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2007年8月23日 (木)

混沌への視座

410ax48sgtl_aa240_今日は少し脱線。

最近読み始めた本。
山田史生「混沌への視座」(春秋社)

前回のブログで久しぶりにVarelaについて触れたので、その流れで神経科学と仏教について。
うーん、この時点で何だかいきなり怪しい匂いをかぎ取る人もいるかもしれない。

仏教の世界観、例えば般若心経の「空」とか、初期仏教からの中心的な概念である「縁起」とか、龍樹の中論など・・、僕はそのあたりの入門書しか読んだことがないのだけれど、知れば知る程、仏教の世界観が現在の神経科学の一部が向かっている世界観に近いものがあるなあと感じる。

全く宗教に縁の無かった僕がいわゆる仏教思想に漠とした興味を持ち始めたのは、Edelmanの"Wider than the sky"の翻訳作業を行っていた場で、一緒に訳していた2人の先生との間でときおり自然発生的に出てきた雑談がきっかけだった。以来、寝る前に布団の中で「仏教の歴史」とか、「空海の夢」といった本を引っぱり出しては、ちょこちょこと読んでいた。

普段、脳がどーだあーだと書いているブログで、仏教と脳などという話題でものを書くことにはいささか勇気がいるのだけれど、最近の世の中の動向をみていると声高に言ってもいいような気がしてきたので、いっそ開き直って書いてみよう。
それに、こういうテーマが怪しく感じてしまうのは、双方を架橋する言語の乏しさに由来するところが大きいように思われる。

今のところ、Varelaの「embodied mind」くらいしか、仏教と認知科学との関係についてインテンシブに述べた本は知らない。そこでは、認知科学の新しい概念が仏教の既存の用語に翻訳され、逆に仏教の側から認知科学に対していくつかの新たな概念が提示されている。しかし、あれはやはり最後まで神経科学から仏教へのアプローチだと思う。

神経科学の領域では、Varela門下のAntoine LutzがRichard Davidsonとともに、meditationとneural synchronizationの関係をEEGで調べた面白い研究が、PNASに掲載されている。これが、いまのところ最も批判に耐えうる研究か。今年も、Lutzらが続編ともとれる研究をPNASに掲載している。そういえば、誰かが仏教、中でもmeditationの本質を「意識をコントロールすること」と言っていたのだが、誰だか思い出せない。

ただ、僕自身としては、仏教の側から神経科学や認知科学にアプローチするという逆の方向があってもいいんじゃないかと思っていたのだけど、今のところそういう本や論文は見つからない。

そういった流れの中で、たまたまこの本を見つけた。

まだ出だしだけしか読んでいないけど、パラパラと先をめくってみると、複雑系、オートポイエーシス、アフォーダンス、量子論という用語がみてとれる。仏教の側からのアプローチとしてこういった用語が出てくるのは、とても珍しいことだし、内容も期待できそうだ。

仏教自体は、捉え方によっては膨大な理論から構成される一種の体系化された哲学とその実践と言ってもいいと思う。その中でも、特に興味があるのが華厳哲学だった。

たとえば、「縁起」という概念。極端に言えば、事物それ自身は実在性をいったん否定され、在るのはただ事物の関係性だけであるという、関係論的実在論のことだ。
全ての事物は、単体では意味をなさず、複雑な関係性の中でお互いに相互作用しながら(相即即入)事象を構成している。言い換えれば、各々の事象は、関係性の中でしか生起してこないということ。

率直に言って、かなりラディカルな立場だと思うのだが、意外にすんなりと受け入れてしまう自分もいる。こういったことを1000年以上も前の人たちが確信をもって言い放っているのには驚かされる。

ここで、何が言いたいというわけではないけど、僕たちは「無実体性」とか、「空」といった言葉を、それほどの抵抗なく受け入れられる土壌で生まれ育ったわけなので、少なくとも夜中に部屋であれこれ考えるという限りでは、こういった視野を完全に捨て去る必要もないんだろうなあ、思った次第。

