2009年12月20日 (日)

collective dynamics of ethnic and cultural conflicts

(一部修正)集団意思決定というものを考えたとき、個人の意思決定やattitudeそれ自体は、社会的な系のふるまいに対して起因的な効果を与えるものではない場合が存在する。僕たちは、それぞれの信念にしたがってふるまい、社会や集団というものをある程度意識しながら行動を選択している。ときには、集団レベルの動向にあがなう方向にふるまうこともあるだろう。しかし、集団レベルでみれば、個々の意思決定によらないかのようなヒト集団の性とも言うべき、共同現象が生まれてくる。流行現象、選挙、宗教などが例として挙げられるだろう。collective unconsciousに関するykeno1さんのコメントに触発されつつ、動乱/紛争関連の論文をもう一つ。

May Lim, Richard Metzler, Yaneer Bar-Yam.
Global Pattern Formation and Ethnic/Cultural Violence
Science 14 September 2007: Vol. 317. no. 5844, pp. 1540 - 1544

ざっと読んだだけだが、これも非常に興味深い内容だ。例えば、資源の取り合い、経済的要因、少数エリートによる誘導、少数民族に対する圧制など、紛争の発生に寄与する因子は数多く存在する。しかし、これまでに同定された諸要因は国家的な要因であることが多く、紛争が発生した地域における地勢学的なダイナミクスをつぶさに検討した研究は少なかった。

ややこしいので結論から書いてしまおう。著者らによれば、異民族間の紛争が生じやすくなるのは、「複数の異民族が混在し、それらが地理的に中途半端な区分しかもたないとき」であるという。このとき、紛争の発生頻度と民族の混合度にはcritical point(臨界点)が存在する。すなわち、複数の民族が地理的にみて明確に区分されている(isolated:隔絶されている)場合や、同一地域内に完全に混ざり合っている(mixed)場合には、紛争が発生する頻度はむしろ低下するむ。一方、未だ明確な境界をもたないまでも、同一民族が徐々に集合し、異なる民族が互いに分離し始めたときに紛争が発生する頻度が最も高まるのだという。それは、あたかも民族の混合度に、isolation(安定アトラクター)とmixing(不安定アトラクター)という、アトラクターとも言うべき両極の状態が存在しており、そこから外れたときに局所の不安定性が一挙に高まるようだ。別の表現をするならば(著者も書いている通り)、「地域内における民族の混合度」が紛争の決定要因の一つであって、それは紛争ダイナミクスの"order parameter"(少数で系全体のふるまいを支配するパラメーター)としてふるまっているのだと言えるだろう。こうした現象は、chemicalな相転移とも類似しており、様々なシステムに一般化できるのだという。

このような結論は、セルオートマータのような幾何学的モデルによって導かれている。まず、モデルでは、インドとユーゴスラビアにおける実際の民族分布地図が使用されている。実際の地理的条件を2Dで再現し、2つの民族が混在する初期条件を設定した上で、「各ユニットは、自身と同じ民族と合流しようと移動する」という単純なルールを設ける。こうした移動を何度も重ねてシミュレートしていくと、いくつかの地域において徐々に同一民族が集積し、他とは区別される「パッチ」が出現し始める。それらは、徐々に安定した形態を取り始めるのだが、一定のサイズに達したパッチの中には周囲を異民族に囲まれたもの(red patch)が出現し始める。そして、この2Dモデルと実際の紛争地図を重ね合わせてみると、red patchと実際に紛争が起きた地域がかなりの正確さで一致していたというのだ。実際の図をみてみると、モデルと現実は出来すぎたように重なり合っている。そして、ここでも、パッチのサイズなどにベキ乗則が現れている。さらに、インドとユーゴスラビアの例でみる限り、異民族のパッチ10kmが以内に混在していればmixingとして十分であり、100kmの以上離れていればisolationとして十分であったという。

例えば、僕は北インドを2回程旅したことがあるが、紛争や暴力事件が頻発し旅行者にとって旅がしにくい地域は、多くの場合、異民族(民族的、文化的、宗教的に)が混在し、政治的に不安定な箇所であった。イエメンにも同じような地域があった(現在もなお、部族制度が存続している)。バルカン半島を旅したときには、サラエボ市街の銃弾の跡は生々しかったが、街はいたって静かで、国際的、政治的な線引きのものとで、ある程度のisolationが達成されていると感じた。しかし、それでもいつ紛争が再び勃発するか分からない状況ではあるのかもしれない。ただし、モデルにはそぐわない現実も存在する。一定のisolationが達成されているにも関わらず紛争が絶えない地域として、キプロスなどが挙げられよう。キプロスは、ギリシャ系とトルコ系で島がほぼ半分ずつ隔離されているが、幾度となくconflictが起きている。推測ではあるが、短期間で人工的に作られた境界と、長い時間をかけて自然発生的に生じた境界とでは、集団のダイナミクスに与える影響が決定的に異なるのかもしれない。カンボジア、朝鮮半島、イスラエル/パレスチナ、イラク、アフガニスタン、アフリカなど、こうした例外は探せば探すだけ、みつかるだろう。

いずれにしても、紛争を美化する気はない。それでも、この研究が導いた結論に対して少々つっこんだ見方をしてみよう。一つは、「紛争が民族間の分離を促進する」という意味で、かつて(歴史上、まとまった社会的ルールが出現するまで)の人の環境においてはadaptiveな側面をもっていたのかもしれないということだ。それは、ユングが指摘したarchetypeとして種に保存されているinvisibleな傾向のようなものなのかもしれない。もう一つは、紛争や戦争を個人の主観的な意思決定の問題として片付けるだけでは、おそらく不十分であるということだ。しかし、僕らは悲観的にならないでもよいのかもしれない。著者らも述べていることだが、このモデルは紛争を減少させる際の一つのヒントとなるかもしれない。すなわち、十分なmixingか、十分なisolationが達成されれば、紛争の頻度が減少する可能性があるということだ。現実に目指すべきは、前者であろう。そして、それは個人の意思決定に働きかけるのではなく、強大な力と社会的意思によって介入しなければ実現しないことであろう。

