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2005年11月12日 (土)

J.-P.Changeux, A.R.Damasio, W.Singer, Y.Christen(Eds)"Neurobiology of Human Values"

また新しい本が届いた。

J.-P.Changeux, A.R.Damasio, W.Singer, Y.Christen(Eds)"Neurobiology of Human Values"(Springer 2005)
Gamma synchronous activityなどの神経活動の同期性の研究で有名なMax Planck Institute for Brain ResearchのWolf Singerが著者として参加していたので、買ってみた。上記の著者の他に、Hanna Damasio(Antonio Damasioの妻)、Giacomo Rizzolatti(Mirror Neuronで有名)、Richard Davidson(Affective Neuroscientist)などもそれぞれの論考を寄せている。まだ少し読んだだけだが、恐らく本書の内容はこれまで脳科学が戦略的に扱うことを避けてきた価値や倫理、道徳、美意識、共感などについて、哲学者ではなく脳科学のフィールドで論考しようというもの。現時点で得られるデータから考えると、speculativeな内容であろう。ちちなみにJean Pierre Changeauxが書いた第1章は難解で、ほとんど理解できなかった。

意識の哲学者であるThomas Metzingerは「脳科学者は自信が自覚しているかいないかに関わらず多分に哲学者である」と書いている。哲学と科学の分業体制が始まったのは近代以降だが、近代以前の哲学者の多くは同時に科学者でもあった。僕は精神科医なので双方の動向を注視しなければならない一方で、そのどちらも専門外である。まあ言ってみれば単なる傍観者だけども、頭の切れる人たちがその探学問的探求の辺縁で柄にもないことを言っているのを聴くのも面白い。

今日の音楽:Gerald Frisina"The Latin Kick"
Latin寄りのclub jazzならNicola Conteも洒落ていて良いのだけれども、同じくイタリアのGerald Frisinaの方が凛とした男気があって僕は好き。

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コメント

わたしたちはどのような物語を生きているのか?

150億年前~ ビッグバン、地球と生命の誕生
600万年前~ ヒトとチンパンジーの分岐
200万年前~ 狩猟採集血縁集団での心理機能の進化
  5万年前~ ホモサピエンスの文化のビッグバン
          神話と宗教の原型、聖なるものへの畏怖
          さまざまな生得的行動パタンの完成
2000年前~ 普遍性のある哲学・宗教思想の出現
 150年前~ ダーウィン種の起源(1859)、社会の世俗化
  50年前~ 動物行動学・ユング心理学、DNA構造解明
  30年前~ 進化心理学の発展が始まる
          血縁淘汰、利他的行動、性淘汰理論の発展 
  20年前~ 動物行動学とユング心理学の統合始まる
  10年前~ 進化精神医学の始まり(  Anthony Stevens) 
そしてこれから・・・ヒトにとっての真善美に関する科学と哲学、その一体的な進展?

投稿 R.T | 2005年11月19日 (土) 16時29分

追加(R.T)

  15年前 「意識の科学」の幕開け宣言(Crick &  Damasio)

投稿 | 2005年11月19日 (土) 16時35分

R.Tさん、とても興味深い内容です。Anthony Stevensの進化精神医学なるものは知りませんでした。早速Amazonで著作を購入してみます。

「進化」というものをどのような視点から眺めるか?時空間を超越した神の視点か、共時的な観察者の視点か、進化に巻き込まれた僕たちの内部的な視点か?僕たちはまだその進化のdynamicityを記述するための言語を手にしてはいないのだと思います。その点でAutopoiesisは核心に近いことを言っていると思いますが、なおAutopoiesis自体の言語が不十分です。
今の僕に言えるのはこれくらいですが、脳科学の分野でもG.M.EdelmanらによってNeural Darwinismという進化脳科学とでも言うべきアプローチがありますね。僕はEdelmanの動向を追っています。

投稿 わるねこ | 2005年11月19日 (土) 23時56分

G.M.Edelman の近著 wider than the sky(2004)、わたしの同僚が全訳を終えたところです。この翻訳はなんとか出版できるとこまでもっていきたいと思っています。
Edelmanの「意識」に関する洞察は「『わたし』」など、もともと、どこにもいない。あるのは、『縁起』のみ」(河合隼雄:「ユング心理学と仏教」1995)という華厳哲学に通ずるようにも読めます。

投稿 R.T | 2005年11月20日 (日) 21時37分

「進化」というものをどのような視点から眺めるか?時空間を超越した神の視点か、共時的な観察者の視点か、進化に巻き込まれた僕たちの内部的な視点か?
と、考えるなら、それは、「進化に巻き込まれた僕たちの内部的な視点という視座に立つ」ことしかありえない。 それ以外(外部)に視座を置くことは原理的に不可能、と、論理的には結論せざるをえない。「外部『絶対者』)からの啓示を信じたい」という心理も最近10万年間の進化過程の産物。
という説もありうる。

