで買ったクレープの皮のような食べ物を持ち込む。何とも言えない食感と、かすかに塩味がきいていて、美味しかった。
中国とパキスタンの国境があるフンジュラブ峠をバスで通過。ここに中国側の検問所(入国審査はタシュクルガン)がある。標高は4800mの高さで、僕が通過したときは吹雪いていた。高山病とまでは行かないが、少し頭が痛い。このあたりのパミール高原の景色は、雄大でずっと見ていても飽きなかった。ここから中国側に抜けると、突然道路の状態が良くなり、バスは猛スピードで進む。
タシュクルガンに到着したのは、北京時間で18時頃。タシュクルガンに泊まるつもりはなかったので、ターミナルで客待ちしていた4WDを旅行者5名(日本人2、韓国人1、スイス人2)でシェアし、そのままカシュガルへと向かう。料金は一人100元。
カラクリ湖を観光するには許可証が必要とのことで、今回は宿泊を断念。タシュクルガンから車を飛ばし、何とか日没に間に合い、カラクリ湖とその背後にそびえる伝説的なムスタフ・アタを拝むことができた。辺りにはキルギスのユルト(テント)がちらほら。
カシュガルの新市街は見るべきものは無いものの、旧市街は異国情緒に満ちた待ち歩きが楽しい街。路上で民族音楽を演奏するウイグル人(おそらく楽器店からお金をもらって、宣伝のために演奏しているのだろう)をみかけた。「ウイグル音楽はすごい」と噂には聴いていたが、実際に聴いてみると、太鼓、弦楽器2種類という非常にシンプルな構成にも関わらずうねるようなグルーヴ感があって、とても驚いた。演奏者のたたずまいの格好良さもあり、しばらく聴き入ってしまった。
僕はどの街に行ってもまず高台を探すのだけど、カシュガルには高台は無さそうであった。諦めつつもひたすら街を歩いていると、古びた観覧車があり、5元払って乗せてもらった。ここから旧市街を一望することができる。周辺の近代的なビル群の海の中に、明らかに異質な旧市街という小島が浮かんでいるようで、いつかは飲み込まれそうな心もとなさを感じる。
北京では古い亜町並みを手当たり次第壊しているようだが、カシュガルの旧市街も、近いうちに無くなってしまうのかもしれない。
確かに砂漠は砂漠だが、なんだかいまいちピンと来ない。大勢の中国人観光客が大声で叫びながらバギーを猛烈な勢いで乗り回している。ここは、写真で見るだけで十分だったかもしれない。ラクダに乗って、2時間ほどブラブラ。
屋台で食事。活気があって楽しい。ウイグル人のつっけどんで無関心な態度も良し。ウイグルの羊肉にはうんざりしていたのだが、屋台には羊肉以外の色んな料理が並んでいて、助かった。
夜、旧市街に出かけ、屋台を何軒かはしごして夕食をとる。色々な屋台があって、怪しげな料理も並んでおり、見ているだけで楽しい。ただしウイグル料理は羊肉料理ばかりで、あの匂いには辟易した。ナーンは、ゴマが散りばめられており、少し塩味がきいていて美味しい。喉が渇くと、メロンやスイカの屋台で口を潤す。ちなみに2日後からラマダーンの予定だったが、ツーリストは余り関係ないとのこと。
カシュガルにある、ウイグル地区最大のモスク。イランでもイエメンでも、モスクを訪れるなら夜が一番良かったので、ここでも暗くなってから入ろうとしたのだが、礼拝中とのことで、追い出された。
夕方になると、ゲストハウスに宿泊している旅行者は、きまってテラスに出て、ミルクティーなんかを飲みながら、谷に夕陽が沈んでゆくのを眺めている。
夏でも、太陽が沈むと、長袖が必要なくらい冷え込むこともある。
そして、夜になると、信じられないような星空が広がる。
大げさに言えば、空に天井があってプラネタリウムで映し出しているのかと思うくらいの、星空。