それでは、革命やクーデターは、どのように捉えることができるのだろうか?両者とも、少数の強大な影響力をもった個体が、他者を巻き込みながら大規模な事象をmotivateし、駆動しているようにみえる。しかし、このような論文を読むと、たとえカリスマ性をもった革命家でさえ、いくつかの状況要因によって準備され、promoteされ、あるいは「作られている」のかもしれない。押井守の作品を思い出しつつ、そんなことも考えてみた。

612q4gwr3bl_ss500_今日の音楽Harold Budd/Avalon Stra

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2009年12月18日 (金)

Common ecology quantifies human insurgency

最近、寝る前にマーク・ブキャナンの「歴史はべき乗則で動く」という文庫本を読んでいたのだが、タイミング良くNature最新号に興味深い研究が掲載された。

Juan Camilo Bohorquez, Sean Gourley, Alexander R. Dixon, Michael Spagat Neil F. Johnson
Common ecology quantifies human insurgency
Nature 462, 911-914

1816年から1980年に起きた戦争における死傷者の分布がベキ乗則に従っていることが、最近の研究で示されているらしい。個人的にはそれだけでも興味深い事実だが、この研究はさらに、violent eventsの規模や発生時期が、異なる時期の異なる暴動(insurgency)でも同じようなパターンを示すことを報告しているようだ。アブストだけなので正確な内容は分からないが、彼らは、暴徒の発生を、「共通の意思決定プロセスに従う集団が自己組織的に発生するプロセス」としてモデル化しているようだ。要は、戦争や暴動も複雑ネットワークにおける創発的な現象として一般化できるということか。さらに、こうしたモデルは、市場経済のそれとstrikingな類似性をもつんだそうだ。とは言え、最近の戦争について言えば、少なくとも開始当初は非常に統制されている感があり、やや様相を異にしているようにも思える。
面白そうなので、週末に読んでみよう。

以下、Natureの紹介文。

Many seemingly random or chaotic human activities have been found to exhibit universal statistical patterns. Neil Johnson and colleagues use detailed data sets from conflicts, including those in Afghanistan, Iraq and Colombia, to show that insurgent wars fit into this category, sharing common patterns with each other and also with global terrorism.

20091101212357_2今日の音楽:Helios/Unleft (Album)
Heliosの最新作。CD化されているか不明で、itunesで購入。Cross the oceanというトラックが秀逸。

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2009年11月22日 (日)

Randomnessについて

Huettel SA, Mack PB, McCarthy G.
Perceiving patterns in random series: dynamic processing of sequence in prefrontal cortex.
Nat Neurosci. 2002 May;5(5):485-90.

最近は、conscioiusnessそのものよりも、implicitもしくはsubliminalなプロセスに興味があり、色々と調べていた。少し古めではあるけど、最近読んだ中で最も印象に残った論文がこれだ。

前置きとして、次のような実話がある。イタリアのベネチアでは、1から90までの数字を選択して賭けるという数字選択式宝くじが行われているという。ある時期、この宝くじで、「53」という数字がしばらく出ていないことに気付いた人たちがいた。そして、その後ほぼ2年間にわたって「53」が一度も出なかったことから、「53」が出る確率が回を重ねる毎に高まっていると多くの人が感じたという。その結果、この不出の「53」を狙って熱狂した人が続出し、その中には家族の貯金を無断でつぎ込んだり、妻と息子を撃ち殺して自身も自殺を図ったものもいた。2年後にやっと「53」が出る日までに国内でつぎ込まれた金額は35億ユーロにも及んだという。

当然ながら、このくじで各数字が出現する確率は全て均等である。そして、次の当選結果が過去の結果によって影響を受けることなど決してない。したがって、「53」という数字が出ていないからといって、「53」の出現率が上昇するなどということはあり得ない。それでも、多くの人が「53」という数字が目下のところ「hot number」であると信じてしまい、莫大な金額を費やしてしまったのだ。

ここまでではなくとも、多くの人が同様の体験をしたことがあるのではないだろうか。たとえば、コイントスを連続して行った場合に、表が連続して5回出たとしよう。このとき、6回目に表が出る確率も裏が出る確率も、同じ1/2である。しかし、多くの人は6回目に裏が出ると予測してしまう。コイントスの連続試行は、各事象が互いに独立したベルヌーイ試行(2つの値をとる独立な確率変数からなる確率過程)であるから、このような「偏った」予測はヒトの意思決定の文脈においては「誤謬 fallacy」として捉えられる。また、ランダムな事象に対する主観的な確率の偏りは、実験環境だけでなく、カジノやスポーツなどの現実的な状況でも確認されている。

ある事象に対する主観的な確率と実際の確率との間にみられる解離については、1825年にラプラスが指摘したのが最初であると伝えられている。以来、ヒトがランダムネスをどのように捉えているのかという議論は、現在まで続いている。認知心理学ではマルコフ過程などでモデル化してはいるものの、現在のところ結論めいたものはみられない

一見したところ僕たちの周囲は、ランダムな現象に満ちている(そうでないという人もいるかもしれないが)。上で述べたような事態は、ランダムな事象に対して僕たちが非常に頑健なバイアスをもっていることを示している。言わば、ランダムな現象の中にも一定のパターンを半ば自動的に見いだしてしまうのだ。心理学者の中には、僕たちが事象系列の中に「純粋」なランダムネスを知覚したり、あるいはランダムなシークエンスを自ら生成することなど不可能であるという意見もある。実際に、被験者にベルヌーイ過程を作らせてみると、同一の結果が連続する頻度が余りに少なく、かわりに二つの事象が交代する頻度が多くなってしまうという傾向が報告されている。