投稿 R.T | 2005年11月21日 (月) 09時44分

「認識を超越した神の視点」というのは実現不可能という意味を込めて比喩的に書いてみました。神話や古代の宗教哲学などは極論すれば進化論の萌芽と言えると思うのですが、その素朴な世界観は書き手は創造者あるいは原理的には不可能な絶対的観察者の視点で書かれていますね。このような記述にも生物学的、心理学的な基礎があるかもしれないということでしょうか?
ちなみにオートポイエーシスは、このような視点の位置を徹底的に疑うことから始まります。R.Tさんの言う通り、観るものは同時に観られるものでもあり、中立的な観察という行為はあり得ず、認識による意味付けが避けられません。オートポイエーシスは視点の問題がcriticalである進化や意識などをシステムそれ自体の作動として描き出そうとするものらしいです。

投稿 わるねこ | 2005年11月21日 (月) 18時18分

追加:G.M.Edelmanの近著"Wider than sky"は僕も出版されてからすぐに読みました。あれがEdelmanの仮説との出会いでした。僕はTNGS、Neural DarwinismやDynamic Core Hypothesisという概念はSchizophreniaのためにあるものだと解釈しています。上記の観察における視点という意味では、本質的に大事なアプローチをしているのだと思います。R.T先生の同僚の先生が訳された翻訳版が出版されたら、是非再読してみたいと思います。
もしかして、R.T先生は非常に偉い先生のような気が‥。失礼なことを書いておりましたらすみません。

投稿 わるねこ | 2005年11月21日 (月) 18時51分

<神話や古代の宗教哲学などは極論すれば進化論の萌芽と言えると思うのですが、その素朴な世界観は書き手は創造者あるいは原理的には不可能な絶対的観察者の視点で書かれていますね。このような記述にも生物学的、心理学的な基礎があるかもしれないということでしょうか?>

 そうですね、「外部」(絶対者)からの直接的「啓示」を信じたい」という心理も最近10万年間の進化過程の産物かもしれないと思うのです。宗教心理学と進化心理学の成果を突き合わせて見ると、宗教的なものの本質はすでに、10万年から1万年前にヒトの脳に埋め込まれていたし、それは宗教的なものを体験する生得的心理機能として存在するものであるし、当時の進化環境に適応した結果として脳内に形成された心理機能であるのかもしれない。
 さらに敷衍して、あるいは飛躍して言うならば、真善美の体験機能も進化すなわち、環境(部族社会を含む)による神経回路網選択(淘汰)の結果として形成されたといえるわけです。つまり、そういう回路網を形成しうる遺伝子が残り、そうでない遺伝子は消滅していった。その結果が、われわれのココロ、タマシイそのものなわけです。もちろん、もしもわれわれが「真善美」を体験することができるのであるとしたら、ですが。
 すると、そうして形成された神経回路網が「体験する(体験したと信じている)真善美」とは如何なることなのでしょうか? そういう「真善美体験」とは、いったい、何なのでしょうか?

投稿 R.T | 2005年11月30日 (水) 19時35分

「真善美の体験機能も進化すなわち、環境(部族社会を含む)による神経回路網選択(淘汰)の結果として形成されたといえるわけです。つまり、そういう回路網を形成しうる遺伝子が残り、そうでない遺伝子は消滅していった。その結果が、われわれのココロ、タマシイそのものなわけです。」

R.T先生は僕の頭の中でおぼろげなままにとどまっているイメージを見事に言語化してくれます。
宗教的な心理を情動との関連で考えれば、情動の中でも特殊な恍惚感は、側頭葉との関連がありますね。DamasioがSomatic Marker仮説で言っていることを援用すれば、キリスト教などの啓示宗教における「啓示」という体験もこのような強い情動によって方向付けられているのでしょう。また、仏教やヒンズー教における瞑想体験も神経活動の同期性との関連が報告されていますね。
僕たちが体験する宗教的な心理も、突き詰めれば脳の神経活動のfunctional statesの膨大なレパートリーの中の一つということになるなのでしょう。そしてfunctional statesと言っても、ある状態から別の状態への一連の変化としてではなく、構造上の統一性を保ちながらも過去の構造によって条件づけられている絶え間ない生成のプロセスによって創発形成されるものとしてとらえています。これらは、東西の宗教心理にとどまらず倫理や美学など僕たちが体験する真善美全般、あるいは自己という体験そのものについても言えることなのだと思います。そして、そのような体験の基盤となる神経回路網は遺伝子による構造的な影響と自然や社会などの環境によるselectionを受けて形成されるものだということですよね。
脳自体が自律的で可塑的なシステム単体であり、このシステムのdaynamicityをどう記述するか?しかもそのようなシステム単体(僕の脳)が異なるシステム(他者、自然)と複合的に相互作用するという一つ上のオーダーのシステム(集団、社会)のdynamicityをどう記述するか?しかも、hyerarchyの概念を用いずに。それが今の僕の目標なのですが、まだまだ僕の頭には難しい問題です。また、この脳というシステムが個体あるいは種として形成される歴史的なプロセスを進化とすれば、進化心理学というのは是非とも押さえておきたい分野になります。

「すると、そうして形成された神経回路網が『体験する(体験したと信じている)真善美』とは如何なることなのでしょうか? そういう「真善美体験」とは、いったい、何なのでしょうか?」

