最近
大雪の一昨日は、四谷で同期会。総合病院の精神科、しかも合併症専門病棟というややアウトローな仕事をしているせいか、臨床的な感覚あるいは「勘」が皆と少しずれ始めていることに気づく。とはいえ、楽しい会だった。
最近は少しサボり気味だったが、気を取り直して再び色々と読み始める。
Rizzolatti G, Craighero L.The mirror-neuron system.Annu Rev Neurosci. 2004;27:169-92.
mirror neuronに関する研究でトップを走るRizolattiによるmirror systemに関するreview。昨年ここでメモしたChangeuxによる ”Neurobiology of human values"に一編寄せていたので、気にはなっていた。
mirror neuronに関する現在得られているエビデンス、自己および他者のaction perception、mirror neuron systemによって媒介されるimitation learningが言語などの社会的な認知機能の獲得に重要であるというような話。
Arbib MA, Mundhenk TN. Schizophrenia and the mirror system: an essay. Neuropsychologia. 2005;43(2):268-80. Epub 2005 Jan 7.
これも、review。mirror systemとSchizophreniaとの関連について ,特に自我障害におけるself-monitoringやsense of agencyの観点からmirror neuronの関与を考察したもの。自我障害に関する考察は少し無理のある感も否めない。アフォーダンス(objectがその環境において適切な行為を生物主体にアフォードする)についてmirror neuronとの関連で述べたところは興味深かった。
あとは、Steven Laureysという人が編集した"The Boundaries of Consciuosness.Neurobiology and Neuropathology"(Progress in brain research vol.150)を飛ばしながら読んでいるが、いずれ要約をメモする予定。ASSC8での講演をまとめたもの。
プラトンの本質論からの流れで、井筒俊彦先生の本も読んでいる。今の僕には難しくて、一度読んだくらいでは理解できないのだろうけど、すこしずつ読んでいる。
今日の音楽:Manuel Gottosching"E2-E4"
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コメント
井筒先生の本、読んでわからないながら、とても大事なこと、根本問題を衝いているらしいことは なんとなくわかりますよね。
東洋思想と西洋思想の融合領域に迫る本として、もう少しはいり込みやすかった本で「哲学の誕生 - 男性性と女性性の心理学」」(湯浅泰雄)というのがあります。ぜひお勧めします(N病院の読書会の候補のひとつ)。
ところで、TKHT君は女性たちの間では結構、秘かに人気があるんじゃありませんか? 君はそれに気づいているのか、いないのか・・。 そこでひとつ、問いを投げかけてみたくなる。 TKHT君にとって「理想の女性」とは、「貴君にとってどういう意味」をもった存在なのか(じつは哲学の根本問題につながるらしいのだが)? ヒトはみな男性として生きているか、あるいは女性として生きている、そういう性的存在として生きている、しかも男性であることと、女性であることには根本的な違いがある・・このことの意味をどう捉えるか、 こころの内奥に立ち入って探ってみる必要はある。すると そこから 新たなテーマが浮かんでくる。 ・・たとえばユングはそれに気づいていた。
医師や科学者としてだけでなく ヒトとして 自分たちの存在の謎に迫ってみたくありませんか? 謎が謎を呼んで、行き着く果ては果てしない、としても。
投稿 R.T | 2006年1月28日 (土) 17時50分
うーん、やはりN病院の読書会はとても魅力的な場所のようですね。大事な問題を考えるヒントは色々なところにあるようですが、僕は一人だとなかなかその重要性に気づかないようです。
それにしても、僕の「理想の女性」ですか‥?好きになる女性は意識のもつ志向性の極地とでも言えるくらい、言葉では表現できないことが多いです。でも、これは本能的なレベルの話で、先生の言う「理想の女性」とは、もっと別のレベルの話なんですよね。高度な社会生活を送る人間だけが有するもう少し高いレベルでの性的自己のことなのでしょう。普段、色々と勉強していても、自分の根本的問題に立ち返ることは少なかったので、哲学的な意味において考えたことはありませんでした。でも、最近の精神医学の流れからしても、性を放たらかしにすることはできないようです。
男性であることは僕が僕であることの決定的な要素の一つであり、しかも重要な問題であるのは間違いないと思うのですが、思春期に人並みに色々と考えた際にもやはり結論は出ず、いつの間にか何となく問題は解決されないまま、今日を迎えています。本能的なレベルでの性は解剖学的構造、内分泌系や情動系と関連した形で程度までは決定的に脳や身体に埋め込まれていると思います。しかし、もっと広い意味での性的な文脈は身体レベルから、社会的なレベルまで遍く貫いているように思えます。本能的なレベルを超えた性的自己あるいは自己そのものは、もはや確固たる輪郭を備えたものとしてあるのではないのでしょう。個人の資質と同じくらいに、文化や教育の与える影響も大きいと思います。総じて言えば、上記の身体的な基盤を背景として、環境(文化、家庭、教育など)における関係性の歴史的な網目の中で常にゆらぎながら発展し、対象(例えば好きな女性など)を伴う行為においてのみ発現するものなのだろうとは思います。先生の書いておられるように、この辺を追求していくと、やはり最後には根本的に重要な問題にいきつくのだと思います。
ふと思ったのですが、なぜか女性において特有で、しかも性的な機能を失い始める時期に発露する嫉妬妄想なども、このように考えていくと、面白いアイデアが浮かぶかもしれませんね。
投稿 わるねこ | 2006年1月28日 (土) 22時00分