以上で前置きは終わりとして、本題に入ろう。この論文は、ベルヌーイ試行を延々と提示し、key pressでレスポンスさせた際の反応時間とBOLDを計測した実験だ。実際の実験では、丸と四角からなるbinaryな試行系列を提示するのだが、特筆すべきは1800回もの試行を連続して提示している点である。恐ろしくシンプルであるが、これは、結果の解析や被験者の負担から考えれば、実際の実験で行うには非常に大変なことだ。しかし、提示した事象系列が(限りなく)ランダムであると宣言するには、これ以外の方法はあり得ないのだろう。

この実験で提示したようなベルヌーイ過程では、しばしば同じ結果がn回にわたって続くという"streak"が偶発的に出現する。当然、被験者は、提示される系列がランダムであることを告げられてはいる。しかし、streakのように秩序だったパターンが局所的に出現すると、ランダムだという前提がいとも簡単に破られてしまう。高頻度刺激と低頻度刺激を混ぜたoddball taskの反応時間の結果から予測されるように、この実験でもstreakが長く続けば続くほど、それが終了した場合(violation of streak)の反応時間が延長していた。また、程度の差はあれ、同じ結果が連続するrepeating pattern(○○○○○○)でも、丸と四角が交代して出現するalternating pattern(○□○□○□)でも同様の結果であった。

fMRIでは、violation of repeating patternの際には、middle frontal gyrus(MFG)、inferior frontal gyrus(IFG)、inferior frontal sulcus(IFS)、anterior cingulate gyrus(ACG)、insular cortex(INS)、basal gangliaなどで強い活動がみられた。また、violation of alternating patternの際には、MFG、IFG、IFD、ACGなどで強い活動がみられたが、basal gangliaが賦活されたのはviolation of repeating patternの場合だけであった。また、ROI analysisでは、right IFSのBOLDレスポンスは、streakの長さとmonotonicに相関していたという。

この実験は、神経機構も含めて、僕らに生得的にそなわったバイアスの一側面を検証したものであることは疑い得ないだろう。注意すべきは、この実験は、デザイン上、ランダムな事象に対するpredictionというよりは、perceptionの過程をみている点である。また、そこでみられるプロセスは、implicit learningと似ていなくもないが、提示した事象系列に隠れた規則が存在しないという意味では、両者は本質的に異なるものだ。また、この実験ではstreakという局所的なパターンに対する学習と知覚の過程をみている点も異なる。にも関わらず、implicit learningの際に賦活される領域と重なる部分が少なくない。つまり、implicit learningと同様のsubliminalかつautomaticな学習過程が、このような単純な事象系列に対しても進行しているという可能性は大いにに考えられるだろう。

この実験の結果をいたずらに敷衍することは避けたいが、やはりそうしてしまうのが僕の癖のようだ。なので、ここからはややspeculativeに。

ヒトがランダムネスに対して示す強いバイアスは、従来の意思決定の文脈で指摘されてきたように、はたしてmaladaptiveなものなのだろうか?このようなバイアスは実験環境だけでなく、実際に生活においてもみられる頑健な傾向であり、heuristicsの文脈で考えれば、むしろ自然環境においては何らかの適応的な意味をもっていたという可能性も十分に考えられるだろう。ヒトを含む動物は、事象をただ知覚するなどということはなく、常に将来の予測を行っている。言わば、将来に対する「構え」は、常に生成され続けているのだ。そうでなければ、混沌とした世界を生き抜いていくことは、難しくなるだろう。そして、そこで行われる構えや予測は、潜在的な場合もあれば、(今回書いたように)顕在的な場合もあろう。今のところ確かめようがないが、このようなバイアスがむしろ適応を高めるような何らかの事態が存在するかもしれない。また、コイントスのようなベルヌーイ過程は、動物が暮らす環境から考えればむしろ特殊な事態で、世の中で起こるほとんど事象は互いに相関し合っていると考えた方が自然かもしれない。進化心理学の分野でどのようなことが言われているかまだ調べてはいないが、興味深いところだ。

ちなみに、このブログを更新していないと、ときどき、知り合いから「生きているか?」と聞かれたりするが、えーと、ちゃんと生きています(笑)。興味の方向性が少し変化したのと、諸々の事情で2ヶ月ほど更新しない期間が続いたが、これからもときどき更新していく予定だ。この間もコメントをしてくれた人に、感謝している。

最近の音楽:
Library tapes/Feelings For Something Lost(CD)
Library tapes/Alone In The Bright Lights Of A Shattered Life(CD)
Library tapes/Sketches(CD)

最近は、Library tapes、Goldmund、Max Richter、Harold Budd、Peter Broderick、Hauschkaなどのコンテンポラリーなピアノソロの音源ばかり聴いている。

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2009年8月29日 (土)

生理研トレーニングコース

8月24日から28日まで岡崎の生理学研究所で行われたトレーニングコースを受講してきた。現在、僕のEEGの実験はいったん休止中であり、秋からfMRIの実験を行うことになるため、知り合いの先生に勧められて参加。今回受講したSPM 8による解析に関する今回の講義と実習は、ほとんど素人の僕にとっては非常に勉強になった。これまでERPやdipoleなど、EEGの解析のことばかり勉強していたので、fMRIの解析に関してはほとんど無知であったが、非常にバランスのとれた講義で、実験デザインの組み方に関する講義もあり、これらもEEGやMEGの実験と異なる点がよく理解できて、非常に参考になった。

今回のトレーニングコースでは、同じような志向をもった研究者や同郷の先生との交流もあって、有意義だった。3日目の夜に行われた交流会では、僕が脳科学をやろうと思うきっかけにもなったpooneilさんもいるかなーと思って探してみたけど、見つからず。JNSの準備でかなりお忙しいとのことで、会場でお会いできればと思う。

