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2006年1月

2006年1月30日 (月)

Progress in Brain Research vol.150:The Boundaries of Consciousness:Neurobiogy and Neuropathology

最近は毎晩、官舎に住み着いたネコが夜鳴きしている。ベランダから眺めると、数匹のネコが集会している。うちのネコは去勢されたからこんな声は出さないけど、なんだか聴いてるこっちまでドキドキする。

少しずつ読んでいたProgress in Brain Research vol.150の意識研究特集のメモ。とりあえず、Chapter1-5まで。

Adam Zeman.What in the world is conscousness?(2005)Progress in Brain Research vol.150:1-10

Susan A.Greenfield and Toby F.T.Collins.(2005)A neuroscietific approach to consciousness.Progress in Brain Research vol.150:11-23
neural correlates of consciousness:NCCとしてのneuronal assembliesについて。刻々と変化するneuronal assembliesのfunctional stateは意識の現象的側面そのものではないものの、意識の指標indexとなり、これらはイメージングよって検証できる。有力なイメージング手法としてin-vivoではf-MRIやf-EIT(functional electrical impedance tomography)、in-vitroではvoltage-sensitive dyesや蛍光色素を用いたカルシウム電流のイメージングなどが挙げられる。著者はassemblyのsizeが大きければ大きいほど疼痛も強くなるという疼痛のパラダイムを提示し、上記のイメージングによって検証され得るとしている。前半は勉強になったけど、後半はちょっとつまらない。

Barnard J.Baars.(2005)Global workplace theory of consciousness:toward a cognitive neuroscience of human experience.Progress in Brain Research vol:.150:45-53
EdelmanもいるThe Neuroscience Instituteに在籍するBaarsの投稿。"Global workplace hypothesis"はDennetなどの本などでよく目にした記憶があるが、Baarsの著作はまだ読んだことがない。この投稿におけるGlobal workplace hypothesisの概要は、以下の通り。意識を有することによって何が可能となるか?我々は意識を有することによって脳内に並列分散的に進行し続けるfunctional processes(sensory consciousness、working mermory、inner speech、imageryなど)にアクセスすることができ、これによって初めてこれらのcognitive processのcoordinationとcontrolが可能となる。つまり、意識は脳のgatewayと言える。Baarsはlesion studyの例などを挙げて、この仮説を擁護している。さらに、意識下に進行するプロセスもコンテクストとして意識の輪郭の形成に寄与(shape consciousness)しているという。きわめてリーズナブルな議論で、おそらく著作を通して意識の仮説を展開している人の中では最もシンプルな内容だろう。

J.Kevin O'Regan ,Erik Myin and Alva Noë.(2005)Skill,corporality and alerting capacity in an account of sensory consciousness.Progress in Brain Research vol.150:55-68
Alva Noëはカリフォルニア大学バークレ校哲学科の人。この人はどうやら知覚論の分析哲学的な研究をしている人らしいのだが、細部まではよく理解できなかった。分からないなりに一応まとめてみると、以下の通り。Alva Noëにとって根本的に重要な問いは、ある知覚体験がいかにしてsensory feelを有するのか?ということ。当然Qualiaとか、explanetory gapの問題にも関わってくる。Alva Noëは知覚をより能動的なsensorymotor skillとして捉えており、身体的行為が知覚情報処理に与える影響を我々はimplicit knowledgeとして既に有しており、このimplicit knowledgeから知覚のmodalityの違いが生じるという話が前半。後半は知覚における2つの重要な要素であるcorpolarity(身体的な行為が知覚情報の処理に与える影響の度合い)とalerting capacity(知覚入力が個体の意識的なcognitive processを惹起する度合い)という相補的な概念を導入し、この2つの要素によって、あるinputが知覚体験として成立するかどうかが決まるという内容。

つづきは、また今度書こう。
Alva Noëの議論は難しかった。Metzingerの著書も挫折してしまったけど、こういう議論はしっかりおさえておかなければ、と思う。
哲学も共同作業の時代、とどこかで読んだけど、ここで挙げたAlva NoëやT.Metzineger、P.M.Churchlandの論考はまさしく共同作業によって生まれたものとして感じられる。議論の過程で複雑な概念装置が導入されるが、そこには必ず定義が書かれている。彼らのスタンスは研究者そのものだ。

