synergetics of the brain
夏休み、カラコルムハイウェイかアンデスか迷うところ。本当はパタゴニアに行きたいんだけど、とても日数が足りない。いずれにしても今の気分は高地なんだけど、香料と熱気と雑音でムッとしたアジアの空気も久しく吸ってないしなあ。
最近読んだもの。
Haken H. Synergetics of brain function.Int J Psychophysiol. 2006 May;60(2):110-24. 2006 Mar 9.
ドイツ人のHakenは、1970年代からsynergetics(シナジェティクス)を提唱している人物。シナジェティクスとは、多数の構成要素から成るシステムにおいて、各要素の相互作用を通じて、全体としての秩序が生み出される自己組織化現象に関するシステム論。シナジェティクスという言葉は、最近では脳科学の分野でもあちらこちらで目にするけど、その理論の詳細について紹介した日本語の文献は意外に少ないと思う。河本英夫や多賀厳太郎の本で目にしたときから気にはなっていた。以下、統計物理学の人からすれば、常識のような内容だと思うが、数式の部分は僕にはよく分からなかったので、雰囲気をメモ。
シナジェティクスの骨格となるのは、control parameter(制御変数)とorder parameter(秩序変数)とよばれる変数郡と、slaving principle(スレイビング原理)と呼ばれる原理である。秩序変数は、数学的素養の無い僕にとっては感覚的に非常につかみづらい概念なのだが、要素の挙動やマクロなレベルでみられる相転移を決定する(秩序変数が要素を隷属slaveする)少数の変数であるということらしい。例えば複数の質点が互いにバネで結ばれた力学系のふるまいを考えてみた場合、それぞれの質点の質量などから系の振る舞いを推測する作業は、非常に複雑となる。しかし、この系が生み出す波の振幅が決まれば、各質点の振る舞いも決定する。つまり、この力学系では波の振幅が秩序変数となる。このように、synergeticsでは、各要素が相互作用する複雑なシステムの振る舞いが、比較的少数の秩序変数だけで表現できるという利点がある。秩序変数の数が各要素の数よりも少なければ、理論の情報圧縮にもつながる。
要素の振る舞いは秩序変数によって決定的な影響を受けるのだが、同時に秩序変数は要素の振る舞いによって維持される。つまり、スレイビング原理は秩序変数→要素という一方向的なcausalityを示す原理ではなく、秩序変数→要素→秩序変数という双方向的なあるいは円環的な因果関係circular causalityを表す原理である。また、秩序変数は複数存在することもあり、階層性をそなえたシステムにおいて、それぞれの現象レベルに秩序変数が見いだされる。さらに、これらは互いに競合関係にあり、ある秩序変数が別の秩序変数によって隷属させられるという秩序変数の階層性hierarchy of order parameterも存在する。
秩序変数は一定ではなく、常にゆらいでおり、システムに与えられた撹乱に対して、「ゆっくり」と元の状態に戻ろうとする。秩序変数にはいわゆるヒステレーシス(hysteresis:履歴)の特性があり、つまりシステムの歴史的な挙動に依存している。つまり、秩序変数は初期値だけでなくその後の振る舞い次第で、値が大きく変化する可能性がある。自己組織化システムでは、制御変数を少しずつ変化させていくと、不安定点instability point付近で秩序変数の揺らぎが決定的なものとなり、あるところで非平衡相転移nonequilibrium phase transitionと呼ばれるダイナミックな変化が生じることがある。例えば、自己組織化システムの中には、制御変数を変化させていくと、制御変数が一定のrangeにあるとき、振動現象oscillationを生じるものがある。レーザーなどが有名だが、Hakenは実際にレーザーの生成理論をsynergeticsの土台にした言われている。典型的には、synergeticsはこのようなシステムの振る舞いを数学的に理論化したものということになる。synergeticsは、生体の運動制御の機構に関する工学的な分野において応用がなされてきたらしい。
synergeticsの創始者であるHakenによれば、神経系もsynergetic sysytemということになる。覚醒時の脳は、常にinstability point近傍で作動し続けるシステムであり、外的な撹乱(知覚刺激)によって生じた新たな認知は、上記の非平衡相転移と捉えられる。さらに、このinstability point周辺では、少数の秩序変数によって、脳の挙動がダイナミックな影響を受ける。例えば、馬の走る速度が徐々に速くなるにつれて、ウォーク→トロット→ギャロップというように走行パタンが変化する瞬間がある。この例では、馬の走る速度と4本の足の位相差が、それぞれ制御変数と秩序変数に相当し、走行パタンの不連続な切り替えが非平衡相転移ということになる。