9月末には引っ越しでバタバタ。秋からの研究先と勤務先を考えて無謀にも東京のど真ん中に引っ越す予定だ。

現在読んでいる本
Ran R. Hassin, James S Uleman, John A. Bargh ed. "The New Unconsciousd"(Oxford press,2009)
perception、decision making、action、social cognition、emotionなどにおけるconsciousnessとunconsciousness、consciousとsubliminal、explicitとimplicitなプロセスを対比的に述べた内容。各項目の著者も、Elizabeth A. Phelpsとか、Djiksterhuis、James S. Ulemanなどなかなか興味深い面子。

以下、インドでの画像

久しぶりの更新で、ごたごたとした内容ですみません。

今日の音楽:Goldmund/Corduroy road (CD)
このところ、Goldmundばかり聴いている。

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2009年8月 1日 (土)

ヒマラヤ

うーん、書くべきことは沢山あるはずなのだけれど、書こうとするときにはもはや自分が書きたいとは思っていないことに気付くような状態だ。

このところ、consciousnessの神経機構に関する研究は一段落しているように思える。もちろん、Dehaeneらのグループがいくつか論文を出しているが、late phaseにおけるwidespread synchronizationが必要条件であるという結果は、これまでの彼らの主張と大きな違いはない。consciousnessの神経機構に関する論文が減っているのは、方法論的もしくは技術的な壁に当たっているからなのか、それともneuroscience of consciousnessという潮流が消退傾向にあるからなのか、余りはっきりしない。もしかしたら、僕自身が実験デザインを考えなければならないという現実的な理由から以前ほどのペースで情報を追えていないからなのかもしれない。consciousnessを実験的に扱うための技術的、倫理的な壁を超えるのが困難な状況において、ブレイクするーが期待されるが、今後の方向性としては、やはり計算論的モデルの洗練に進んでゆくだろう。

とは書いたものの、少し前から強い関心を抱いているテーマとして、conscious processingとunconscious processingの対比だ。decision makingしかり、volitionやmotivationしかり、あるいはlearningしかり、social cognitionしかり。およそあらゆる認知プロセスに関して、consciousとunconsciousもしくはimplicitとexplicitという対比が可能であり、このような知見を延々と積み重ねることにより、最終的にconsciousnessの本質的な役割が一体どういったものであるかが見えてくるかもしれない。ただし、consciousとunconsciousの対比は当然のごとく古典的なテーマで、決して新しいものではない。ただし、昔からsubliminal primingなどを使ったbehavioral studyは無数にあるが、neuroimagingでこのような問題を正面から扱った研究はまだそれほど多くはないのが実状のようだ。最近になって、neuroeconomicsを通過することにより極めて洗練されたタスクを使ったfMRI実験なども出てきており、それは僕的にはかなり興味深い内容ではあった。

以下、関連論文。

Kuo WJ, Sjöström T, Chen YP, Wang YH, Huang CY.
Intuition and deliberation: two systems for strategizing in the brain.
Science. 2009 Apr 24;324(5926):519-22.

ゲーム理論のタスクを巧妙に使ったfMRI study。何というべきか、どうやったらこういうタスクを思いつくのだろう?必ずしもconsciousとunconsciousを比較したものではないが、thought processにおけるexplicitな面とimplicitな面をうまく比較している。

Pessiglione M, Schmidt L, Draganski B, Kalisch R, Lau H, Dolan RJ, Frith CD.
How the brain translates money into force: a neuroimaging study of subliminal motivation.
Science. 2007 May 11;316(5826):904-6. Epub 2007 Apr 12.

これは、neuroeconomics的なタスクとこれまでのconsciousnessに関する電気生理学的研究で多用されてきたsubliminal primingを組み合わせた研究。スマートだ。

Aarts H, Custers R, Marien H.
Preparing and motivating behavior outside of awareness.
Science. 2008 Mar 21;319(5870):1639

behavioral study。hand gripの強度をobjective measureとしている点が参考になった。

Yamada M, Decety J.
nconscious affective processing and empathy: an investigation of subliminal priming on the detection of painful facial expressions.
Pain. 2009 May;143(1-2):71-5. Epub 2009 Feb 28

social cognitionにおけるconscious processとunconscious processを比較した研究。social cognitionはほとんどの場合、unconsciousなプロセスが大部を占めているように思われ、重要な研究だと思う。

Pessiglione M, Petrovic P, Daunizeau J, Palminteri S, Dolan RJ, Frith CD.
Subliminal instrumental conditioning demonstrated in the human brain.
Neuron. 2008 Aug 28;59(4):561-7.

これも、タスクが非常に巧妙だ。implicit learningは心理学の分野では古典的なテーマのようだが、このあたりはmathematical modelが充実していて、model basedな研究が多い傾向がある。

この辺りで、僕も色々と考えてみたい。というよりも、タスクを考えてないといけない。

ちなみに、現在夏休みで、明日からインドヒマラヤでのトレッキングに出かけてくる。花の谷に加えて、ヘムクンド湖、Kedarnath、Badrinath、Haridwarなどのヒンドゥーの聖地を回ってくる予定。

帰国してしばらくしてから、生理研での1週間のトレーニングコースを受講する予定。

今日の音楽:Goldmund/The malady of elegance (CD, 2008)
最近気に入っている音。piano ambientとかminimal pianoなどと称されるGoldmund。恐ろしくシンプルで、余白の多い音景だ。精神的に余裕が無い状態で聴いたら耐えられないかもしれない。頭が冴え渡っている状態だと、おそろしく退屈だろう。それでも、日曜の午後3時くらいに虚脱した状態でこういう音楽を聴いていると、色んなことがどうでもいいように思えてくるのではないかと思う。

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2009年6月 4日 (木)

Apple tablet?

