ここは、昔から「西の高野」と呼ばれているらしい。
空海は18歳で大学で学び始め、20歳過ぎに大学を去り、山林での修行に入ったといわれている。「僕的に偉大なるドロップアウト」の一つに数えられる、勇断だと思う。しかし、20代後半(延暦16年から23年までの7年間)にの空海の消息には不明な部分が多くて、それが逆に僕らの空想をふくらませて面白いところだ。「三教指帰」の序文には、「阿国大滝嶽に躋攀し、土州室戸崎に勤念す。谷響きを惜しまず、明星来影す。」という有名な一文があって、これをもって空海が阿波の太龍嶽の後に、四国の東の海辺を巡って、土佐の室戸岬付近の御厨人窟で修行をしていたのだということが分かる。
僕らは、寺から離れたところにある、まさに空海が修行を行っていたという巌棚まで行ってみた。平成5年に建立されたという「求聞持法御修行大師像」が、東から上る明星の方角を向いている。おそらく、空海が修行をしていたのは、もう少し前にある人があぐらをかいて座れるくらいの小さな岩場だろう。
ここから眺める風景は、山と空と海だ。
後で知ったのだが、実は立ち入り禁止だった。