僕にはまだ答えられない質問です。かつてVarela(Varelaばかり引用してすみません。。Varelaの考えに最も共感を抱いているのです。)が語っていたことで覚えているのは、「創発するものに通常の意味での存在論的地位はない」ということです。さらに「それらは創発の言語でのみ論述できる」と続きます。つまりは、脳のon-goingでdynamicな活動だけをみれば、僕たちはそこに自己の存在の確たる証拠を見いだすことはできません。あるのは、僕たちの一人称的なココロやタマシイの中でのみ有効な行為としての自己、あるいは認識ということになるのでしょう。しかし、もしも僕たちが脳というシステムの可能な限り正確な記述言語を手に入れることができれば、僕たちの自己や認識の来歴を知ることはできるかもしれないと思います。

投稿 わるねこ | 2005年11月30日 (水) 21時52分

 2000年9月末から米国ワシントンDC郊外、ベテスダのNIHに滞在していたおり、NIHの図書館でF.Varelaらの The Embodied Mind を見つけました。なにやら、とても大切な叡智が記されていそうに感じたのですが、もちろん、私の読解力では歯が立ちませんでした。
 その後、私は2001年2月末、パリに2週間滞在しました。後から知ったのですが、ちょうどそのころVarlaは最期の時をパリの自宅で過ごしていたのだろうと思います。
 例の本はその後、翻訳を買いましたが、読みかけて早々に挫折してしまいました。ぼくにはまだ、彼の言わんとするところを理解するための端緒が掴めないのです。自分は河合隼雄先生の著書をとおして仏教に注目するようになったのですが、その点からも、Varelaの叡智を探求してみたく、今でも思っています。
 いつか機会がありましたら、貴君によるVarela解釈を聴かせていただき、理解の端緒をつかみたいものだなあ、と思っています。

投稿 R.T | 2005年11月30日 (水) 22時51分

僕自身は色々と調べている過程で、河本英夫先生の著作を通しVarelaとMaturanaによるオートポイエーシスに出会いました。さらに脱線してEdelmanらの考えていることを知った後に再びVarelaのEmbodiment Mindに出会いました。このときには、Varelaはもうオートポイエーシスという曖昧な言葉は使っていないんですね。しかし精神医学の中でVarelaの言っていたことを考えてみようと思ったきっかけは、R.T先生が神経現象学について触れていた記事を読んだことでした。ぐるっと円環を描いて戻ってきたときに最初とは違う視点に立っていたような不思議な感覚を覚えました。Varelaが既にこの世の人でないということを知ったのは、その後のことでした。
もしVarelaが生きていたなら、何としてでもVarelaのいたフランスのCognitive Neurosciences and Brain Imaging (LENA)を目指したのだと思います。
現在の本音を言えば、とにかく早く自分で何かをやってみたいと思うのですが、これはもう少し先になりそうです。焦っても仕方がないので、それまでは自分の拙い頭でいろいろと考えてみようと思います。
そして、R.T先生のもとに是非一度お伺いしたいと思っています。失礼でなければ、僕の方から一度ご連絡させて頂くかもしれません。そのときは、「ああ、あいつか」と思い出していただけたら幸いです。

投稿 わるねこ | 2005年12月 1日 (木) 01時22分

 昨日水曜日はN病院で勤務。Edelmanを訳したK医師(常勤)はたまたま休みで、ほかの3名の女性非常勤医(みなさん、それぞれ、魅力的!)がいて、自分は昼休みの勉強会でこのBlogのことを紹介した。さっそく彼女たち、このBlogをみて「すごい人がいるものだ!」と、一同、いたく感心。
 「この筆者はA.E医師(旧姓A.T、月曜日N病院勤務)」といっしょに昨年度、K病院で働いていた若いドクターの一人に違いない。しかし、R.TがA.Eに電話して訊ねてみても、こういうテーマを探求しているヒトのことを、だれからも仄聞したことは、ない、との返事。一体誰だろう?と謎のままであった」など、話して、ひとしきり、もりあがっていました。

投稿 R.T | 2005年12月 1日 (木) 06時31分

「そしてfunctional statesと言っても、・・・構造上の統一性を保ちながらも・・・絶え間ない生成のプロセスによって創発形成されるものとしてとらえています。・・・そして、そのような体験の基盤となる神経回路網は・・・自然や社会などの環境によるselectionを受けて形成されるものだということですよね。・・・脳自体が自律的で可塑的なシステム単体であり、・・・しかもそのようなシステム単体(僕の脳)が異なるシステム(他者、自然)と複合的に相互作用するという一つ上のオーダーのシステム(集団、社会)・・・dynamicityをどう記述するか?しかも、hyerarchyの概念を用いずに。