Itablet_2iTablet

たとえば、荷物が多くなりがちな長期の旅で大量の論文を読むのに適した携帯情報端末はないだろうか。

最近、Mekentosj社がPapersのipod toughあるいはiphone向けのアプリを出したので、僕もすぐに購入した。未読論文がたまるにつれて常に大量のA4論文紙を持ち歩くようになってしまったので、もしもipod touchで論文を読むことが出来れば非常に便利だと思い購入したのだけれど、実際のところはほとんど使用していない。当然予想はしていたことだが、ipodの小さな画面は論文を読むには小さ過ぎるのだ。ipodだと、現行のモデルの2倍くらいの画面でないと、論文や電子ブックを読むための端末としては使用しにくい。せいぜいカンファレンス中に調べものをしたり、あやふやな自分の記憶の根拠をときどき探したりする程度の使用頻度だ。しかし、後に書いたような、来るべき日を迎えるための参考経験にはなった。

それじゃあ、現時点でipod以外に論文を読むのに適した携帯情報端末はないだろうか?できれば、もっと大きな画面でストレスなく論文を読みたい。そして、長時間の連続使用に耐えうるものがいい。僕が今使っているMac Book Proは論文を読むには重すぎるし、目が疲れてしまう。可能ならばインターフェースはできるだけシンプルに、つまりキーボードは必要ない。ipodに採用されているようなタッチパネルでもいいし、ここで紹介されているようなマルチタッチインターフェースなんか採用されたら最高だ。いずれにせよ、現行のノート型PCは僕らが望むような携帯情報端末としては無駄が多過ぎる。一つの候補は大型の電子ブックだが、「電子ブック」というコンセプトは自由度が低くて僕はどうも好きになれない。

しかし、この何年か話題にのぼることが多くなった電子ペーパーの技術は気になるところだ。少し前にAmazonがKindleを、富士通がFLEPiaという電子ペーパーを採用したA4型カラー情報端末の販売を開始したことは、記憶に新しいという人も多いだろう。電子ペーパーだと動画は再生できないけれど、液晶やLEDのような反射光がないので目が疲れないし、画面の書き換え以外はほとんど電力を消費しないので連続使用時間が非常に長く、長時間のフライトなどで論文を読むには最適だ。しかも、とても軽い(FLEPiaだと、なんと360g)。残念ながら現時点では欠点も多い。例えば、書き換えの速度が遅くて快適に論文を読むにはほど遠い。デザインはこの上なく今イチな上に、値段も個人で購入するには10万円近くするし、OSは悲しいことにWindows CE 5.0だ。電子ペーパーが、僕らのセカンドマシンとしての情報端末にモニターとして搭載されるようになるには、まだまだ技術的な課題が多く残されているようだ。

以上は前置きで、以下が本命。僕が真剣に気になっているのはApple社の来るべき新製品、しかも従来のラインとは全く異なるコンセプトをもったマシンの発表がそろそろあるんじゃないかという噂。色々な憶測が飛び交っていて、眺めているだけでも楽しいのだが、僕がかねてから気になっているのは、"apple tablet"と呼ばれるtablet型の機種に関するだ。ipodやiphoneのチームから大量の技術者がこのプロジェクトに移動したとか、ASUSという会社が商品開発に協力しているとか、最近tablet PCに関する特許を取得したとか、なかには500〜700$の価格帯が想定されているなど、とにかく色んな噂が飛び交っている。web上では、apple tabletのデザインコンテストも勝手に行われていて、なかなか興味深い。少なくともこの何年かにわたってAppleがtablet pcの研究を行っていることは間違いないようだけれど、注意すべきは、apple tabletに関する噂は以前から出ては消えたを何度も繰り返してきたということだ。過去にNewtonで大きな挫折を味わっていることもあり、商品化に対しては非常に慎重にならざるを得ないのだろう。しかし、AmazonがKindleを出し、SONYがLIBRIEを出したことで、そろそろ機は熟しつつあるように思える。

仮に、apple tabletが発売されるとして、それがipodのハイエンド版のようなものとなるのか、それともmac bookのtablet版となるのか僕には予想もつかないけれど、いずれその日は来るだろう。既に多くの人がセカンドマシンやサードマシンをもつような時代になっている。Appleが出すであろう新たな情報端末は、革命的なものであってほしいし、そうなると期待している。楽しみだ。

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2009年5月28日 (木)

The value of believing in free will

今回は、いつもと少し毛色の違った論文をメモ。moralとかdecision making関連の論文を読んでいる際にreferされていた論文だ。論文のテーマは、「自由意志」。しかし、自由意志の問題そのものではない。

自由意志は存在するか?volitionやmotivationについては色々と研究されているが、自由意志やtop-down causalityともなると、神経科学者や哲学者の態度は様々だ。因果的に閉じた世界を前提とするならば自由意志の余地は存在しないし、一方でVarelaやThompson、Freeman、Hakenのように対称ではないbidirectionalなcausalityを認めようと模索する立場もある。自由意志の問題は、それ自体疑似問題とする立場もある。しかし、僕らの行為には必ず何らかの神経活動パタンがともなっていることを神経科学が明らかにしてきたという意味では、極めて大局的に、しかも乱暴に言えば、自由意志は存在せず決定論な行為を支配するという世界観の方が優勢と言えるだろう(Libetが行った実験以降、無数の議論はあるが)。一方で、素朴心理学の上では、「少なくとも、行為主体の主観においては自由意志が存在する」という反論も可能だ。しかし、僕らの自由意志に対する主観的な態度は、考えられているほど堅固なものではない。科学的知見というのは少しずつ、ときに劇的に僕らの世界観を浸食していくものだ。実際、近年行われたmeta-analysisでは、「僕らの行為が自身の内的要因に起因する」という自由意志の存在を支持する信念から、「様々な外的要因による帰結だ」と考えるような決定論的な方向へとシフトしているそうだ(Twenge et al, 2004)。この調査研究は、"Locus of Control scores"という古い評価尺度を使って、僕らが経験する行為上の帰結が、internal(personal) factorsとexternal(situational) factorsのどちらに起因するのかという信念の経時的変化を調べている。1960年から1990年までの30年で、対象者がexternal factorsを選択する傾向が著しく増加しているという。当然ながら、このような行為観の変化をもたらした要因は神経科学の知見だけではない。しかし、1980年代以降、神経生理学やfMRI、EEGなどのneuroimaging methodを使ってありとあらゆる心理的なプロセスの神経機構が研究され、その中には従来のnaiveな信念を覆すような知見もあり、そのような知見が今後僕らの行為観や行為そのものにどのような影響を与えていくのかという予測は、それなりに興味深いものではある。