今日の音楽:Fenesz"Venice"
勉強や仕事の邪魔にならないので、最近のお気に入り。ノイズと音響で奏でられる情景豊かなエレクトロニカ。ここではノイズがアコースティックな響きをもち始めており、様々な感情が風景とともに惹起される。

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2006年1月23日 (月)

最近

大雪の一昨日は、四谷で同期会。総合病院の精神科、しかも合併症専門病棟というややアウトローな仕事をしているせいか、臨床的な感覚あるいは「勘」が皆と少しずれ始めていることに気づく。とはいえ、楽しい会だった。

最近は少しサボり気味だったが、気を取り直して再び色々と読み始める。

Rizzolatti G, Craighero L.The mirror-neuron system.Annu Rev Neurosci. 2004;27:169-92.

mirror neuronに関する研究でトップを走るRizolattiによるmirror systemに関するreview。昨年ここでメモしたChangeuxによる ”Neurobiology of human values"に一編寄せていたので、気にはなっていた。

mirror neuronに関する現在得られているエビデンス、自己および他者のaction perception、mirror neuron systemによって媒介されるimitation learningが言語などの社会的な認知機能の獲得に重要であるというような話。

Arbib MA, Mundhenk TN. Schizophrenia and the mirror system: an essay. Neuropsychologia. 2005;43(2):268-80. Epub 2005 Jan 7.

これも、review。mirror systemとSchizophreniaとの関連について ,特に自我障害におけるself-monitoringやsense of agencyの観点からmirror neuronの関与を考察したもの。自我障害に関する考察は少し無理のある感も否めない。アフォーダンス(objectがその環境において適切な行為を生物主体にアフォードする)についてmirror neuronとの関連で述べたところは興味深かった。

あとは、Steven Laureysという人が編集した"The Boundaries of Consciuosness.Neurobiology and Neuropathology"(Progress in brain research vol.150)を飛ばしながら読んでいるが、いずれ要約をメモする予定。ASSC8での講演をまとめたもの。

プラトンの本質論からの流れで、井筒俊彦先生の本も読んでいる。今の僕には難しくて、一度読んだくらいでは理解できないのだろうけど、すこしずつ読んでいる。

今日の音楽:Manuel Gottosching"E2-E4"

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2006年1月15日 (日)

プラトン「パイドン」岩田靖夫訳(岩波文庫)

「パイドン」プラトン著.岩田靖夫訳(岩波文庫)
色々と読んでいると、西洋的なものの考え方の源流に触れたくなって、ふらっと読んでみた。ふらっと読んでいい書ではないんだけれども、立川で見つけた中央線的な喫茶店で僕はこの書を一気に読了した。ちなみにその喫茶店の名は「あちゃ」で、立川で唯一中央線的な店である。僕はここで原初の音色をもつディジュリドウを聴きながら、原初の思想に触れたのである。

この書は、「魂」すなわち「意識」あるいは「こころ」の存在論的証明に関する、ソクラテスと弟子との対話篇だ。その対話を、ソクラテスの死後、対話に居合わせたパイドンがエケクラテスに伝えるという形式。おそらく、プラトンはパイドンに語らせることにより、僕ら(エケクラテス)に語りかけ、問いかけている。
一見したところ素朴な議論である。哲学と信仰、信念と論理などが一緒くたになったままで話が進み、終わる。
僕ら後世に生きるものからすれば、この本は既に「歴史」、あるいは「かつていた場所」であり同時進行的な議論ではない。だから、僕らはそこに二元論なり、観念論なり、独我論なり、ロゴス主義なり、記号論なり、さまざまな西洋的なものの考えたの萌芽を(人為的に)見いだすことができる。しかし、僕の事前の予想に反して、その思考の源流はトップダウン的な直感にあったのだ。この点では東洋的なものの考えたとその出発を同じにしているような気がする。しかし、彼らはこの直感を疑うという方ことから始める。そして、彼らは「分ける」ことによって、事物の存在を証明する。「分ける」というプロセスを進めていけば、いつかそれ以上分けられない「本質」に出会うのである。これを演繹すれば、全ての存在は証明されるのである。しかし、こうやって最後に「魂」や「美」、「善」の不滅の存在を証明してみせたこの書によって、彼らは逆にここから永遠に隔絶させられたのだという気がしてならない。

