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2005年12月18日 (日)

Evan Thompson, Francisco Varela.Radical embodiment:neural dynamics and consciousness.Trends in Cognitive Science vol5 No.10 Oct 2001

Varelaがこの世を去ったのは2001年5月だから、これは死後に発表された記事になる。

最近embodiment、あるいはenactiveな認知科学という用語を論文の中でもみかけるようになった。これは、embodiment、あるいはenactiveにアプローチに関する宣誓文ともいえる内容が解説されている。Varelaの"Embodiment Mind"では仏教思想の用語から僕には理解しづらいところもあったが、これはEmbodiment Mindの内容を自然科学と哲学の言語で書いたものでれ、理解の助けになった。以下、覚書。

意識の科学的探求のfirst stepは"neural correlates of consciousness(NCC)"を特定することというのが現在の趨勢だが、NCCを特定するというアプローチでは内的な神経活動のイベント→意識的な体験という因果的にone-wayな説明となってしまう。彼らはこのようなNCCのアプローチはmisleadingであり、因果的にtwo-wayな説明(神経活動のイベント⇔意識的な体験)を可能とするembodimentの立場をとるべきだと提唱する。彼らは以下のような態度をとる。

1.複雑系のシステムにおける創発emergenceという現象の一般的な特性から、神経活動と意識的体験のtwo-wayあるいはreciprocalな説明が可能となる。
2.意識の成立にとって不可欠なプロセスは単なるbrain-boundな現象ではなく、脳ー身体ー環境(世界)という区分を横断cut acrossする。

僕たちの意識あるいは主観的体験が脳の神経活動のダイナミクスを基盤としていることは疑いようのないことだ。このような意識あるいは主観的体験が成立するためには脳内で並列分散された神経の活動を統合するプロセスが必要となるが、その最有力候補が神経活動の同期性などの時空間的な神経活動の時空間的なダイナミクスである。しかし、神経活動の同期性でさえ因果的説明を可能する証拠は得られておらず、未だ相関的correlativeな証拠に留まっている。

上記の神経活動のダイナミクスは、自己組織化の代表的な例である非線形振動子の範疇から考え得るものであるり、創発emergenceがkey conceptとなる。

自己組織化における創発の定義としては、

1.創発はネットワークを構成する要素の相互的な作用の非線形的なダイナミクスから生起するプロセスである。非線形性はpositive feedbackおよびnegative feedbackによる結果である。
2.創発はglobal-to-local(downward)という方向の決定論的な作用をシステムのダイナミクスに与える。
3.創発はネットワークの構成要素の内的な性質だけでは決定されない。つまり、関係的単一体relational holismを構成する。
(1,2はdefinitive、3はpossiblyである。)

上記から創発には因果関係の二つのdirectionが導かれる。

1.局所ー全体的な決定性local-to-global determinationsあるいは上向性因果関係upward causation
2.全体ー局所的な決定性global-to-local determinationあるいは下方性因果関係downward causation

1は通常のシステムにみられる関係であるが、創発的なシステムは2のdownward causationを備えることが必要である。これはupward causationとsymmetricalではない。upward causationがシステムのダイナミックな相互作用を通して成立するのに対して、donward causationはシステムのパラメータや結合条件の変化によって生じる。創発的なシステムでは、interdependentlyにシステムと結合した各要素の並列的なふるまいの集合における"collectible variables"あるいは"order parameters"(正確な意味は不明)が個々の要素のふるまいを制限あるいは規定するようになる。こうなると個々の要素はもはや個別に存在したときと同じようなふるまいをすることができなくなる(システムにconstrainされる)。また、一方で個々の要素のふるまいがこのorder parameterを生成、維持している。創発的なシステムでは、このような局所ー全体という異なるレベルにおける円環的な因果関係circular causalityがみえてくる。Varelaは脳、身体、環境という異なるレベルのシステムのカップリングから自己組織的に生じる意識が創発的なものであるならば、downward causationもこれらの異なるレベルに普遍的にみられるものだという。自由意志の問題も、この「downward causationが存在するか否か」という問いに置き換えられるのかもしれない。また、Chalmersの提唱する付随現象説epiphenomenalismでは、このような問いに答えられないともいう。

意識が創発的な現象だとすれば、僕たちの意識的な認知的行為が局所の神経活動のパターンに因果的な影響を与えなければならない。彼らは間接的な証拠として以下のような例を挙げる。