Vohs KD, Schooler JW.
The value of believing in free will: encouraging a belief in determinism increases cheating.
Psychol Sci. 2008 Jan;19(1):49-54

この研究は、自由意志もしくは決定論に対する信念が、僕らのmoral behaviorにどのような影響を与えるのかという問いを調べた心理学研究だ。

実験1では、被験者にまず決定論determinismを強く示唆するテキストかニュートラルなテキストのどちらかを読ませる。ここで被験者に読ませるテキストとして、なんとCrickの"Astonishing hypothesis"が採用されている(当然、こういう形で使用されるのはCrickの本意ではないと思うが・・)。"Astonishing hypothesis"のテキストの中から数ページを抜粋する形で、anti-free-will conditionでは「自由意志は錯覚に過ぎない」という内容が書かれた箇所を読ませ、neutral conditionでは意識について書かれているが自由意志の問題については触れられていない箇所を読ませる。その後、Free Will and Determinism scale(Free willに対する信念を測定する評価尺度)とPositive and Negative Affectivity Schedule(moodがpositiveかnegativeかを測定する評価尺度)という評価尺度をとった上で、被験者に算数の課題を解かせる(被験者には正答1問につき1ドルの報酬が割り当てられる)。この研究では、被験者が課題を解く際に、受動的もしくは能動的にcheatすることができるように実験環境が組まれている。具体的な手順は以下の通り。プログラムミスを装って本来は提示されないはずの解答がディスプレイ上に提示されるように仕組まれており、被験者は特定のキーを押すことによってこのようなミスを回避して、真面目に課題に取り組むよう実験者から指示される。つまり、被験者はキーを押すことで正直に課題に取り組むことができる一方で、キーを押さずに「ずる cheating」をして解答を不正に入手することも可能なのだ。また被験者は、「実験者は被験者がキーを押したかどうかは知り得ない」こと(実際はそうではない)や、「プログラムミスはあるものの"honestly"に課題に取り組むよう」に実験者から指示される。

結果としては、Crickの自由意志は存在しないというテキストを読ませたanti-free-will conditionにおいて、cheatingを行った回数が有意に多く、Free Will subscaleとcheatingの回数が逆相関していた。また、cheatingの回数とmoodとの相関はみられなかった。

上記の実験1では、被験者がキープレスという積極的なアクションを起こさなければcheating行為とみなされてしまうという意味において、"passive cheating"をみていると言える。これは、コンビニでおつりを多くもらったのに、申告せずそのままもらってしまうという行為に近い。これに対して、実験2では自由意志もしくは決定論的な信念が積極的なcheating behaviorにも影響を与えるかという点を調べている。ここでは、自由意志を支持する内容の短い文章(free-will condition)、決定論を支持する内容の文章(determinism condition)、どちらにも関係がない内容の文章(neutral condition)を複数の被験者からなるグループに読ませて、その後に文章理解、数学、推論課題からなる課題のセットを解かせる。ここでも正答1問につき1$の報酬が被験者に支払われる。それぞれのconditionに対して、cheatingが可能な場合とcheatingができないグループに分けられ、cheatingができないグループの報酬総額をbaselineとして、cheatingが可能なグループの報酬総額と比較している。手の込んだことに、cheatingが可能なグループでは、課題が開始される際に実験者の携帯が鳴り、急用のために実験者がその場をいったん離れてしまう。しかし、被験者はそのまま課題を解くように伝えられる。その後、被験者の回答は、実験者が所有することは認められていないとの理由で、シュレッダーにかけられる。これは、誰がcheatをしたかどうか特定できないようにするためだ。

cheatingが無ければ、被験者グループに与えられた報酬の総額は変化しないはずだ。実際にneutral conditionとfree will conditionでは報酬の総額に差がみられなかったが、determinsim conditionでのみ報酬総額が有意に増加しており、cheating頻度の増加が推測された。注意すべきは、解答用紙は実験者が目を通す前にシュレッダーにかけられてしまうので、個々の被験者のスコアは分からず、cheating行為は報酬総額から間接的に推測されていることだ。ただし、これはcheatingを行う上でのanonymityを維持するために必要な手続きだ。また、determinismがcheating行為に寄与しないのであれば、cheating可能なグループとそうでないグループに差はみられないはずなのだが、実際は有意な差が確認された。

以下、感想。condition間の神経心理学学的な水準が正確にマッチされているかどうかはっきりしない点が気になるものの、神経科学の知見と行為もしくは行為観の関係を調べたという点は面白い。彼らが出した結果は、神経科学者にとって余り心地よいものではない。当然ながら、この研究は、自由意志が存在するかどうかという問題に答えるための研究ではない。また、考察でも触れられているが、決定論に対する信奉が、amoralな行為を因果的に導くのか、それとも単なる「言い訳」として正当化されているだけのかということも分からない。気になるのは、神経科学の知見が、誇張、煽動、ときに偽った形で伝えられていることだ。こういう問題は、精神医学の領域でもかなり目立つ。神経科学の研究で得られた知見が僕らの行為に何らかの「負」のインパクトを与える可能性があるという意味では、科学的知見をどのように伝えていくかという問題は、伝える情報の正確さとともに、慎重さも必要かもしれない。それにしても、Crickの本のインパクトの何と大きいことか。

今日の音楽:Monolake "Gobi" (MP3 dl from itunes store)
34分もの長いトラックは、noise + field recording +打楽器少々という組み合わせの中では、クオリティがかなり高い。