貴君のこうした課題設定。この狙いは、まさしく正鵠を射ていると私は思います。

「また、この脳というシステムが個体あるいは種として形成される歴史的なプロセスを進化とすれば、進化心理学というのは是非とも押さえておきたい分野になります。」

 進化心理学では、現象を説明するのに「究極因 Ultimate Cause」からの説明と、「至近因 imedaiate mechanism」からの説明があると考えるそうです。たとえば、子供を亡くした母はなぜ悲しいのか、という問いに対して、科学的説明としては子供が死ぬと母親の大脳辺縁系の○○ニューロンが発火してどうのこうのという説明(至近因)も必要かもしれないが、「子供を亡くしても悲しくないような母親の遺伝子は消滅していき、子供を亡くせば悲しむ母親の遺伝子だけが広まっていったから」という説明(究極因)もありうる。そう言われてみると、じつは「究極因」による説明のほうがわれわれにナットク感をもたらしてくれる説明のような気がしませんか。また、「至近因」と「究極因」のそれぞれによる、この「ナットク感の違い」って、注目に値する気がしませんか。いま浮かんできた疑問ですが、この「ナットク感」の「違い」って何なんだろう。説明を求めたい現象の、説明を求めたい次元(レベル)というものがあって、その次元(レベル)に応じた説明をわれわれの「心=脳」が求めているということなのでしょうかねえ。
 こうして考えてくると、やはり「精神現象」は「生命現象」であり、それが「生命現象」であるかぎりは進化論的の視座から現象を眺めざるをえないだろう、ということになるのでしょうね。

投稿 R.T | 2005年12月 1日 (木) 20時16分

N病院がどこかやっと分かりました!S先生からはいずれソシュールとフッサールのことを教えて頂こうと思っていたのですが、機会が得られず今日に至っています。それにしても、ますますN病院を訪ねてみたくなりました。ちなみに先生のご推測の通り、僕は昨年度の数ヶ月間A・E先生と同時期にK病院で研修していました。そして、A・E先生が一時期勤めていたS記念病院で僕も半年間だけ勤務していていました。その頃は個人的な趣味のつもりでコソコソと勉強しており、何とはなく抱いていた問題設定を先輩医師にぶつけることはありませんでした。結構臆病なんです。

至近因と究極因という概念は面白いですね。そういえば意識の研究では記述のレベルlevel of descriptionという言葉をよく目にします。記述のレベルがあれば、現象(創発)のレベル、認識(知)のレベルもある。そして、医学、生物学、心理学、哲学、社会学、物理学、数学などあらゆるレベルの知の領野が同じテーマになだれこんでいることに僕は驚きと軽いアウラを覚えました。

先生の言うナットク感で言えばM.SpitzerやP.M.Churchlandなどのコネクショニストの理論は直感的に理解できるんですね。そういう時はスイスイ頭に入ります。でも、例えばBenjamin Libetの神経生理学の実験はあたかも僕の脳がその理論を拒絶しているかのごとく、苦しみながら読みました。今のところは僕の脳の可塑性と耐久性を信じて、やや侵襲性のある理論も頑張って読むようにしています。

投稿 わるねこ | 2005年12月 1日 (木) 22時03分

「ちなみに先生のご推測の通り・・。・・・A・E先生が一時期勤めていたS記念病院で僕も半年間だけ勤務していていました。」

 とすると、貴君はTKHT君ですか?
おそらくわが国のなかで、同じテーマをこころに抱く、きわめて数少ない者同士に、意外にも別の身近なご縁の関係があったとは!
 水曜日の午後に、いちどN病院へおいで下さることはできませんか? K先生(Edelmanの翻訳者)やちょっとお姉さまの女性医師たちも、大歓迎してくれますよ(^_^)。夕方からは歓迎の宴ですね。

投稿 R.T | 2005年12月 1日 (木) 22時36分

名乗るほどの者ではないのですが、僕はTKHTです。お邪魔でなければ、年明けにでもN病院に遊びに行きます。R.T先生やK先生、お姉さまの先生のお話を是非とも聴いてみたいですね。現在は都内のT市にある精神科身体合併症を専門とする野戦病院のような精神科病棟(B医大学校精神科のN教授が以前勤務していました)で勤務しているので、半休をとるのに少し時間がかかりそうですが、できるだけ早いうちにお訪ねしたいと思っています。
僕もこのテーマを共有できる人とのコンタクトという切実な願いのもとにこのblogを書いていたので、R.T先生からの書き込みがあったときは、「まさか!」と目を疑うとともに、キーを打つ手が震えました。

投稿 わるねこ | 2005年12月 2日 (金) 17時48分

「Medical Psychiatry」があるということで、知る人ぞ知るT.K病院ですね。難易度の高いお仕事に励んでおられる皆様には頭が下がります。
 S大病院にも内科病棟の一部を区切って、そういうユニットを開設したいという構想はあるのですが・・。

 年明けに日程を調整してお会いしましょう。自分は単に貴君より30年も歳をとっているだけのことです。「あとはTKHT君、頼んだよ、よろしく」、と告げて、老兵のごとく消え去るときがくるんだろうなあ。と、そんな想像が湧いてきましたよ。

投稿 R.T | 2005年12月 2日 (金) 21時01分

きのうから今日にかけて、臨床心理系のX先生とこんなやりとりをしました。

< X先生よりRTへ>
文化的無意識というのは、普遍的無意識と個人的無意識の中間に位置する、ある文化に属する人々が共通にもつ無意識のことで、ヒトのものの考え方や感じ方は、文化内で共通する、反対に言えば、文化が異なると異なるものが多く、個人と、いきなり人類共通では、抜け落ちやすいものか多いということから使われる概念で、ユング自身は、個人的無意識のなかに含めていたものだと思います。

