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2008年1月 7日 (月)

あけまして

2008年一発目は、勉強ネタはなし。
いくつか、意識の神経科学、ネットワーク関連、書きたいことがあるけれど、それは次の機会に。

年末年始、徳島の実家に帰り、空海にちなんだ史跡をまわった。
これまでに色々と行った海外のどの国もよりも、感慨深い旅になった。

2007年の正月、僕は高校の友人と高野山の宿坊に宿泊して、奥の院の形容し難い静謐さに素直に感動した。奥の院の周辺は結界が張ってあって、誰であっても新たな精神のモードに入るという。そのちょっと前に、RT先生に「空海の夢」という希有な本を教えてもらった。あれ以来、完全に空海に心を奪われてしまった。そして、司馬遼太郎の「空海の風景」、夢枕獏の「沙門空海 唐の国にて鬼と宴す」などもを読んだ。「三教指帰」は今読んでいるところだが、これも興味深い箇所がいつくもある。。
「空海」熱がさめられない中、年末年始に四国に帰るということもあって、今回は、佐伯真魚が生まれてから「空海」となるまでの足跡を兄とたどってみた。

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四国八十八箇所 第75番札所 善通寺

空海は、従来、護岐国多度郡、現在の善通寺のある辺りで誕生したといわれている。一説では、真の出生の場所は、屏風ヶ浦というところにあり、ここに佐伯家の別宅があったのではないかとも言われている。幼名は真魚。空海は多度郡の郡司の子弟であったという。父は佐伯直田公で、母は阿刀氏。
境内には、幼少時の真魚が遊んだとされる巨木が残っている。
御影堂地下では、「戒壇めぐり」といって、「南無大師空海金剛遍照」と唱えながら、真っ暗の通廊を歩いて行く。長野の善光寺のお戒壇巡りほどの雰囲気はない(ここでは、子供が泣き叫んでいた)けど、アトラクション性はこっちが高いので、子供はよろこぶかもしれない。真っ暗な廊下を進むと、途中ににわかに明るい部屋に到着し、そこでは録音機から空海の生の声がきかれる(もちろんどこかの僧か声優の再現だ)

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四国八十八箇所 第71番札所 弥谷寺

ここは、空海幼少時の学問所と言われているところ。ここで、書字、漢学、儒教など当時の教養を学んでいたのだろう。また、真言密教の開祖となった後に再度来山して、ここで虚空蔵求聞持法を行じたという。 なかなか良い雰囲気の山寺であった。地元では、「死者の魂が集まる山」なんて言われているらしい。

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四国八十八箇所 第21番札所 太龍寺
ここは、昔から「西の高野」と呼ばれているらしい。

空海は18歳で大学で学び始め、20歳過ぎに大学を去り、山林での修行に入ったといわれている。僕的には、「偉大なるドロップアウト」の一つに数えられる、勇断だと思う。しかし、20代後半(延暦16年から23年までの7年間)にの空海の消息には余りに不明な部分が多くて、それが逆に僕らの空想をふくらませて面白いところだ。のちの「三教指帰」の序文には、「阿国大滝嶽に躋攀し、土州室戸崎に勤念す。谷響きを惜しまず、明星来影す。」という有名な一文があって、これをもって空海が阿波の太龍嶽での修行の後に、四国の東の海辺を巡って、土佐の室戸岬付近の御厨人窟で修法をなしたのだということが分かる。 
僕らは、寺から離れたところにある、まさに空海が修行を行っていたという巌棚まで行ってみた。ここには、平成5年に建立されたという「求聞持法御修行大師像」があり、東から上る明星の方角を向いている。おそらく、空海が修行をしていたのは、もう少し前にある人があぐらをかいて座れるくらいの小さな岩場だろう、と僕らは直感した。
ここから眺める風景も、山と空と海だ。
後で知ったのだが、実は立ち入り禁止だった。

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室戸岬のすぐ近くにある御蔵洞もしくは御厨人窟(みくろど)。

空海晩年の「御遺告」には、「土佐の室生門の崎に寂留す。心に観ずるに、明星口に入り、虚空蔵光明照し来りて、菩薩の威を顕し、仏法の無二を現ず。」とあって、ここでやはり何らかの宗教体験があったのだろう。一体、「のうぼう あきゃしゃ きゃらばや おんありきゃ まりぼり そわか」という虚空蔵求聞持法の真言を百万遍も唱えると、脳あるいは心理的にどのような事態が起きるのだろう?ある文献では、真言を100万回も唱えることにより、精神が澄み切った状態になり、一度見聞きしたことは一度にして覚えてしまうという。ここは、後日再考したい。

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室戸岬付近の丘からの風景。

ここで、ちょっと空想。「空海」という名は、御蔵洞での修法を終えた直後に起きた宗教的体験を通過した際に思い浮かび、突如としてつけられたということになっているが、一体どうだろうか?一方では、山林修行の時代から「空海」という名をつけていたという説もある。僕らが先に訪れた大滝嶽では、谷の向こうに海と空が広がっていた。また、四国の東の海岸を歩いていると、 人家は少なく、山、海、空だけの風景が延々と続く。司馬遼太郎の「空海の風景」によれば、昔は、この辺りは魔境のような土地とされ、まともな人が入り込むようなところではなかったらしい。佐伯真魚は虚空蔵求聞持法を行じながら、険しい海辺の路(辺路)をひたすら歩いていく。徐々に高まる何らかの変化の予感を抱きながら・・・。そして、最後に訪れる室戸では、ついに山と陸地は途絶えてしまい、突如として「空」と「海」だけの、恐らく当時の空海が見慣れていたものとは明らかに異質な風景が現前する。その室戸で、虚空蔵求聞持法の修法と、陸地での旅の終わりが重なったとき、自身を根底から変えるような何らかの強い体験が起きたのだろう。僕が勝手に想像するに、「空海」という名は、阿国大滝嶽から土州室戸へと虚空蔵求聞持法を行事じながら歩いた物理的、心理的な過程の中で徐々に芽生え始め、これら二つの過程のある一点への収斂という体験を象徴する、他にはあり得ない名前だったのだろうと思う。

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おまけ。これは、祖谷のかずら橋。
祖谷村にかずら橋は全部で三つあるけど、こっちは、西祖谷村にかかっている方の吊り橋。
ちなみに、祖谷(いや)村は、「四国のチベット」などと呼ばれているらしいけど、地元ではそんな呼び名は一切聞かない。それでも、秘境然とした風景は今でもちゃんと残っていて、アレックスカーのような外国人バックパッカーが当地の雰囲気や民家に感動して、住人が去った古民家を買い取って「ちいおり」というプロジェクトを進めている。

雪が降りしきる中で吊り橋を渡るのは少し怖かった。

今回の旅と帰省を通して、四国がもっと好きになった。

で、今年は昨年以上に頑張ろう。小さくてもよいから、何らかの変化を期待しながら。

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