ちなみに、この本はよくよく読んでみると詩的なまでのメタファーが隠されており、美しい議論だと思う。訳もいいのだろう。

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2006年1月14日 (土)

spontaneous activity of the brain.2

つづき。脳の自発的活動について。最近よくsynfire chainという言葉を目にしていたが、synchronizationといってもネットワークにおける活動伝播の効率性から考えるという点が面白いと思っていた。
以下、まずsynfire chainについて手元の資料で少し調べてみた。

Abelsらはサルの前頭皮質からの多細胞同時記録を行い、3つのニューロンの発火が1msec以下の精度で、ある一定のパターンで繰り返し生じることを確認した。しかも、お互いの発火の間隔は数百msecと大きく、偶然でこのようなスパイクが生じるとは考えられないものであった。このように数百msecの間隔がありながら、精度良く時間相関したスパイクパターンを説明するためにAbelesらはsynfire chainという概念を導入した。
ニューロンシステムでは複数のニューロンから一つのニューロンに収束するconvergenceと、一つのニューロンから複数のニューロンに投射するdivergenceとが共存する。このような構造を有するネットワークにおいて活動が減衰せずに順繰りにニューロン群を伝播するためにはニューロン群の活動に何らかのパターンが存在するはずである。Abelesらは上記の結果を踏まえ、多数のニューロンが十分に高い精度で同期して次のニューロンに入力し複数のニューロン群を同時期に発火させる必要があると考え、このようなネットワーク特性および活動の伝播パターンをsynfire chainと名付けた。

Science2つ目の論文。前から読もうと思っていたけど、なかなか読む時間が無かった論文。
読んだら面白かった。

Ikegaya Y, Aaron G, Cossart R, Aronov D, Lampl I, Ferster D, Yuste R.Synfire chains and cortical songs: temporal modules of cortical activity.Science. 2004 Apr 23;304(5670):559-64.

1.まずマウスの一次視覚野から得たスライスの約20個の細胞でintracellular recordingを行い、EPSCを記録。その結果、1msec以下の精度で繰り返されるmotifが確認された。

2.次にネコの一次視覚野で(視覚刺激を与えずに)in vivoでintracelullar recordingを行った結果、msecの精度で繰り返すmotifを確認した。これらは最長で2sec持続し、間隔は数分にも及んだ。

3.さらに97個のマウスの一次視覚野および前頭皮質から得たスライスでCa-imagingを数百個の多細胞のCa電流を同時測定したところ、一定の空間、時間的パターンをもって活動電位(正確に言うとCa電流だが活動電位とidenticalであることが確認されている)が続くsequenceの存在が確認された。これらはintracellular recordingで確認したmotifと同じcircuitの活動によるものと確認された。

4.さらに大きな時間スケールで解析したところ、上記のsequenceが一定のオーダーで規則的に繰り返されることが確認された(例えばA1-B1-C1-D1‥というように)。かれらはこれをcortical songsと名付けた。それぞれのcontical songsは2〜8個のsequencesの配列から成り、一つのsequeceは複数のcortical songsに参加していた。これらのcortical songsは発火率とは相関せず、synchronicityとは相関していた。

5.dopamineを投与した前後でスパイク事象のincidenceに変化はみられなかったが、sequencesやcortical songはdepressされた。これらのエフェクトはD1agonistで抑制され、D1antagonistによって同様の結果が得られた。(ここでfunctional dysconnectionとしての Schizophreniaにも触れている)

以上の結果を踏まえると、一定のつらなりで活動するsynfire chainがあり、さらにこれらのchainがmoduleとなってsequentialに配列することによってhigher orderなtemporal structureであるcortical songsを成す
のである。著者はcortical songをいくつかのパートの時間的な配列によって特徴づけられるbird songになぞらえている。そして、これらはin vitroでもin vivoでも確認されたことから、cortical circuitにintrinsicな性質であるとしている。Abelsらはたかだか3つの細胞だったので、数十個から数百個の細胞を同時記録したこの論文はsynfire chain、さらに上位の活動パターンの存在に説得力をもたせることになる。


著者は僕も著書を読んだことのある日本人の脳科学者。僕の頭の良い人のイメージはこういう人。その本は慶應New York高の学生に脳科学の講義をするという内容であったが、前評判通り非常に面白い内容であった。