ヒトの運動系での応用例は、いち早くsynergeticsを神経システムに応用したKelsoの生体の運動制御に関する実験が有名である。両手の人差し指をメトロノームのリズムに合わせて逆位相で運動させ、メトロノームの周波数を徐々に挙げていくと、あるところで左右の人差し指の動きが同位相にそろうという相転移が生じることが知られているが、Kelsoらは、メトロノームの周波数が制御変数、左右の人差し指の位相差が秩序変数であることを様々な解析によって示した。つまり、少なくともある特定の条件では、人の運動・神経系の挙動が1〜数個の秩序変数のみによって決定され得るということが示されたのである。Kelsoの実験は、その後のbiological motionの統計的解析やモデル化に関するdynamical systems approachという流行をもたらした。
ここからは、とてもspeculativeな内容。Hakenは、ヒトの認知あるいは意識の状態をsynergeticsという観点で捉え、「知覚perceptionが秩序変数である」と提唱している。例えば、あいまい図形(ダルメシアンの絵とか、アルチンボルドの絵など)を提示したとき、異なる知覚パタンに相関して、局所的な神経活動の時空間的パタンが変化する。このとき知覚されたパタンが秩序変数である。上述のように、秩序変数はcircular causality によって結ばれているので、あるニューロン群neural assembliesの活動によって秩序変数が生成・維持され、これが同一あるいは別のニューロン群の挙動を決定し、さらにこれらのニューロン群の活動によって秩序変数が生成・維持される。synergeticsの観点では、あいまい図形や両眼視闘争でみられる知覚パタンの交替や意識と無意識は脳のmacroscopicなレベルにおける一種の非平衡相転移と捉えられる。制御変数に関しては、Hakenもはっきりしないが、注意attentionが制御変数の候補(attentional parameter)ではないかと提唱している。知覚、あるいは意識状態の遷移に関して、ここでもattractor landscapeの比喩が使われているが、従来のattractor netoworkでは、特定のattractorに収束した後に、また別のattractorに遷移していくプロセスを説明しにくい。特定のattractorに収束して、外部からの入力を欠いた状態でそのまま固定してしまうような脳は病的である。この辺りに関して、Hakenは疑似アトラクタ(quasi-attractor)という用語を使っており、意識状態が特定のquasi-attractorに収束すると、attentional parameterが変化し、元のquasi-attractorは消退vanishし、別のquasi-attractorへの準備状態が生まれるというような説明をしている。
以上のHakenによる秩序変数とシステムの挙動の関係は、Varelaが神経現象学neurophenomenologyで述べたfirst-person dataとthird-person dataの相互抑制的なtwo-way causalityの関係にも近いし、実際にVarelaのいくつかの文献(Thompsonと共著のもの、忘れた)でも触れていたような気がする。前者は統計物理学から、後者は現象学と生理学から発展した理論なので、出発点も記述の方法も全く異なるが、explanetory gapとか、causalityなどの問題に対して提示された解決策として共通する部分も多く、興味深い。Kelsoの実験が示したように、脳の高次の情報処理を少数の秩序変数で記述する可能性を指摘しているという意味で面白い内容だった。
概念はつかめても、細かいところはよく分からなかったので、勉強がてらにHakenの「情報と自己組織化」を購入した。
今日の音楽:Elliot Smith"Either or"(LP)
Depressionの音楽。「うつっぽい」とか「悲しげ」な音楽というわけではなくて、本物のDepressionという意味。70年代イギリスのNick Drakeなんかとも同じ匂いを感じる。決して、大げさな感情表現はしない。たたずまい自体が救いようのないイメージを与えてしまう。今知ったのだが、二人とも自ら命を断っている。惨めな気分に陥ったとき、夜中にこれを聴いていると、さらに深みにはまることになるのだが、僕にとっては最後には這い上がるしかなくなるという逆説的な反作用が生じる音楽。
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コメント
神経現象の本質は action potential にあるのか、あるいはoscillation にあるのか?
