emulation
今年のGWも、多分どこにも行けないだろうなあ。
現在、social brainとschizophreniaというテーマで、emulationとconsciousnessを絡めて、色々と考えているところ。もうちょっとで見えてきそうなのだが。
Emulation仮説
僕たちは、様々な状況に適応しながら、目的志向的な行為を産出することができる。ある行為を開始しようとするとき、その行為の時間的シークエンスをイメージし、行為によってもたらされる結果を予測することが可能である。さらに、僕たちは他者の行為を観察する際、その意味、文脈、目的を理解し、その行為にともなう結果を推測することができる。このようなプロセスは、普段の生活の中で前理論的に進行し、ほとんど無意識的、自動的に遂行されている。Rizzolattiによるミラーニューロンの発見は、私たちが他者の行為や心的状態を理解する神経基盤の理解に関して、大きな進展をもたらした。ヒトでも、ある個体が特定の行為を行った場合と、他の個体が行う同じ行為を観察した場合とで、共通の神経回路群が動員されていることを示す知見が蓄積している。実際に、他者の行為を観察する際に、運動野における体性局在的に相同的な領域が活動する。また、ミラーニューロンシステムと運動野は、体性局在的に(somatotopicaly)類似したマッピング構造を示すことも確認されている。つまり、他者の行為は、自身の身体性制御システムの上で再現されているようである。このようなプロセスは、行為の観察にとどまらない。僕たちが他者の心的状態を理解する際にも、自身の感情状態に関与する神経回路群が動員されている。つまり、他者の心的状態は僕たち自身の神経システム上でシミュレートされているのである(Galleze)。このシミュレーションのプロセスは、僕らの生活の中でほぼ無意識的、自動的に進行しているものと思われるが、意識的にアクセスすることも可能である。他者の心的状態のプロセスが、自身の心的状態を成立させる神経システム上で進行し、その際モデル化や近似・単純化を経ないという意味で、僕らはシミュレーションとは区別して、エミューションという用語の方がふさわしいと考えている。エミュレーション仮説は、ミラーニューロンを主とする最近の認知神経科学のエビデンスから自然に導かれる結果である。僕たちは、意識をもつ主体であるだけでなく、他の意識ある主体の内部状態をまさに「身をもって」体験することが可能なのである(embodied simulation)。エミュレーション能力のみでヒトの高度な社会認知能力の全てを説明できるわけではないものの、サルでも一定のエビデンスが得られていることから、エミュレーション能力は進化の過程で成立し、ヒトにおいて最も高度なものとなった認知能力なのであろう。僕らをとりまく高度に複雑な社会的環境は、エミュレーション能力の進化における選択圧として作用し、個体間のインタラクティブなエミュレーションの連鎖(resonant emulation)を通して、概念や行為が形成され、集団で共有されているものと思われる。
今日の音楽:Hammock"Kennotic"(CD)
聴いていると段々と高揚する、アンビエントーチルアウト。最近の大当たりの一つ。
今日の映画:パトリス・ルコント監督「ドゴラ」
無名のオーケストラ楽曲に乗って、カンボジアの田園や都市の風景が映し出されるという、台詞の無い映画。
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コメント
わるねこ先生のコメントと僕の職場での対話のおかげで、シミュレーションとエミュレーションとを敢えて言い分けることの大切さが少し分かったような気になっています。emulationとは、embodied simulationなのですね。
僕にはまだとても整理がつきませんが、その辺について頭に浮かんだことをいくつか思いつくままに書かせてください。
①"embodiment"にはやはり、「身体化」以外のにつかわしい訳語があるといいな・・と思ったこと。
②映画「マトリックス」の下敷きにされたという日本アニメの連作の中に確か出てきた、「都市は外部化された巨大な記憶装置・・」という場面を思い出したこと。
③Stars of the lid/And Their Refinement of the Declineを聴いて驚いたこと。manualやboards of canadaでは、「ながら勉強」が困難だったけど(boards of canadaの方がその困難さでは上かなあ・・)、Stars of the lidでは、「それを聴きながら他の何かを同時にできる」ということ・・・その曲とそれ以外の音との自他の境界の曖昧さが際立っているのかもしれないこと。
投稿 とりのなかま | 2007年4月26日 (木) 01時04分
コメントありがとうございます。やっぱり、つながってくるんですね。
最初は、social cognitionに斜めに構えていたのですが、R.T先生から頂いたヒントで、色々とみえてきました。
①他者の心的状態を、「私の」神経システム上で再現する、しかもそれはモデル化や理論化を経ない直接的なプロセスという意味で、emulationなのですね。そして、他者の心的状態をemulateする神経システムは、自身の知覚ー運動系の身体制御に関わる実行的なネットワークであるという意味で、embodimentなのだと思います。ただし、身体化はやはり誤訳で、ちゃんと訳せば、「実体化」、「具現化」になるのだと思います。この辺りは、確かエーデルマンの翻訳のときに、出た話でしたね。
②それもまた、embodimentなのかもしれません。とりのなかま先生のコメントについて考えていたら、甲殻機動隊やイノセンスでは、確かあの女性キャラクターが肉体を捨てて、ネットワークに存在を移すというエピソードを思い出しました。逆説的ですが、あれもまた極端なembodimentなのかと思いました。
③僕も、Stars of the lidは、「ながら聴き」で聴いてます。あれは、凄い同調機能をもっている音楽ですね。多分、意識に上らない程度には干渉されているのでしょうが、全く邪魔に感じません。boards of canadaを聴くときは、勉強や仕事をちゃんと終えた後が多いです。そうしないと、とんでもないことに・・
投稿 わるねこ | 2007年4月26日 (木) 01時28分