T先生のご講演の後半について、未だ良く練れていないと書いておられましたが、文化的無意識というような概念でなくても、元型の中に太母元型や、アニマ・アニムス元型のみならず、老賢者・老賢女元型などもモデルに入ってくれば、説明できるのかもしれないのですがーーーー

私の中に、練れたモデルがあるわけではないので、どうご説明すればいいのかーーー
まず、進化についてからお話してもいいでしょうか。

河合雅雄先生の岩波新書の「こどもと自然」(どこに行ったのか手許に見つからないのですが)の中に、ボルグという人の、幼形進化論というのが出ていたと思います。個体発生のレベルで、幼形成熟という現象があって、ウーパールーパーは、水中の幼形が、陸に上がると成体となるが、そのまま水中にいると、幼形のままで性的成熟を遂げて繁殖を始めるのだそうです。ヒトは、類人猿の成体よりも、胎児に似ている(頭頂のみ毛に覆われていることか、頭部や尾部の形など)ことから、系統発生のレベルで、祖型動物の幼形のままに、成体となって繁殖する種、幼形進化を遂げた種なのではないかというものでした。多くの生物は、定向進化の原理によって、特殊化による進化を遂げるのに対し、ヒトは幼形進化という進化を遂げたのではないかというものです。ポルトマンの生理的早産説に先立つものだそうです。
成熟もまた、一つの特殊化であり、可塑性の減少であることを考えるとき、ヒトという種は、進化の方略として、可塑性に賭けた種であるように見えます。
ポルトマンの生理的早産説もまた、家族の成立を説明するものであると同時に、もともと脳の大脳化による胎児の大型化による生理的早産ということですから、脳の発達による学習能力の高さと発達の可塑性の組み込まれた説だと思います。

だから、文化の影響は大きく、神経症の方たちを考えるとき、文化への適応というレベルの視点も―――という話なのですが、お返事があまりに遅くなるので、「つづく」ということで ひとまず、送らせて頂きます。( X)

R.Tから X先生へ
「文化と脳の共進化」
  20万年から5万年前の間に生じた、ヒトの脳の進化。この時代、ヒトは50名から150名くらいの、血縁を基本とした小社会で過ごし、その中でも遺伝子選択(淘汰)は進行した。
 その遺伝子選択は<狩猟採集生活の自然環境>への適応というよりは、<集団が形成せざるをえなかった文化環境>への適応という形で遺伝子頻度が変化していっただろう。 では、その時代の文化環境とはいかなるものであったのか、重要なテーマとして浮かび上がってくる。
 その文化環境(への適応)が脳内回路網を形成する遺伝子群を15万年かかって選択し、その脳内回路網に組み込まれることになった生得的諸心理機能がじつはユングが発見した「元型」にほかならない。
 以上に述べた枠組みが、進化心理学とユング心理学を通底するものの見方である、ということになるでしょうか。
 ある意味では、この20万年前から5万年前にかけて、血縁部族社会での文化がその時代のヒトびとのさまざまな「多種多様な文化的無意識」を形成し、その中でも「遺伝子を広めていくのに適した文化的無意識群」が15万年の間に選択されて、脳ととも共進化してきた。もちろん、文化的無意識の形成という現象が生じる前提として、ヒトの脳の幼形進化も組み込まれる必要があった。
 とすると、ヒトの脳の幼形化、言語体系や社会文化形成と文化的無意識、脳の回路網を形成する遺伝子群、そして脳内回路網群、生得的心理機能群、「元型」群などなどのすべては切り離しては考えられない、ということになる。
 メールで教えていただいて、こんなことを考えました。(RT)
 

投稿 R.T | 2005年12月 3日 (土) 10時16分

「その遺伝子選択は<狩猟採集生活の自然環境>への適応というよりは、<集団が形成せざるをえなかった文化環境>への適応という形で遺伝子頻度が変化していっただろう。 では、その時代の文化環境とはいかなるものであったのか、重要なテーマとして浮かび上がってくる。」