前にも申しましたが、このテーマは 「光は粒子なのか、波なのか」というテーマに似ていますよね。
やはり、脳内情報の表現原理はaction potential よりはもう少し上のオーダー、すなわちニューロン群が形成する「波(発振現象)」にある、と考えるのが妥当だろうという思いがますます強まってきます。ご存知、清水博先生がとっくの昔に言われていたことですけど。
そこで、お願いがあります。下記の論文を読んで、ここで紹介してくれませんか。著者はトルコ出身らしいのですが、ながらくドイツで先駆的な仕事をしてきた人です。
(PUBMED からの引用です)
Int J Psychophysiol. 2005 Nov-Dec;58(2-3):199-226.
Memory as the "whole brain work": a large-scale model based on "oscillations in super-synergy".
Basar E.
Department of Biophysics, Brain Dynamics Multidisciplinary Research Center and Faculty of Medicine, Dokuz Eylul University, 35340, Balcova, Izmir, Turkey. erol.basar@deu.edu.tr
According to recent trends, memory depends on several brain structures working in concert across many levels of neural organization; "memory is a constant work-in progress." The proposition of a brain theory based on super-synergy in neural populations is most pertinent for the understanding of this constant work in progress. This report introduces a new model on memory basing on the processes of EEG oscillations and Brain Dynamics. This model is shaped by the following conceptual and experimental steps: 1. The machineries of super-synergy in the whole brain are responsible for formation of sensory-cognitive percepts. 2. The expression "dynamic memory" is used for memory processes that evoke relevant changes in alpha, gamma, theta and delta activities. The concerted action of distributed multiple oscillatory processes provides a major key for understanding of distributed memory. It comprehends also the phyletic memory and reflexes. 3. The evolving memory, which incorporates reciprocal actions or reverberations in the APLR alliance and during working memory processes, is especially emphasized. 4. A new model related to "hierarchy of memories as a continuum" is introduced. 5. The notions of "longer activated memory" and "persistent memory" are proposed instead of long-term memory. 6. The new analysis to recognize faces emphasizes the importance of EEG oscillations in neurophysiology and Gestalt analysis. 7. The proposed basic framework called "Memory in the Whole Brain Work" emphasizes that memory and all brain functions are inseparable and are acting as a "whole" in the whole brain. 8. The role of genetic factors is fundamental in living system settings and oscillations and accordingly in memory, according to recent publications. 9. A link from the "whole brain" to "whole body," and incorporation of vegetative and neurological system, is proposed, EEG oscillations and ultraslow oscillations being a control parameter.
投稿 R.T | 2006年7月10日 (月) 20時24分
R.T先生、コメントありがとうございます。ご指摘の通りで、前回のメモは、清水博先生が言っていたことをはっきりと意識しながら、書いていました。
Hakenはシナジェティクスが扱うべきテーマの一つにoscillationを挙げていました。例えば、脳を眺めていると、異なるスケールのoscillationが見いだされます。単体のニューロンそれ自体の活動やmembrane potentialがocillationを発生させ、それらのニーロンが複数集まったassemblyによるlocal field potentialがoscillationを発生させ、さらにはEEGで確認されるような脳内の分散したサブシステム間の活動でもoscillationがみられる‥というように。Hakenによれば、binocular rivalryの知覚パターンの交替もoscillationということになるようです。あるいは、要素それ自体はoscillationを発生させなくても、スケールが変わるとoscillationを発生させるようなシステムもあります。本当はこういうことを数学で表現しなければいけないんでしょうね。
R.T先生が挙げたErol Basarという名を見て、ハッとしてHakenの論文のReferenceを眺めていたらBasarの名がしっかりと載っていました。論文を手に入れ次第、早速読んでみます。
投稿 わるねこ | 2006年7月11日 (火) 11時28分
わるねこさん、こんにちは。確かエーデルマンも心理現象をニューロンの共振現象として考えていましたよね。
投稿 ykenko1 | 2006年7月14日 (金) 13時21分
ykanko1さん、意識や心的現象を最初にニューロンの共振現象と捉えたのは、今は亡きCrickだったかもしれません。Crickの場合は、いわゆるNCC的な発想で、「意識現象の脳内の対応物とは何か」という問いに答えるものであったように思います。早々に40Hz oscillation説は打ち捨てられましたが。
Edelmanは、もう少し違っていて、「いかなるシステムの作動から意識現象が生じるのか?その作動原理は?」という問いに対して、Dynamic core hypothesis、reentryという概念を提出しています。その後、CrickやKochもcoalition of neuronsというようなEdelmanに近い考え方に移行しているようですね。
投稿 わるねこ | 2006年7月14日 (金) 23時35分