脳の自発的活動は決してランダムではなく、synfire chainという時空間的パターンがあり、これを要素としてさらに上位のパターン(原著ではhigher order grammarとある)が形成される。皮質のあらゆる細胞がこのようなパターンに参加しているのかもしれないし、脳はこのようなパターンを刺激の無い環境下で自発的に形成しているのだろう。さらに、cortical songよりも上位のパターンだってあるかもしれない。
こうなるとSchizophreniaではどうなっているのだろう?という疑問がでてくる。直感では、細胞やシナプスレベルでの異常はあるにせよ、機能的異常が顕在化するのはこのような上位の情報表現パターンだろうという気がする。

色々と勉強したくなったので、Abelesの名著、Corticonicsを購入。

今日の音楽:Jephté Guillaume"The Prayer"
ハイチアンのアーティスト。位置づけるなら、Body and SoulとかSpirtual Life Musicとの関係が深い、N.Yディープハウスの人になるのか。曲によってはコテコテでついていけないものもあるけど、このトラックは僕にとってまさに奇跡のような曲。言葉にするより絵にした方が早いatomosphericな音景。太平洋の島のビーチで、海に月が上った頃、全然知らない国の旅人と聴いてみたい。

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2006年1月10日 (火)

Spontaneous activity of the brain.1

脳の自発的な活動について。最近たまたま読んだScience誌の2つの論文が興味深かったのでメモ代わりに紹介。

まず一つ目。

Tsodyks M, Kenet T, Grinvald A, Arieli A.Linking spontaneous activity of single cortical neurons and the underlying functional architecture.Science. 1999 Dec 3;286(5446):1943-6.

大脳皮質、たとえば視覚野などは視覚刺激が無い状況でも自発的な活動を続けていることはよく知られている。これらの自発活動spontaneous activityはしばしば確率論的stochasticな現象で、noiseや背景活動として捉えられることもあり、神経システムの活動における機能的な意味はほとんど分かっていないのが現状である。しかし、神経活動の同期現象などのように従来は無秩序と考えられていた自発活動にマクロな視点での秩序が隠れていたことが明らかにされており、自発活動=ノイズという単純な図式は徐々に疑いの目を向けられ始めている。

ArieliはIsraelの脳科学者。本論文を無理矢理に要約すると、「視覚刺激ありの条件と刺激なしの条件下でsingle unit recordingとreal-time optial imagingをネコの視覚野で同時記録することにより、single neuronの自発活動spontaneous activityの発火率が広範囲にわたるneuronal populationのongoing activityの内部状態に依存していること、これらの自発活動のspatial patternが外部刺激を与えられたときによって生じるevoked activityや方位選択性マップなどのfunctional architectureと類似していることを示した」論文である。

彼らはまず、ネコの大脳皮質におけるevoked activityからfunctional map(この実験の場合は方位選択性マップ)を同定した。さらに電位感受性色素を用いたreal-time optical imagingと複数のsingle unit recordingを同時記録することによって、同じ部位のneuronal population activityとsingle cellの自発活動の発火率との相関を解析した(real-time optical imagingは、電位感受性色素を用いてmembrane potentialの変移を計測する手法で、測定部位のneuronal population activityをほとんどreal-timeといえる時間分解能で記録することができる)。ここで、彼らは視覚刺激によって活動電位を生じた時間内におけるevoked activityの全記録を加算・平均化することによって神経細胞が最も高い発火率で活動する際の内部状態を定義し、preferred cortical state:PCSと定義している。このように導きだされたPCSのパターンは方位選択性マップと類似していることが予想されるが、実際にそのような結果が得られた。
続いて、彼らは統計解析(この辺の詳細はよく分からない箇所もあったが)によってneuronal populationのongoing activityはPCSに類似したパターンを有していることを示した。この結果は神経の自発活動は無秩序なプロセスではなく、方位選択性マップなどのfunctional architectureに依存していることを示唆している。さらに、視覚刺激の有無によらず同じ内部状態が見いだされたことは、外部刺激に対する皮質の反応が単なる感覚入力情報のflowによって決定されているのではなく、外部刺激によるflowがダイナミックにswitchし続ける無数の内部状態から特定の内部状態(PCS)を選択する役割を担っているのだと考えられる。さらに神経細胞の発火率が高くなると、よりPCSに近いパターンになることも示されており、活発に活動しているときの神経活動のパターンはPCSに収束していくという可能性も示唆されている(この意味でPCSはアトラクターと言えるかもしれない)。そして、繰り返すがこのPCSはfunctional architectureと非常に似ているのである。
著者は上記の結果から、自発活動は無秩序なノイズではなく皮質のネットワークと密接にリンクした特定のパターンを有する活動であり、究極的には何らかの機能的な役割を担っている可能性もあるのだというような考察を書いている。大体このような内容。日本語に難あり。