「文化と脳の共進化」というタイトルを読んで、以下のことを考えました。最近になって僕は自己言及性について考えるようになりましたが、この「自己言及性」という一歩間違えればパラドクスに陥るような特性を考えるのはきわめて危うく、骨が折れます。しかし、脳や言語、社会などの作動的な閉域を形成する様々なレベルのシステムを考えると、この自己言及性という特性があまねく見いだされるように思えます。脳という無数のニューロンによって形成されるシステムも、外的刺激の単なる並列分散処理を連続的に行う機械ではなく、自律性をもったシステムだと考えられます。ある神経回路の活動が別の神経回路の活動を引き起こし、これがまた別の神経回路の活動につながっていく。このような脳の活動の作動的なループが連続的に維持されることによって、脳にとっての外的刺激によって引き起こされる活動だけでなく、脳が自らの活動を受けて自律的に産出する活動が必然的に生じる。そして、それらはシナプスの可塑性の変化という構造的な変化をも引き起こす。自らが起こしたアクションによって、自らを産出・調整するという意味で自己言及しているのだと思います。EdelmanのNeural Darwinismという概念はこの辺のことをもっとスマートに記述しているものかもしれません。そして、Varelaは生理学者にとどまらない広い視点で、このような生物にみられる作動的な円環をオートポイエーシスという枠組みの中で生物のあらゆるレベルに見いだしていました。
個体と社会の進化という領域でもこのような自己言及の円環が見いだされます。自己を維持するための活動を続ける複数の個体間で機能的なカップリングが維持されたとき、一つ上のオーダーのシステム(サードオーダーのシステムとしての社会、文化)が浮かび上がります。そして、そのような社会システムを維持するという条件が加わり、トップダウン的にそのシステムを構成する各個体のアクションを調整します。さらに、社会システムにゆるやかに拘束されるようになった各個体の活動が、再び社会システムの維持・調整を担っていく。自らが参加し活動することによって維持されるシステムによって自らのアクションや構造の調整・変化を受ける、あるいは自らが形成せざるを得なかった集団に自らが適応するという点でやはり、自己言及性が見いだされます。進化とは、このような自己言及するシステムのダイナミクスの歴史であるととらえています。遺伝子選択、神経回路の構造的変化、言語などの機能の獲得と喪失、社会的な現象(道徳、倫理なども含む)などの異なるレベルにおける通時的な変化も、それぞれのシステムの諸特性からだけでなく、システム間の共同的なカップリングのなかでプロセスとして成立してきたものなのでしょう。
うーん、ここまで書きましたがやっぱり表現が難しいですね。最近、ニコラス・ルーマンの「自己言及性について」という本を買ったので、もう少し勉強してみます。

ちなみに、MPUで仕事をしているとこころと体の問題の双方に対処しなかればいけないのですが、治療の過程でこころ(からだ)がからだ(こころ)に偶然ならぬ影響を与えることが稀ならず、一個人としてそのダイナミクスに驚きを覚えることがあります。1月から同僚が一人減ってしまうので、ますます忙しくなりそうですが、年明けの早い時期に是非とも伺いたいと思っています。

投稿 わるねこ | 2005年12月 3日 (土) 19時37分

 「自己言及」の定義がわかりませんもので、考えてみて教えてほしいです。またその際には、あらかじめ「情報」や「システム」という用語、概念をきちんと定義しておく必要があるかもしれません。「情報」の定義は意外なことに世間ではちゃんとなされていないと思います。「定義」を明確化する作業は、明晰な思考構築の出発点になると思います。また、情報は包含的な階層構造を有する、ということ(要素が集まってパタンを構成し、そのパタンがさらに集まって、一次元上位の情報を形成すること)、また、システム全体のパタンがその構成要素である一部分(要素)の状態を変化させ、その部分(要素)的変化がシステム全体に波及して全体のパタンを変化させるという、「全体」と「構成要素」間での双方向性の関係が、「複雑」系では成立していることなど、抑えておく必要があるのではないでしょうか。
 (ちなみに「情報、意味、意識、神経群の同期発火パタン、ダイナミックコア」の意味関係については、今年のSchizophrenia Frontier に自分が書いたような気がするのですが、記憶が定かでありません。お読みになりましたでしょうか?)

投稿 R.T | 2005年12月 4日 (日) 07時21分

確かに定義はしっかりと抑えておいておかなければと、切実に思います。どうも僕は背景となる知識があやふやで、まだまだ抑えておかなければならないことがたくさんあります。イメージで語るとすぐに行き詰まってしまうんですよね。

Schizophrenia Frontierでの先生の記事は2005年の夏頃に出されたものですよね?記事の存在は知っているのですが、まだ手に入っておらず、目を通すことができていません。手に入ったらすぐに読んでみようと思っています。

投稿 わるねこ | 2005年12月 4日 (日) 09時57分

やりすぎかもしれませんが、例の記事の原稿が手元にありますから、ここにコピーしちゃいました。あとでこのBlogから削除していただいてもよろしいです。

表題
「視床フィルター」仮説から「ダイナミックコア」仮説へ
―統合失調症の情報論的理解のために―

Dynamic Core Disintegration Syndrome (Edelman) and Schizophrenia

Summary
 統合失調症の病態仮説として、まずA.Carlsson の視床フィルター障害仮説(1988年)を紹介した。次いで、1990年から神経科学の表舞台に登場した「意識の科学」のひとつの到達点である、G.Edelmanのダイナミックコア仮説(2000年)を紹介した。この仮説は主観的体験(意識)・情報・脳の三者の関係の本質が問うことから必然的に導き出されるものといえる。情報は一般に要素的情報が複数、組み合わさってより上位の情報を表現する。こうした情報構造の階層性はH.Jacksonのいう中枢神経機能の階層性に相応し、ダイナミックコアはその最上位層に相当することを指摘した。原因のいかんを問わず、この最上位層の統合度が低下すれば、「ダイナミックコア統合失調症候群」とも称すべき「欠落症状と解放症状」が生じるだろう。いわゆるSchizophrenieが原因でこれが生じた場合の、その欠落症状はE.Bleulerの連合弛緩に、解放症状はK.Schneiderの一級症状に相当する。