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2009年5月 4日 (月)

consciousness and decision making

41ivwgbgll_ss500_最近、読んでいる本。

Engel C, Singer W ed. Better than conscious. Decision making, the human mind and implications for institutions (Strungmann forum reports). MIT press, 2009

Wolf SingerとChristoph Engel(この人は知らない)が主催したStrungmann forumの講演内容をまとめた本。僕はこのフォーラムについて詳しく知らないが、サイトをみる限り、学際的な対話を目指して各領域の研究者を集めて毎年ドイツで開催されているようだ。SIngerらが担当したこのフォーラムは、consciousnessとdecision makingがテーマで、implicitとexplicit processing、deliberationとintuition、heuristics、consciousnessとdecision makingの進化的な意義など、最近興味をもっていた内容だったので、すぐに購入した。"Better than conscious"とは、何とも意味ありげなタイトルだが、内容も未開拓の領域だけにspeculativeな内容が多いようだ。ちなみに、今年のフォーラムは、"Dynamic coordination in the brain"と題して、Wolf Singer、Olaf Sporns、von del Malsburg、Steve Silverstainなどが招聘されており、これまた興味深い名前が並んでいる。
前半は、神経機構について、その後、進化論的な側面、社会学的な側面と続いて行く。とりあえず、3章まで読んでみた。以下、目次。

1. Christoph Engel and Wolf Singer: Better than conscious? The brain , the psyche behavior, and institutions
thought process、decision makingと司法などについて述べたspeculativeな内容。

2. Stanislas Dehaene: Conscious and nonconscious processes
global workspace modelとdecision makingにおけるevidence accumulation modelとを包括的にモデル化しようという内容。両者はほとんど接点をもたずに発展したモデルだが、少なくとも perceptualなdecision makingにおけるdecision thresholdとconscious perceptionにおけるperceptual thresholdとの間に意外な整合性があり、興味深い。

3. Peter Dayan : The role of value systems in decision making
value systemの数理モデルとdecision makingに関する内容。数理系の人が書くモデルは抽象的であるため、僕にとっては難解で、1回読んだだけではよく分からなかった。

4. Michael N. Shadlen et al: Neurobiology of decision making

5. Tania singer et al : Brain signatures of social decision making

6. Micael Plass, Rapporteur Peter Dayan, Stanislas Dehaene, Kevin McCabe, Randolf Menzel, Elizabeth Phelps, Hilke Plassmann, Roger Ratcliff, Michael Shadlen and Wolf Singer: Neuronal correlates of decision making

7. Robert Kurzban: The evolution of implicit and explicit decision making

8. Roger Ratcliff and Gail McKoon: Passive parallel automatic minimalist processing

9. Merlin Donald: How culture and brain mechanisms interact in decision making

10. Lael J. Schooler: Marr, Memory and Heuristics

11. Christian Keysers et al: Explicit and implicit strategies in decision making

12. Andreas Glockner: How evolution outwits bounded rationality: The efficient interaction of automatic and deliberative processes in decision making and implications for institutions

13. Jeffrey R. Stevens: The evolutionary biology of decision making

14. Robert Boyd et al: Gene - Culture coevolution and evolution of social institutions

15. Richard McElreath et al : Individual decision making and the evolutionary roots of institutions

16. Paul W. Glimcher: The neurobiology of individual decision making, dualism and legal accountability

17. Conscious and nonconscious cognitive processes in Juror's decisions

18. Christoph Engel: Institutions for intuitive man

19. Mark Lubell et al: Institutional design capitalizing on the intuitive nature of decision making

今日の音楽:Tim Hecker/ An imaginary country (CD)

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2009年4月22日 (水)

夜叉神峠

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毎年、高校時代の友人と必ず山を登る。何週か前の週末の金曜深夜に僕の家で集合して、友人の車で出発。今年も木曽駒ヶ岳で雪と戯れようと厚着をしてコンロやら食材やらを買い込んで向かったのだが、現地情報によれば山頂付近の天候は下り坂とのことであり、急遽予定を変更して「夜叉神峠」に向かった。夜叉神峠は、南アルプスの入り口にある小さな峠で、峠からは日本第二の高峰である北岳を中心としたいわゆる白嶺三山を眺めることができる。1時間ほど登り続けると、小さく開けた小高い丘に出る。夜叉神峠の「夜叉」という言葉は、日本ではおそろしい鬼というイメージを喚起する言葉として使われているが、古代インドの夜叉(ヤクーシャ)の語源は、「すばらしい顕現、不思議な出現」というむしろポジティブな意味をもつ(中村元「仏教語源散策」より)ことから、ひるがえってこの眺望にうまく合っているようが気がする。ちなみに、日本では、夜叉に無病息災を祈願して子供を授かる伝統があり、「あぐり」はそのときの名前の代表的な例であるという。

最近は、色々と忙しく、久しぶりの更新。EEGを使った実験は、諸事情とタスクを練り直す必要があって、しばらく休止という形になり、今後しばらくはPETやfMRIの実験を行っていく予定だ。主観的知覚の神経機構を調べるためには、時間解像度が決定的に重要なので、fMRIで課題を作るのは困難(不可能ではない)だ。しかし、意識の機能的側面と別の心的プロセスを組み合わせた研究は上手くやればできそうなので、しばらくはこちらのタスクに取り組む予定だ。そんな中で最近読んだ論文。

Dijksterhuis A, Bos MW, Nordgren LF, van Baaren RB.
On making the right choice: the deliberation-without-attention effect.
Science. 2006 Feb 17;311(5763):1005-7

意識的な心的プロセスが存在するということによって、僕らは様々なモダリティの同時進行的な心的プロセスを束ね合わせることができる。これによって、単純な反射や条件付けを超えた複雑で臨機応変は行為(output)を産出することができる。しかし、意識的な心的プロセスが存在するということが、少なくとも「機能的」にみた場合、必ずしも状況に応じた最適な判断の産出に寄与するわけではないのだ。