「環境刺激は脳があらかじめ無数に創出している内部状態の一つを選択するだけである」という可能性は面白いと思う。両立は難しい思っていたアフォーダンスと神経生理学が矛盾なくつながるかもしれないという希望がある。
また、自発活動自体は情報を担うcareerなのではなく、情報処理のmodulatorなのかもしれないという可能性もあるだろう。


今日は既に力つきている。続きはまた明日書こう。

今日の音楽:Richie Hawtin"DE9:Transition"(DVD)
連休を利用して自宅に5.1chサウンド+プロジェクターのヴィジュアルサウンドシステムを構築したので、この作品を改めて聴いてみた。2ch再生ではループ素材の時間的な同期しか体感できなかったが(それでもその精密さに驚いた)、5.1ch再生ではループの反復が空間的に同期していくのが体感できる。さらに音景とマクロに同期した映像もあるので、結局は感覚モダリティを超えて同期するのである。こんな作品を人工的に作り出すなんてRichieは恐ろしい。そんなものは、僕らの脳だけで十分なはずだ!
とはいっても、よくよく考えてみると同期は音楽の最も原始的な特性であるはずだ。オーケストラの多重演奏では異なる楽器が同期するし、バリ島のケチャでは人の声と太鼓が同期する。ダンスだって音とボディムーブメントの同期として捉えられる。この意味で、打楽器はchattering cellならぬchattring instrumentsと言えるかもしれない。原始的であるという意味でも海馬にアナロジーを感じてしまう。
ここまで書いて、脳の活動を音楽に喩える比喩はきわめて伝統的に繰り返されてきたことを思い出した。
これまで読んだ多くの本の中で、脳はオーケストラに喩えられていた。しかし、脳には指揮者もいなければ、楽譜だってないだろう。オーケストラには外部からの撹乱もない。内在的な拘束条件の下(暗黙のルール)、各奏者やときにはオーディエンスとの関係(掛け合い)の中で曲が展開していくのだろう。次の瞬間に何が起こるか分からない音楽。そういう意味ではオーケストラよりもインプロビゼーションなジャズとかケチャの方に近いかもしれないなあ、などと思う。

Tsodyks M, Kenet T, Grinvald A, Arieli A.Linking spontaneous activity of single cortical neurons and the underlying functional architecture.Science. 1999 Dec 3;286(5446):1943-6.

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2006年1月 3日 (火)

メモ

今日でお正月も終わり。明日からまた怒濤の生活が始まる。

「脳の情報表現 ニューロン・ネットワーク・数理モデル」(朝倉書店)
難かしい。途中の数理モデルはほとんど理解できなかったが、Ad Aertsenによって書かれた最終章は興味深い内容だった。脳内のいかなる物理的現象が情報をコードしているのか?彼は情報はニューロンの発火のタイミングには存在せず、最終的にはニューロンの組み合わせにしか無いのだと述べる。ニューロンの活動の時間的パターンが興味深いのは観察者にとってであり、ニューロンそれ自体は前のニューロンのグループの活動を受けて発火しているだけにすぎないのである(そうなると同期は付随現象epiphenomenonでしかない可能性もある)。我々はこのようなプロセスを観察して同期検出(coincidence detect)していると言っているのだと。しかし、ニューロンの発火の中で同期した一斉射撃(Synchronous volley)に至ったものだけがニューロン空間で生き延びることができる。生き延びて次のグループのニューロンへ活動を伝播したものだけが、意味をもつことになる。
安易な解釈に陥りやすい僕にとっては何度も読む価値があった。

Neuenschwander S, Castelo-Branco M, Baron J, Singer W.Feed-forward synchronization: propagation of temporal patterns along the retinothalamocortical pathway.Philos Trans R Soc Lond B Biol Sci. 2002 Dec 29;357(1428):1869-76.
神経活動のシグナルの時間的パターン(同期活動)がfeed-forward型にReina-LGN-Visual Cortexという経路で伝搬されるという話。しかし、このよう神経活動の時空間的パターンと情報のコーディングの問題はまだほとんど分かっていないという。