キーワード
情報、視床フィルター(カールソン)、ダイナミックコア(エーデルマン)、一級症状(シュナイダー)、連合弛緩(ブロイラー)、統合失調症候群

1)豊嶋良一:ガンマ帯域同期発振.臨床精神医学30: 82‐83. 2001
2)Matsuoka ,T.,Iida H. Toyoshima R. et al:Event-related coherent gamma activity on human scalp EEG during visuo-spatial discrimination task. Electroenceph clin neurophysiol 103(special issue 1): 156-157, 1997
3)松岡孝裕、豊嶋良一、飯田英晴ほか: 事象関連γ帯域同期発振現象について.(in)鶴紀子(編). 臨床脳波と脳波解析.東京,新興医学出版社, 271‐278,2000
4)豊嶋良一:精神現象と脳内現象; 心身二元論を止揚する新たなパラダイムを求めて.精神経誌97: 724‐728, 1995
5)豊嶋良一:器質性精神病の病態からみた精神分裂病; 主観的体験の成立障害とダイナミックコア統合不全症候群. Schizophrenia Frontier 2: 168-173,2001
6)豊嶋良一:主観的体験(意識)の科学; その出発点とゆくえ.精神誌 106:1402-1409.2004
7)Carlsson, A., Carlsson, L.: Hjarnans budbarare. Stockholm, 1988.(楢林博太郎, 飯塚禮二訳: 脳のメッセンジャー.医学書院,東京,1993. )
8)Carlsson, M., Carlsson, A.: Schizophrenia; a subcortical neurotransmitter imbalance syndrome? Schizophrenia Bulletin 16: 425-432,1990
9)豊嶋良一:視床フィルター機能不全仮説(Carlsson):(in)精神疾患の100の仮説(石郷岡純編).東京,星和書店, 33-35, 2004
10)山口成良:視床と精神医学;汎性視床皮質投射系の役割.東京,医学書院,2004
11)Chalmers,D.J.: The Conscious Mind; In search of a fundamental theory. Oxford. Oxford University Press, 1996.
12)Edelman GM, Tononi G: A universe of consciousness; How matter becomes imagination. New York, Basic books, 2000
13)Edelman, G.M.:Naturalizing consciousness; A Theoretical framework. Proceedings of National Academy of Science 100: 5520-5524, 2003
14)Edelman, G.M:Wider than the sky; The phenomenal gift of consciousness. New Haven, Yale University Press, 2004
15)Tononi G, Edelman GM: Schizophrenia and the mechanisms of conscious integration. Brain Research Review 31, 391-400, 2000
16)Lumer ED, Edelman GM, Tononi G: Neural dynamics in a model of thalamocortical system; 2. The role of neural synchrony tested through perturbations of spike timing. Cereb. Cortex 7, 228-236, 1997
17)Lee KH, Williams LM, Breakspear M, et al: Synchronous gamma activity; a review and contribution to an integrative neuroscience model of schizophrenia.Brain Res Brain Res Rev 41(1), 57-78, 2003
18)Bressler SL.Cortical coordination dynamics and the disorganization syndrome in schizophrenia. Neuropsychopharmacology 28 Suppl 1, S35-9, 2003

表1 脳・情報・主観的体験(意識)の三者の関係に関する6つのテーゼ

1.情報Aとは、他のシステムPに作用し、それに変化⊿pをもたらす可能性を有するパタン(=形態)である。その変化⊿pがシステムPにとっての情報Aの意味である。情報は、必ず何らかの物理現象で構成されたひとまとまりのパタン(=形態=時空間構造体)として存在する。
2.この瞬間の主観的体験(意識)は、光(色)、音などの五感の感覚要素の織り成すパタンを基礎に構成されている。なおかつ、この瞬間の主観的体験は、自己自身に対して次なる変化(意味)を与える作用を有する。従って、主観的体験(意識)そのものも、上記の定義を満たす、ひとまとまりの巨大な「情報」とみなされる。
3.この主観的体験(意識)は表2のごとき特殊な性質を有する。
4.この主観的体験というひとまとまりの巨大な情報を構成する物理現象は、このパタンにそのつど参与する神経集合のひとまとまりの巨大な同期発火現象(=表3の「ダイナミックコア」)であると考えられる。
5.このひとまとまりの巨大な同期発火現象は、双方向性結合で結ばれた脳の諸部位の神経群が相互作用して形成され、自然界に稀有な超複雑系として現出する。
6.この超複雑系を成り立たせるような、何らかの神経生理学的原理が存在するだろう。この未知の原理によって主観的体験(意識)は成立している。

表2  G.M.Edelman■13) による「conscious states 意識状態」
の諸特性features(文献6より再掲)

A.全般的generalな諸特性
1.意識状態(複数)は単一的unitary、統合的integratedで、しかも脳によって構成されている。
2.それらははなはだしく多様で、かつ差異化differentiatedされている。
3.それらは時間軸上で順序づけられ、ひとつづきをなし、変化しやすい。
4.それらは多種類の感覚(複数)modalitiesの束ねbindingを反映している。
5.それらは形態(ゲシュタルトgestalt)化、完結化closure、補填化filling inなど、形成的constructiveな機能を有する。(訳注:これらはゲシュタルト心理学の用語である)。

