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2007年6月10日 (日)

FTDと芸術的才能

僕は、コーラが好きなのだが、最近の気に入りは、Curiosity Colaという英国産の高級コーラ。
一本280円もするので、たまにしか飲めない。
味は複雑で、炭酸は弱め、香りはつんと鼻をつくようなジンジャーが強い印象。
何本飲んでも、飽きがこない。
100年前からレシピが変わっていないという。


少し前から気になっている話題について。

脳の病理的な変化は、様々な神経学的障害や高次脳機能障害をもたらすのは周知の通り。
しかし、興味深いことに、しばしば逆説的に特定の能力の変化をもたらしたり、以前にはみられなかった能力を発現させることがある。

このような能力の変化・発現は、絵画、彫刻、音楽などの芸術的才能や表現行為に関わる領域で出現することが多い。
また、これらの認知機能の亢進は、前頭側頭痴呆や前頭葉周辺の脳卒中、前頭葉損傷など、前頭葉の障害に伴う例がほとんどだ。したがって、失語、社会的認知の障害、遂行機能の障害などの前頭葉症状に併存することが多いことが指摘されている。

前頭葉、特に前頭前野は、他の皮質領域に対して、抑制的に作用することが知られている。下位の認知プロセスを抑制し、適切な方向、シークエンスで進行させることは、遂行機能や社会的認知などの高次の脳機能の成立に不可欠とされる。以前にも紹介したKapurのレビューした「逆説的機能亢進現象paradoxical functional facilitation」と、ジャクソニズムの観点に立てば、抑制性の調節が障害された場合に、高次脳機能障害だけではなく、しばしば下位の認知機能の亢進をもたらす可能性があるということになるだろう。

臨床的には、前頭葉の機能障害として、強迫症状や、常同行為などが観察されるが、これらも前頭葉の抑制的作用が損なわれた結果として解釈することが可能だろう。ある特定の行為の反復が、局所の結合性を高め、結果的にドメインスペシフィックな機能を亢進させるのかもしれない。

ちなみに、精神医学では、病跡学のように、精神疾患と表現行為の相関について考察する精神病理学の一分野が存在するが、FTDや脳損傷例については、余り聴いたことがない。
1996年に、MillerがFTDの発症後に芸術的才能を開花させた5症例を報告してから、FTDを含む脳神経疾患と芸術的才能やスタイルとの関連について述べている論文が散見されるようになった。

以下、関連論文。

Miller BL, Hou CE.Portraits of artists: emergence of visual creativity in dementia. Arch Neurol. 2004 Jun;61(6):842-4.

Mendez MF.Dementia as a window to the neurology of art.Med Hypotheses. 2004;63(1):1-7.

Bogousslavsky J.Artistic creativity, style and brain disorders.Eur Neurol. 2005;54(2):103-11. Epub 2005 Sep 29.

今日の音楽:
Rou Leed/Walk on the wild side
The Korgis/Everybody's gotta learn sometime
どっちも、大好きな曲。

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コメント

前頭前野は「倫理中枢」と呼ばれることもあるようです。そこさえあれば十分というのではないにせよ、「高度な社会的認知」にとって不可欠な脳領域といえるのですね。他の脳領域との連繋プロセスによって、われわれヒトの理性的な振る舞いを可能にしている・・・あるいはヒトと獣の違いがその連繋にこそあるのかもしれません。その知見を前提に、さらに逆説的に、「前頭葉や側頭葉の障害が創造的活動をもたらす」という視点を示してもらえました。
日々の実務の中で麻痺しかけていた何かが目覚めます。ここ数日も忙しくて、今日は早くに床に入ったのですが、中途覚醒してしまったので、ひらきなおって先生のコメントをじっくり読みました。いつも欠かさずブログを読ませてもらっていますが、たいてい3分の1は理解できていないと思います。それでも、僕はいつも勇気づけられます。ありがとうございます。
唐突になってしまいますが、「進化と価値」という視点を自分なりに再検討する必要性を再認識できました。ジャクソニズムの観点から言えば、高次機能が欠落する程度により、抑制の重いふたの下から解放された脳機能が、芸術などの表現行為を開花させるに丁度よい状態にもなりうるということ、実は疾病の状態と疾病でないとされている状態との間には、医学が規定しているほどの断絶はなく、あくまで程度の問題であるといってもよいのかもしれないことなど、あれこれと連想されました。思弁的になってしまいましたが・・・このあたり、僕はとても気になります。