Lamme VA, Spekreijse H. Neuronal synchrony does not represent texture segregation.Nature. 1998 Nov 26;396(6709):362-6.
実はV1の神経活動の同期がfeature binding、特にtexture segragation(図と地の分離)を担っていないのだという話。このような情報処理プロセスはretinaのレベルで行われている可能性だってあるという。

以下、気になった引用文献をメモ。暇ができたら読もう。

Shadlen,M.N. & Movshon,J.A.Synchrony unbound: a critical evaluation of the temporal binding hypothesis. Neuron. 1999 Sep;24(1):67-77, 111-25.
同期というパターンが情報をencodeするのか?それとも、単なるepiphenomenonなのか?という議論があるらしい。

Singer W. Neuronal synchrony: a versatile code for the definition of relations?
Neuron. 1999 Sep;24(1):49-65, 111-25

Rickert J, Oliveira SC, Vaadia E, Aertsen A, Rotter S, Mehring C. Encoding of movement direction in different frequency ranges of motor cortical local field potentials.
J Neurosci. 2005 Sep 28;25(39):8815-24.

脳の情報表現では、神経回路網の複数の時間スケールにまたがったダイナミミクスが同時に走っている可能性がある。

Gewaltig MO, Diesmann M, Aertsen A.Propagation of cortical synfire activity: survival probability in single trials and stability in the mean.
Neural Netw. 2001 Jul-Sep;14(6-7):657-73.

今日の音楽:Sonic Youth"Schizophrenia"(From CD"Sister")
i-tunes music storeにてDL。昔はよく聴いていたSonic Youthだが、こんなタイトルをもった曲があったとは気づかなかった。でも、歌詞がよく聞き取れず、どんなことを歌っているのか分からないのが残念。

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2006年1月 1日 (日)

Evolutional origin of Schizophrenia

Jhonathan Kenneth Burns.An Evolutionary theory of Schizophrenia:Cortical connectivity,metarepresentation,and the social brain.Behavioral and Brain Science(2004)27,831-885

(つづき)Evolutional origin of Schizophreniaは何処にあるのか?

Crowらは、言語能力の獲得と大脳のlateralizationを素地としたSchizophreniaの進化論的説明を行っており、Schizophreniaはホモサピエンが分岐した後の比較的最近の年代における霊長類の脳の機能の特化speciationを基盤として生じたとしている。
しかし、近年の機能画像研究を通して系統発生的に人よりも古い大型類人猿(オラウータンやチンパンジーなど)でも大脳(特に側頭平面)のlateralizationが見いだされること、activation-studyなどにおいて類人猿でも前言語野ともいうべき脳領域が確認されていること、チンパンジーの言語能力の研究などから、広い意味での大脳のlateralizationと言語能力の発展はCrowらが推測するよりもかなり古い起源を有しており、系統発生的には1800〜1600万年前にテナガザルが他のヒト科に属する種と分かれた直後の時期と推定されている。前回も書いたように、BurnsらはSchizophreniaは脳・認知能力の進化に伴う二段階のTrade-offとして生じたと唱えており、認知モデルとしてSocial Brain領域のdysconnectivityを取り上げ、疾患遺伝子の世代間伝達機序としては"Pleiotropic model"を提唱している。すなわち、maladaptiveな疾患遺伝子であっても生存上有利な遺伝子群と連動している場合には、次世代に伝達される可能性が高くなるというモデルである。Burnsは近年の潮流に沿う形でSchizophreniaをneurodevelomental disorderと位置づけた上で、このような遺伝子群として神経発達のタイミングやパターン(軸索の進展とシナプス形成、刈り込み、幹細胞の分化、遊走、アポトーシス)に関わる調節遺伝子群を有力視している。言い換えれば、ヒトの脳の"heterochoronic"な発達を調節する遺伝子群との結合関係によって、Schizophreniaに関与する遺伝子群が存続するというのである。