Item311419p1今日の音楽:V.A."Hello Kompakt"
Kompaktは1998年にドイツのケルンで設立され、最近、僕が最も注目しているレーベルの一つ。90年代後半からのアンダーグラウンドなテクノ/ミニマル/アンビエントシーンの雄であり、現在最も影響力の強いレーベルと説明される。僕の中ではビートレスでアトモスフェリックだがしっかりとテクノな音楽と言えば、真っ先に"Kompakt"を思い浮かべてしまう。このCDは、Kompaktのレーベルコンピレーションで、Ciscoが独自に選曲した日本特別版。
ちなみに、毎年クリスマス辺りにリリースされる"Pop Ambient"もKompaktのコンピレーションで、いつも秀逸な内容なので、毎年欠かさず買っている。

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受信: 2007年8月23日 (木) 10時38分

コメント

Varelaの「身体化された心」の中では、僕らの直接経験性と認知科学とを架橋するものとしての、「中道の仏教」、「瞑想の方法」の可能性について書かれていましたね。わるねこ先生の言うとおり、科学と仏教の連繋では、科学からの接近が先行しており、「それに比べて仏教側から科学への接近が足りないのではないか」というような指摘は、松岡正剛氏も述べていました。氏の「空海の夢」を取り出してみたら、「仏教の要訣とは、せんじつめればいかに意識をコントロールできるかという点にかかっている。・・・」という一節が表紙にありました。本文p23からの引用です。意識のコントロールとmeditationについて先生がみたのは他の著作だったのかもしれませんが。
一方で、こうした話題には慎重にならざるを得ないと僕らが感じてきたのも事実で、さらにその事実についてこのような場で言及するのは僕には荷が重いのですが、伝えたいニュアンスは、「空海の夢」のp382辺りから松岡正剛氏が書いてくれているようなことになりましょうか・・・。慎重になるべきなのは確かにしても、そう言って逃げてばかりではいけないなあ、とも感じ始めていたところでした。

ところで、VarelaのDVDは、僕には殆ど聴き取れないとしても、是非いつかみたいと思ってます。先生が感動したダライラマとヴァレラのやり取りですが、どんなだったんでしょうか。中身を知らないのに、先生のブログを一読しただけで、それだけでぐっときてしまいました!

投稿 とりのなかま | 2007年8月23日 (木) 13時16分

ごぶさたです.お元気ですか?メシ,いけてませんね(苦笑.
仏教の本とかアマゾンされてましたよね.仏教ではないですが,近年はそういう動きって必然的に起こるのかもしれませんね.心理の中では科学を志向する傾向の強い行動療法の世界大会でも,Mindfullnessなんていう禅とかに基づく考え方が流行りだったりするみたいです.よくは知りませんけれど…

しかしなんとなく忙しく,不勉強な自分を感じます.わるねこセンセイはすごいなぁ……見習わないと.

投稿 MM | 2007年8月23日 (木) 21時51分

>とりのなかま先生
お久しぶりです。仏教の本質が意識をコントロールすることにあると言っていたのは、松岡正剛氏だったのですね。すっきりしました。余りに記憶に残るフレーズだったので、妙に頭にこびりついていました。「マンダラホロニクス」、いい響きだな、と感じます。
仏教について知れば知る程、僕らは結局ある核心の周辺を何度も旋回しているだけなのかもしれない、つまることろ、最初から核心が見えていたのかもしれない、なんて思いました・・。
VarelaのDVDは、海外のサイトでしか扱っていないようなので、買うのにちょっと苦労しました。お会いする機会があれば、お貸しできるのですが。

>MM先生
そうなんです、メシ行けてないんです。年内に実現させましょうね。
行動療法の世界で、仏教的なものが流行っているなんて知りませんでした。ちょっと、その辺りの話を聴かせてもらいたいです。心理学会の目録とか読んでいると、すごいなあ、といつもうらやましく思います。
最近は勉強が滞りがちだったのですが、何とかまた再開しました。夏バテだったようです。

投稿 わるねこ | 2007年8月23日 (木) 23時23分

"monte grande"、早速入手しようとしたのですが、僕には無理でした。ありがとうございます。またいつか会えたときに、しばらく貸してください。
今年はずっと職場のプロジェクトに専心してきたので、去年のようには勉強は進みませんでした。何とか時間を作って、気分を切り換えて、自分なりの勉強も再開したいと思っています。そして、できれば何らかの成果を携え、また集合を企画して、わるねこ先生とRT先生のディスカッションを間近で聞く幸せを味わいたいと願っています。

投稿 とりのなかま | 2007年8月24日 (金) 00時10分

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