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2006年2月 2日 (木)

W.Singer、つづき。

一昨日紹介したSingerのReviewを読んで、考えたこと。

僕たちが日々の生活の中で得る体験の情報は、脳の中でどのようにコードされているのか?「おばあさん細胞」のように、single cellの発火によって要素的な情報がコードされるというエビデンスは無数にあり、その可能性はもはや否定できないだろう。しかし、このようなsingle cell codingだけでは情報量およびシナプスを介した処理速度に理論的な限界がある。assembly codingという考え方では、情報の一側面はニューロンの機能的な集団(cell assemlies)の相互同時的な発火現象によってコードされるとする。すなわち、情報のキャリアーとしてのcell assemblyを想定しているのだ。現時点で、ミリセカンドレンジで刻々とダイナミックに変化するassemblyの存在を証明し、これが情報処理に関わっているという直接的な証拠はまだ少ないが(もしかしたら無いかもしれない)、シュミレーションや機能画像による間接的な証拠は集積しつつある。

cell assemblyは皮質内に分散したニューロンが「機能的」な相互関係を形成したものと言える。相互関係を形成した複数のニューロンの発火は同時的な現象coincidenceと考えられる。場当たり的に発火する個々のニューロンにとってみれば、他のニューロンと相互同時的な関係性を獲得するためには、このような「関係性relatedness」のタグtagとなる物理的なプロセスが必要であると考えられる。Singerらは同期発火という物理的現象を関係性のタグとみなしている。すなわち、同期発火がassemblyによって担われる情報処理の「痕跡signature」であると提唱しているのだ。注意しなければならないのは、同期発火というパターン自体が情報のキャリアーであると言っているのではないという点である。現時点で同期発火というパターン自体が何らかの情報を担っているかどうかについては、はっきりとした結論は出ていないと思われる。たとえば、古いデータであるが1998年NatureでのShadlenらは、同期発火現象がfeature bindingという情報の一側面を担っているという考えに否定的な実験結果を報告している。また、Aertesenは情報のキャリアーはあくまで個々の発火であって、同期現象などのtemporalなパターンは、タグとしての役割しか担っていないという趣旨の発現をしている。

僕自身は、同期発火現象というパターンが情報のキャリアーであるかどうかという問題に対して、まだ結論を出せない。僕の勉強不足かもしれないが、コーディングの問題については、ほとんど何も分かっていないのではないか。何よりも、まず「情報」という概念自体から考えていかなければならないと思う。

しかしながら、もし、(一般に言われているように)assemblyが同時的、同一的な現象(coincidence)の情報の側面に関わっているのであれば、これに対応するassembli内の個々のニューロンの同期発火も「coincidence」として相互同時的な現象であると考えられる。すなわち、神経細胞あるいは皮質のネットワークはこのようなcoincidenceをdetectする能力(coincidence detector)を有すると考えられる。複数の神経細胞が同期発火するメカニズムが個々の細胞の中にあるのか、あるいはネットワーク特性として立ち現れるものなのかははっきりしないが(その両方だろう)、そのメカニズムこそがcoincidence detectorに相当すると考えてよいだろう。

こうしてみると、single cellによる情報表現とassemblyによる情報表現は並列的に存在し得るプロセスと考えられる。視覚認知で言えばsingle cellの発火がmotion、colorなどの要素的な情報をコードしており、cell assemblyなどのニューロンの機能単位が形態、同一性、同時性などの情報側面をコードしていると考えられる。さらに、複数のcell assembliesが相互関係的にbindすることによってさらに高次の機能単位を形成する可能性もあるだろう。ここに物理的なプロセスに裏打ちされた「情報の階層構造」がみえてくる。
assemblyはなかば自己組織的(僕はこの用語を無批判に使っているが)に形成される関係的な機能単位だが、より高次の階層に属する機能単位ほど、このような特性は強まるだろう。そこでは、単純な因果関係は見いだされず、双方向的な因果が成り立つだろう。

今日の音楽:Surfers"South Beach" from CD"Indigenous legend"
一時期、毎日のように聴き続けたトラック。何とも言えない幸福感に満ちあふれる。
昔、メキシコのTulumという遺跡のあるビーチに行った。月夜のカリブ海で、アルゼンチン人のDJが世界中から流れ着いた旅人を前にして幸福感にあふれるプレイを披露していたのだが、その非現実な情景を思い出す。