これを個体発生でみるとどうなるか?上記の"heterochrony"はErnst Haeckelによって提唱された概念で、大まかには「系統発生における祖先と比較した際に器官発生・成熟のタイミングに変化がみられることで、具体的には個体発生のプロセスで器官の成熟過程が加速および減速される現象」と定義づけられている。Ernst Haeckellらはヒトの高度な認知機能の獲得をheterochronyによって説明している。これと似た概念としてLouis Bolkによって提唱された「幼形成熟neoteny」という概念もあるが、現在でも議論の多い概念である。Gouldはかつて「ヒトは本質的に幼形成熟である」というスローガンを唱えたが、現在はこれを拒絶する科学者が多い。また、Lockらは各表現型ごとに固有の成長率を有しており成熟は加速されたり減速されるという、neotenyから一歩進んだ"mosaic evolution"という考えを提唱している。著者はこれらの乱立するモデルを踏まえ、ヒトの個体発生では脳の成熟段階におけるプラトーへの到達速度が遅らされる(neoteny)のではなく、むしろ個体発生のプロセスが系統発生において連続的に延長されてきたのだ(phyletic extension of ontogeny)というMcKinneyらの"sequential hypermorphosis”という考えを取り入れている(neotenyとhypermorphosisは微妙な違いではあるが、単に遅れるというneotenyに比べてhypermorphosisの方がより積極的なプロセスであるということが重要らしい)。このような機序によるシナプス形成やリモデリング期間の長期化はネットワークのconnectivityの複雑さと可塑性を増加させ、環境からのエピジェネティックな要因への感受性を高めるのである。これによりヒトは言語能力やSocial Brainによって遂行される社会的認知能力を大幅に洗練させることが可能となったのだが、その代償trade-offとしてSchizophreniaが一定の割合で出現することになったのだというのが著者の主張である。

以上が大体の要約。以下、感想。


この論文は検証不可能なspeculationや引用が多いし、Burnsの意見に全て賛同できるわけでもない(特にSchizophreniaをSocial brain領域の疾患と絞るあたりが。僕はもっとglobalなconnectivityの問題だと思う)のだけれども、Schizophreniaの進化論的な起源について活発な議論が現在進行形で行われていることは分かった。特に機能画像や最近の認知心理学の進展はサルやチンパンジーなどの類人猿にも拡大され、これらとヒトとの比較研究からかなり正確なことも言えるようになったようだ。この分野は面白い。進化論は再現性が無いという批判をよく聴くし、僕もそう思っていた。だからこそ論理展開が重要になる。この論文では多少乱暴な論理展開もあるが、異なる分野の知見を統合させてゆくアプローチは嫌いじゃない。「デルフォイの神託」(よく言ったものだ!)と言ってSchizophreniaにまつわる多くの疑問を神棚に祭り上げるよりも、いろいろと考えてみた方が面白いのである。
付け加えると、著者は近代以降ヒトの思春期が後退し続けたために、Schizophreniaの成立に重要な神経発達の時期に受けるepigeneticな影響が減少した結果、paranoid typeを除く重症(原著ではmalignant)のSchizophreniaが減少したのだと書いている。症状プロフィールの成立プロセスを神経システムの発達・リモデリングと環境要因という横・縦断的な観点から観察するという点は興味深い。もしかしたらそういう研究もあるかもしれないので、探してみよう。また、神経システムの発達期におけるepigeneticな要因が重要であればある程、Schizophreniaの治療だけでなく発症阻止preventionという観点が重要になってくるだろう。

今日の音楽:Richie Hawtin"DE9/Transmissions"(2005)
これは凄い。彼のデスクトップにはおそらく数十から数百のループがあらかじめ用意されており、その中から数個の最適なループが選択され、寸分の狂いも無く同期しては消えていく。ループの組み合わせのパターンと時間的なプロセスだけがあらゆる音像を創出してゆく。テクノ、つまり絶対に狂わないリズム。だから、僕たちは全幅の信頼をもって今を流れてゆくループに身を委ねることができるのだ。そして、いつの間にか僕たちは来るべきループを予測し始める。しかし、僕らにとって74分という時間は短かすぎる。永遠に続いて欲しい、と思うような音楽。
Neural synchronyとのアナロジーで考えれば、いささか硬質でずっとシンプルではあるけども、これはまさに脳の中で神経システムがやってることじゃないか。Richieがやっていることがシステム化され自律的にループを選択するようになれば、まさしく自己組織化する音楽ということになるのかもしれない。
東大薬理の池谷さん(海馬の本で有名な人。多分、おそろしいほど頭の良い人。)がSynfire Chainに関する論文で、"Cortical Songs"という用語を使っていたけど、Richieの奏でる音楽はそういう域に達している(ような気がする)。

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