これは、Amsterdam大学の心理学科で行われたbehavioral study。
80人の被験者に、mode of thought( conscious vs unconscious) x task complexity( simple vs complex)という2x2の4条件から構成された課題を課し、最終的に彼らが下した判断を評価するという手順だ。

study 1は、被験者に4つの架空の自動車のうちのどれかを購入させる課題である。それぞれの自動車は、4つの属性(simple)をもつものと12個の属性(complex)をもつものが存在する。
それぞれの属性は、positiveかnegativeのどちらかの値をとる。1台は75%がpositive、2台は50%がpositive、1台は25%がpositiveである。

各属性が8秒ずつ提示された後、4分間の思考時間が与えられる。ここで、conscious conditionでは、被験者は熟考することができる。unconscious conditionでは、anagramを解くというdisturbing 課題が与えられてしまい、どの自動車を購入するかについて熟考する余裕を与えられない。

結果としては、simple conditionではconscious thinkerの方がunconscious thinkerよりも最高の車を購入する割合が高かった。しかし、complex conditionでは、conscious thinkerよりもunconscious thinkerの方が最高の車を購入する割合が高かったのである。

study 2では、study1で使用された自動車を購入するのではなく、各自動車に対する被験者の態度を答えさせる。ここでも、simple conditionではconscious thinkerが良好な成績であるのに対して、complex conditionでは、unconscious thinkerの方が良好な成績を上げている。

study 3では、まずパイロット実験で40個の商品を、購入時に考慮する属性の数によって、購入時に必要な熟考の度合いをランク付け(simple vs complex)する。そして、本実験の被験者にこれら40個の商品の中から最近買ったものを選ばせる。そこで、購入時に要した熟考時間に応じて、conscious群とunconscious群とに分ける。各群で購入後の満足度をスケーリングしたところ、simple conditionの商品(シャンプーやCDなど)はconscious thinkerで満足度が高く、complex conditionの商品(カメラ、航空券、部屋)に対してはunconscious thinkerの方で満足度が高かったのだ。

最後のstudy 4では、IKEAとBijenkorfという二つの小売店を選択し、ここで買い物をした被験者に対してstudy 3と同じような課題を課している。IKEAは商品が複雑で高額になりやすく、上記のcomplex条件に当たるとし、Bijenkorfでは比較的安価の商品ばかりを取り扱っており、上記のsimple conditionに当たるとしている。ここでも、Bijenkorfではconscious thinkerの方が満足度が高く、IKEAでは逆にunconscious thinkerの方が満足度が高かったという。

上記の結果は、単純な課題ではconscious thoughtの方が客観的にも主観的にも良好な結果を産出する傾向が強く、複雑な課題では逆にunconscious thinkerの方が良好な結果を産出する傾向が強いということを示している。

このようなことは、僕らが生活する上で素朴に感じることだが、authorらは、conscious thoughtがhighly capacity limitedなプロセスであるのに対して、unconscious thoughtはenormous capacity をもったプロセスであることに起因するのではないか、と推測している。

この実験の問題点は、conscious thought vs unconscious thoughtで比較している点だ。この比較だと、unconscious conditionではanagramを解かせたために成績が向上したと言えなくもないので、厳密にはconscious process vs unconscious processの比較と言えない点であろう。

また、別の研究では、一部再現性が否定されているので、この実験の結果については慎重な判断が必要だ。

今日の音楽:Hammock/Black Metallic (from CD"Never lose that feeling vol. 2)
最近のシューゲイザー、音響系のグループの作品を集めたコンピレーション。

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2009年3月19日 (木)

complex network

Bullmore E, Sporns O.
Complex brain networks: graph theoretical analysis of structural and functional systems.
Nat Rev Neurosci. 2009 Mar;10(3):186-98. Epub 2009 Feb 4

これは、先日、紹介した脳のネットワークとグラフ理論に関する総説だ。
論文の中に数式は全く出て来ないので、Stamの総説よりも分かりやすい。nhpを使ったデータやdiffusion tensor imagingなどのanatomical networkと、fMRIのlow-frequency fluctuationやEEG、MEGなどによるfunctional networkとに分けて、話が進んでいく。これまで書いてきた通り、脳のfunctional networkは、macroscopicにはsmall-world構造をとっているようであるが、scale-free性についてははっきりとした結論は得られていない。彼らは、ニューロンによって構成されるnetworkは、シナプス数や軸索の長さなどのコストという物理的制約によって規定されているため、degree distributionはpower-lawをとりにくく、むしろ天井値をもったexponentially truncated power-lawを示すのではないかと考察している。

あとは、hub region、motifやhyerarchyなど、networkの定性解析などについても触れられている。最後には、clinical implicationとして、Alzheimer diseaseやSchizophreniaなどのnetwork構造についても触れられている。

新しい発見はなかったものの、この領域に興味をもっているが、ほとんど知識が無いという人にとっては、最新の動向がよくまとめられていて、良い総説なのではないかと思う。

個人的見解で言えば、TMSなどのvirtual lesionがfunctional networkのconnectivityにどのような影響をもたらすかというのが興味深いところ。例えば、Spornsらによって同定されたhub region (provincial hubとconnector hub)に対してvirtual damageを加えた場合のnetworkのふるまいを調べるなんていうのも面白いと思う。

あとは、精神科医としての興味から言えば、dopamineなどのexperience-dependent plasticityなどが、networkの再編やhomeostasisにどのように寄与しているかなど。当然、dopamine blockerによる影響も。Kapurのsalienceという概念にもつながってくる可能性があると思う。schizophreniaの慢性増悪化というvicious circleは、この辺りに答えが隠されていそうな気がする。

今日の音楽:V.A/Variations of Silence
ポストクラシカルという動向があるようなのだが(はっきりとどういう音をさすのかは良く分からない)が、これはそのポストクラシカルのトラックを集めたコンピレーション。夜、家でたらたらと流すには良いかもしれない。

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