バリ島
本日、バリ島から帰国。
クタやレギャンは汚いし、どうってことの無い猥雑なリゾート地だったのだけれど、ウブドはやっぱり特別な場所だった。
僕が熱帯を訪れるのは今回の旅が初めてだ。どこをみても草花や奇妙な果実をつけた木々が辺り構わずに空間を占拠していて、これまでに訪れた地域と比較すると、この島に何か異様な場のエネルギーようなものを感じずにはいられない。
人もそうだ。長年にわたってバリ人が乱立させてきた寺院の意匠と色彩は、乱暴な熱帯の森に負けていない。彼らはバリヒンドゥーという独特の宗教文化をもち、どこかで毎日のように祭りを行っている。蜜のように濃くて重い何かが、島に充満している。
確かに、20世紀以降彼らが観光というものを意識するようになり、今日のバリ島を作り上げてきたのだといわれても、僕らにとってこの島はやっぱり異様だった。
雨期のバリ島では、昼過ぎから夕暮れまで必ず強い雨が降る。したがって、もっぱら昼間にいそいそと観光することになる。雨上がりの夕暮れには、木々が混沌と生い茂るジャングルと、重たい空に陰る夕陽を眺めながら、僕らはひたすら茫として過ごす。気が向けば、本や論文を読んだり、歩いたり、泳いだり、昼寝したり。熱帯特有の密度の濃い空気を感じながら、時間の流れもゆっくりと段々重くなる。
こういう場所でこういう時間の過ごし方を体験してしまうと、強い刻印を残してしまって、もはや後に引けなくなるなあなんて感じながら、気が付いたら辺りは暗くなっていて、蛍が舞っていたりする。

バリ島では、バトゥール山(1700mくらい)への早朝登山に挑戦した。4時くらいから登り始め、3時間くらいで登頂。山頂の火口からは、小規模ながら今でも噴煙が上っている。

この島では、毎日のようにお祭りが行われている。数が多いからといって、彼らは毎回真面目な気持ちで参加しているようだ。これは、島で最も神聖なブザキ寺院のオダラン祭。

ウブド近くの棚田。ウブドから島の北部にかけてこのような棚田の風景が続く。棚田がリゾートだなんて、ちょっと普通じゃあないんじゃないか?
滞在中と行き帰りの飛行機で読んだ本、論文。
これは、持って行って正解。心脳問題ならぬ、身が先に来る「身心問題」。およそ20年前の本だが、今日の諸科学が意識の問題に取り組もうとする際に直面するおよそ全てのテーマが扱われており、しかも著者の洞察がいちいち全て的を得ていることに驚いてしまう。意識の神経相関、物理現象と心的現象の因果的関係、開放系システム、他者認識と自己意識の同時性、社会的認知などなど。難解な哲学用語も出てくるものの、対談形式になっているので、飽きずに最後まで読むことができる。
Varelaは、心的現象と物理的現象(特に脳内のニューロンの発火活動)を異なる二つの現象領域だとした上で、両者には非対称な双方向的な因果作用があると指摘し、そこに立ちはだかる説明的、方法論的断絶に対する救済策として神経現象学というアプローチを提唱した。一方、廣松氏は、身心問題という因果関係について正面から問うような議論はそれ自体不毛なもと位置づけている。このような立場に立った上で、脳、身体および環境における物理的現象という「可能態」から心的現象という「現実態」が対自的に「転化」するプロセスを、脳や身体というオープンシステムにおける一種の「状態関数」として位置づけている。現象学的視点に近いVarelaと異なり、因果的にみればあくまで起因作用をもつのは物理現象であるとされる。ここだけみれば、Edelmanの「伴立entailment」や「phenomenal transform」という概念に近い立場と言えるかもしれない。しかし、上述のように、氏は、心的現象を、身体や脳における可能態から現実態への転化という「対自的現成化」と位置づけており、この意味では心的現象そのものの存在論的な根拠がなはだ怪しいものに弱められている。むしろ、僕たちが、日常頂いている素朴な心理学を土台にして、このような「怪し気な因果関係」を前理論的に跳躍し、自己の身体や他者との相互的な関わりを通して「私という心的現象」と「心的現象をそなえた他者像」なるものをいわば構成的に作り上げ、心的現象という物理世界においては仮想的な現実態を最終的に自己や他者へと体験的に「帰属」させていくプロセスを置き去りにしてしまっていることが、身心問題のという不毛な議論の源泉になっているのだと指摘する。僕らが、このような著者の立場をどうとるかは別として、これから脳あるいは身体と意識との関係について考えようとする人は、是非読んでおくべき本だと思う。時間があれば、もう一回読み直してみたい。
meditationのERP study。meditation(ヴィパッサナー瞑想など)の訓練によって、attentional blink/RSVP課題におけるT2の識別率が上昇するというbehavioralな結果と、これがT1に対するP3の振幅の低下と相関するというelectro-physiologicalな結果から、meditationの実践がattentive resourceの効率的なdistributionに影響を与えるのではないか、という内容。実験の解釈は微妙な気もするが、meditationによって、僕たちの知覚システムに何らかの痕跡を与えるということは言えると思う。
意識あるいは主観的知覚と無意識あるいは非主観的知覚とは、連続する(gradualな)現象なのか、あるいは非連続(all or none的)な現象なのかという問いは、未だ未解決だ。これは、attentional blink/RSVPとmaskingを用いた精細な心理物理実験であり、少なくともattentional blink/RSVPにおけるT2の主観的知覚が、all or none的なふるまいを示すことを報告している。
このレビューも、上のDehaeneらの実験と密接に関わる内容。Baarsのglobal workspace仮説をニューラルモデルに上手く落としこんでいる。前に一度読んでいたが、再び読む必要が生じたので、今回の旅に持参した。
In recent dynamical systems model, various attractor states of cortical neural activities are thought to contribute to specific working memory (mnemonic) states. Such attractor states depend on the synaptic reverberation in the cortical recurrent circuit which is largely mediated by activities of NMDA receptors. In this model, NMDA:AMPA ratio is a critical factor for the optimal working memory performance. This review summarizes recent studies and show new model of attractor dynamics of brain acitivity. An intriguing possibility is that working memory disturbance in schizophrenic patients may results from an abnormally low NMDA:AMPA ratio, which would give rise to dynamical instability of the mnemonic cortical circuit.
neural synchronizationが脳内のbindingを可能とするという従来のbinding-by-synchronization仮説を一歩進めて、二つのneural asssemblyのoscillationの位相差が、両者の間におけるinput、outputの時間枠(communication window)を規定するのだという仮説。binding-by-synchronization仮説がrepresentational codeとして提唱されているのに対して、Pascal Friesは、およそあらゆるcognitionのダイナミクスにこのようなoscillationの位相差を介したcommunicationの原理が働いているのではないかと予測している。
今日の音楽:Clare and reasons/ The movie(CD、2007)
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