B.情報論的infomationalな諸特性
1.それらは広汎な内容でもって意図性を表現する。
2.それらは間口の広いはいり口と結びつきやすさassociativityを有する。
3.それらは中心‐周囲‐周縁‐外辺という様相を有する。
4.それらは注意による調節を受け、集中的になったり拡散的になったりする。

C.主観的subjectiveであることについての諸特性
1.それらは主観的な感じfeeling、クオリア、直接経験性phenomenality、気分、快と不快を反映する。
2.それらは被投性situatedness 、世界内存在性placement in the worldに関わる。
3.それらは慣れ親しんだ感じfamiliarityやその欠如感のもととなる。

表3 Edelmanの「ダイナミックコアDynamic Core」の概念■13)
(豊嶋による要約、文献6より再掲)

1.多様・多種類な、小さな機能単位の集合から成る統合体である。
2.小さな部位機能は半独立的に、しかし同時に互いに作用しあって、
より大きな集合を形成し、統合された機能を生み出す。
3.こうした機能を実現するのにもっとも適しているのは視床皮質系である。
4.皮質間の動的な再帰的相互作用が身体内部、及び外部環境からの入力、
しかし大部分は、それにそれ自身により駆動される。
5.それによって広汎に分布した脳皮質領域群が同期的に束ねられる。
6.再帰的に統合された事象は500ミリ秒以下の期間ごとに、
  次々に視床皮質系内の別の回路に移って姿を変えていく。
7.これはいわゆる複雑系であり、多様な差異を表現しつつ単一性を
保ち続ける状態を生み出す。
8.クオリアの内容を表現する。

追記 by わるねこ:著作権の問題もあるかもしれないので、アブストラクトは残して本文は削除しておきました。でも、このような書き込みは本来、非常にありがたいのです(2005 12/10)。

投稿 R.T | 2005年12月 4日 (日) 11時59分

先生の記事のご紹介ありがとうございます!大変参考になりました。
僕としてはうれしい投稿なのですが、著作権の問題もあるかもしれませんので、3日後に本文だけ削除しておきますね。

先生は語るべき用語で語られ得る内容を無駄無く表現しておられ、今の僕にはそこまで思考を明晰化することはできませんでした。特に、Dymamic Core HypothesisとSchizophreniaとの関係、情報論的な解釈は僕に明らかに欠けていたものでした。また、A.Carlssonの視床フィルター仮説もしっかり読んだことは無かったので、これを機会に勉強してみようと思います。
最近の論文を少し読んでみたところでは、神経活動の同期にも局所的なshort range(<2mm)のものから脳内の広い範囲で生じるlong range(>2mm)のものがあり、それぞれ異なる機序(GABA-ergic interneuronやlong-range pyramidal cellなど)で生成されている可能性があるようですね。さらに視床といくつかの大脳皮質において"intrinsic oscillator"とも言えるようなpacemakerとして機能する可能性のある細胞も見つかっているようです。GABA-ergic interneuronとthalamo-cortical reentrant loopsがいかなる機序で協調した活動を成し遂げるのか?この辺りはTraubとWhittingtonがモデル化しているらしいのですが、彼らの著書も注文したので調べてみます。このような神経活動の同期現象の時空間的なパターン解析も一筋縄ではいかなそうですが、数理専門の先生方が視床ー皮質回路のかなり精細なシュミレーションを提示していますね(これも勉強しなければいけません)。解析が進むにつれSchizophreniaの各々の症状との対応関係も少しずつ明らかになってくるのだと思います。さらにDynamic Coreの統合不全の経時的な変化の様相が明らかになれば、Schizophreniaの症状発展とパラレルで考えることもできそうです。そうなれば、精神病理学を新しい言語で置き換えるのも夢ではないような気がします。Edelmanがconsciousnessをnaturalizeすると言っていましたが、psychopathologyをnaturalizeすることも夢ではなくなる、そんな気がします。

先生はやはりD.Chalmersも読んでらっしゃるんですね。僕は、あの大冊に2度ほどトライしたのですが、いずれも途中で断念してしまいました。

投稿 わるねこ | 2005年12月 4日 (日) 15時59分

 清水博の著書(「生命と場所」など、いいですよ)、吉田民人の情報の定義(インターネットで検索できます)、、それに河合隼雄の本(たとえば「ユング心理学と仏教」)は一応、押さえておいたほうが、ぜったい、いいと思います。貴君にはきっと役立つと思うのですが。
 欧米系のひとたちが言語の壁のせいでこの3人の著書に親しめないのは残念です。この点、われわれは特別恵まれた環境にいるのだとおもうのですが、でも、そのことに気付いているひとは稀有。この3人の著書を読んでその全ての重要性をたちどころに悟れる欧米文化圏の人物がいたとしたら、唯一、それこそ F.Varela だっただろう、と想像します。あと、もう一人いるとすれば、例のA.Stevensでしょうか。ちなみに、このひとはわが国ではほとんど無名ですが、第3回 フェイ・レクチャーの講師です。その第6回の講師が河合隼雄先生で、そのときの講義録が上述の著書。

投稿 R.T | 2005年12月 4日 (日) 18時33分

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