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コメント

 このところ(12月4日のコメントより)
表1 脳・情報・主観的体験(意識)の三者の関係に関する6つのテーゼの第1項

 情報Aとは、
他のシステムPに作用し、
それに変化⊿pをもたらす可能性を有する
パタン(=形態)である。
その変化⊿pが
システムPにとっての
情報Aの意味
である。
情報は、
必ず何らかの物理現象で構成された
ひとまとまりの
パタン(=形態=時空間構造体)
として存在する。

・・この「情報」の定義では、情報は「パタン(=形態)」であるということ、その形態はなんらかの素材(物理現象)で形成される時空間構造体であることが述べられている。印刷物、スクリーンに投射された映像、音声、電磁媒体上のビットパタンなどなど、全ての情報は上記の定義を満たしている。これは吉田民人の定義を改変したもので、情報が「パタン=形態」であるとう点を踏襲している。(ただし、「他のシステムPに作用し、それに変化⊿pをもたらす可能性を有する」。「その変化⊿pがシステムPにとっての情報Aの意味である」・・・はRTの自作部分で、ここでいう「システムP」自体も、また⊿Pも 「パタン(=情報)」なのですが・・)

 さて、貴君はこう書かれています。
「僕たちが日々の生活の中で得る体験の情報は、脳の中でどのようにコードされているのか?「おばあさん細胞」のように、single cellの発火によって要素的な情報がコードされるというエビデンスは無数にあり、その可能性はもはや否定できないだろう。しかし、このようなsingle cell codingだけでは情報量およびシナプスを介した処理速度に理論的な限界がある。assembly codingという考え方では、情報の一側面はニューロンの機能的な集団(cell assemlies)の相互同時的な発火現象によってコードされるとする。すなわち、情報のキャリアーとしてのcell assemblyを想定しているのだ。」
 この部分において使用された
「情報」という用語を貴君はどう定義しますか? 
 あるいは先述の「情報の定義」をこの文章にあてはめてみると、
脳内における「情報素材=形態を形成する物理現象」と 
その「形態」そのものと 
その形態の発現する「意味」とは、
いかなる現象によって担われているのか? 
情報AとシステムPと、変化差分⊿Pは、いかなる脳内現象を指すのか? 
 この問いをじっくり考えていけば 貴君は重大な発見に至るに違いないと思います。

 ( ちなみに意外なことに、上記の「情報の定義」の重大性はたいていの著名な研究者ですら気づいていないのです。)

 

投稿 R.T | 2006年2月 7日 (火) 06時12分

この部分において使用された
「情報」という用語を貴君はどう定義しますか? 
 あるいは先述の「情報の定義」をこの文章にあてはめてみると、
脳内における「情報素材=形態を形成する物理現象」と 
その「形態」そのものと 
その形態の発現する「意味」とは、
いかなる現象によって担われているのか? 
情報AとシステムPと、変化差分⊿Pは、いかなる脳内現象を指すのか? 

最近、僕も吉田先生の本を少しずつ読んでいたのですが、およそ厳密とは言いがたい理解のようです。シャノン的な定義を超えて、情報が「物理的現象で構成されたパターン(形態)」であることは何とかのみこめたのですが、情報の意味的側面、つまり、パターンがシステムに撹乱作用を及ぼし、後続するプロセスに何らかの影響を与えるという点をうまく消化できないでいました。また、ノイズと言われるような一見ランダムなパターンが情報処理に何らかの形で関わっているという可能性を生かす上でも、RT先生の考察は非常に参考になりました。
そうなると、上記の僕が使用した「情報」は、物理的現象のパターン(形態)と、システムに及ぼす変化(情報の意味)の二点を混同しているようです。ニューロンのネットワークという点で言えば、ある発火パターンはそれ自身が所属するシステムに変化を与えること(システムの外部と内部が区別できない)、経時的でon-goingなプロセスにおいてしか捉えられないことなどが大事なのでしょう。さらに、僕が上記で用いた情報の「内容」と「担体(キャリアー)」というような便宜的な分け方では生体的情報を考察するには限界があるということですね。そうなると、「コーディング」という考え方はneural correlatesなどと同じように重大な欠陥を内包しているのかもしれません。
最近になってやっと、この辺りの議論がクリティカルに重要だと気づくようになったのですが、まだまだ考えるべきことが沢山あるようです。

投稿 わるねこ | 2006年2月 8日 (水) 01時36分

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