投稿 とりのなかま | 2007年6月10日 (日) 22時25分

僕も最近は何かと病院での実務が忙しくて、ついつい物事を杓子定規に考えてしまいます。
そういえば、去年の今頃も訳出や校正の作業の真っ最中で忙しかったですね(笑)。何とか乗り切った年末も、ほんのつい最近のような気がします。

当然、創造的行為とか、芸術的な価値の全てが必ずしも脳の活動だけに還元されるわけではないとは思いますが、表現者の「ある種」の脳の状態は、「ある種」の芸術的価値を生み出すための必要条件かもしれません。一方では、受けて側の脳が「ある種」の状態にあること、また作品を体験することによって受けての脳が「ある種」の状態に至ることも、その作品が芸術的価値をもつための必要条件かもしれません。その色々な「ある種」が何なのかはまだ分かりませんが、創造的行為と価値について、病理の中から見えてくるものがあるという事実は、臨床に携わるものとして、勇気づけられますね。
ただし、一方では、ピカソみたいに、精神神経疾患や脳損傷がなくても、作風を劇的に変える表現者もいるので、病理の中から理解できるのは、創造的行為のほんの一部かもしれません。

そういえば、統合失調症とか、精神病の患者さんの芸術作品を、「アウトサイダーズアート」としてまとめた本があったと思うのですが、僕もときどき患者さんがくれる手紙や絵にハッとさせられることがあります。
あのハッという瞬間は、実務からかけ離れた不思議な体験ですね。

投稿 わるねこ | 2007年6月10日 (日) 23時24分

先生のコメントのおかげで、さらに連想が整理されました。
病理の中から見えてくることは、創造的行為や心の理論にとって確かに重要ではあるにしても、例えば表現者と受け手との関係性、さらにその関係性における価値などについては、そのほんの一部に示唆を与えているに過ぎないという風に、冷静に受け止めた方がよさそうです。
精神科医の見習いの頃、臨床の場で「病理の診断と治療の技術を習得すること」と、「他人の心をよりよく理解できるようになること」とを、恥ずかしながら混同していた時期があったように思い出されます。精神科医としての臨床能力がついていったからといって、「心理学者」になったわけではなく、ましてや個人的生活の中で人付き合いがうまくなれたわけでもなかったのです。
ピカソをはじめ多くの偉大な創造者を理解しようとしたとき、精神医学が無力であるわけではないにせよ、むしろ心理学が、また美学や芸術論などの知見が必要になるのでしょうね。

投稿 | 2007年6月11日 (月) 00時46分

名前を忘れました。0時46分のコメントを書いたのは、「とりのなかま」です。

投稿 | 2007年6月11日 (月) 00時51分

とりのなかま先生
最近になって脳の仕組みが少しずつわかってきたものの、宗教、芸術、創造性など、心のはたらきにはまだまだわからないことの方が圧倒的に多いですよね。
おそらく、精神医学でも、神経科学でも、進化心理学でも、社会学でも、数学でも、計算論でも、美学でも、宗教学でも、解を得るためのアプローチは何でも良いのだと思います。
ただ、これらの境界が曖昧になってきているのが、最近の際立った傾向なのかもしれません。

投稿 わるねこ | 2007年6月11日 (月) 16時28分

そんなコーラ初めて聞きました。どこに売ってるのかな? 私はやっぱりインカコーラが大好きですw

投稿 いすふぁは | 2007年6月11日 (月) 22時13分

僕は、よく通販で、箱ごと買ってますね。
あと、立川のビレッジヴァンガードにも一時期売ってましたね。
それにしても、インカコーラとか、ザムザムコーラとか、懐かしいですね。

投稿 わるねこ | 2007年6月11日 (月) 23時25分

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