1.Varelaらが行った実験により、てんかん波の一見ランダムにみえる神経活動の中には決定的な時間的パターンがあり、これがある種の認知課題の負荷によってmodulateされることが確認されている。また、古典的にはPenfieldらがてんかん患者に計算課題を負荷した際にてんかん発作の発展が阻止されたと報告している。
2.あいまい図形やmultistableな認識(立方体の格子やおばあさんとアヒルの絵など)において、被験者が異なる認知的解釈を行ったときに、neuronal biasがshiftすることが確認されている。

このようなdownward causationはlarge-scaleな脳のダイナミクスのorder parameter(また出てきた。何となくイメージできるけど、正確にはどういう意味だろう?)の変化を通して成立し、意識にcrucialなプロセスは脳ー身体ー世界という区分をcut acrossするのだと語る。つまり、脳、身体、環境は互いにembedded(これもニュアンスは分かるけど、どう訳すのか?)されたシステムであり、これらの相互的な作用がupward causatonを通してglobalなorganisim-environmentalなプロセスを成立させ、これが逆にdonward causationを通してそれぞれの構成要素に影響を与えるのである。脳だけにboundされたNCCでは、この辺のことを記述できないのである。

ちなみに、このようなembodimentはいくつかのレベルにおける「システムの作動の円環cycle of operation」によって記述される。これらは、

1.cycles of organismic regulation
2.cycles of sensorimotor coupling
3.cycles of intersubjective interaction

とあるが、今夜はここで力つきる。

今日の音楽:London Electricity"Power Ballads"
巷でDrum'n Bass再興の動きがあるらしいけど、僕もそれに影響されて購入。学生時代に聴いた懐かしいトラックも入っていたけど、今聴いてこそ新鮮。

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コメント

うーん、やっぱりこの論文は「情報の包含的階層構造」を解説している論文のように思える。われわれの知りうる自然界ではその階層の最上位層が個々の「意識」であるわけですが。
 といっても何のことやら、通じないかも。やはり面談するしかないですね。

投稿 R.T | 2005年12月19日 (月) 22時50分

この論文でVarelaは、脳ー身体ー環境という異なるシステムのカップリングによって意識という新たなシステム領域が生成されると言ってますが、「情報の包含的階層構造」は、Varelaの言うシステムの「構造的カップリング」に近いものなのでしょうか?先生のおっしゃる通り、やはりお会いして話さないとなかなか伝わりにくい内容ですね。僕は話下手な人間なのですが・・・
ちなみに、僕は勉強し始めた頃、「意識と脳とのcausalityはいかなるものか」ということを考えていたんですが、最近はこのような問題設定自体が不適切だったのかもしれないと考えています。僕たちがこころと脳を眺めるとき、僕たちの脳自体がそこに何らかの因果を求めてしまうのかもしれません。

投稿 わるねこ | 2005年12月20日 (火) 12時02分

脳ー身体ー環境という異なるシステムのカップリングによって意識という新たなシステム領域が生成される。・・・

なるほど、
「情報の包含的階層構造」の最上位層(=全体)である「意識」の、
その全体を構成する構成要素(=各部分)は、
脳ー身体ー環境のすべてである、
ということになる。
つまり、脳、身体、環境を構成要素として成立する
特異な(全一性・単一性を有する)時空間構造体(=情報=パタン)
が「意識」であるということになるわけでしょうかねえ。

投稿 R.T | 2005年12月20日 (火) 15時51分

なるほど、です。この論文でVarelaらは、カップリングによって生じた高位階層のシステムが、下位のシステムに対してdownward causation下向きの因果を与えるとも言っています。これをオートポイエーイス風に言えば、システム作動の産生物(意識)自体が再び自己を生産するように働くということになります。つまり、階層的構造と言った場合でも各階層間の関係はone wayではなく、recursiveな関係にあるのかもしれないですね。そして、複雑系の考え方で言えば、脳と身体と環境という各システムの総和からだけでは意識は成立し得ないのでしょう。この辺の情報あるいはシステムの階層間の関係の記述にある程度、成功した人はいるのでしょうか?悲しいことに、今の僕にはただこの階層間の関係を「ダイナミック!」としか言うことができません。いや、むしろ皆がそれを目指して考えを練っているのでしょうね。

投稿 わるねこ | 2005年12月21日 (水) 01時21分

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