2007年12月12日 (水)

change blindness

Pourtois G, De Pretto M, Hauert CA, Vuilleumier P.
Time course of brain activity during change blindness and change awareness: performance is predicted by neural events before change onset.
J Cogn Neurosci. 2006 Dec;18(12):2108-29.

最近は、visual perceptionに関するEEG studyの論文を読みあさっている。

これは、"change blindness"に関連したERP(event-related potentials) study。

change blindnessは、僕たちが日常生活で良く体験するもので、例えば提示された写真の内容にゆっくりと生じた変化に対してはしばしば意識的に知覚できないことがある、というもの。

change blindnessに関しては、これまでf-MRIを使ったイメージング実験が数多く行われている。特に、C.D. FrithのグループのD.M.BeckによるNature論文が有名だろう(まだアブストしか読んでないが)。しかし、EEGやMEGを用いた研究は比較的少なく、change blindnessもしくはchange detectionに関連した神経活動の時間的シークエンスはまだまだ不明な点も多い。

この実験では、視覚刺激(この実験では顔写真)が脳の中でたどっていくchange blindness/change detectionという二つの運命が、神経活動の複数のプロセシングステージにまたがって起きていることが示されている。特に、面白かったのは、視覚刺激に対する知覚プロセスがchange blindness/change detectionと分岐する大分前の段階から、両群に神経活動上の違いが現れているという結果だ。

すなわち、change blindness/change detectionの両群での神経活動パタンの違いは、一つ目の視覚刺激(S1)に対するP1、CNV-like potentialsのenhancement(change blindness>change detection)、二つ目の視覚刺激(S2)に対するN170、P3のamplitudeのmodulationとして現れてくる。言うまでもなく、前者はchange blindness/change detectionが生じる前(200ms以上前)に起きているイベントだ。

また、両者のtopographyの違いも特徴的だ。この実験では、standard spatial cluster analysisという解析方法を使っており(ただし、妥当性については不明で、怪しい点もあり)、change blindnessとcorrect no-change detectionではS1、S2に対して似たような分布パタンが反復するものの、ちゃんとchange detectionが起きた場合には、S1、S2で異なる分布パタンが出現することがおおざっぱに示されている。著者らは、結果的にchange detectionが生じない場合(change blindnessとcorrect no-change detection)ではS1、S2という連続する二つの視覚刺激に対して共通の神経回路が動員され、結果的にchange detectionが生じた場合には異なる神経回路が動員されるのだ、とshort-term memoryの観点からこのデータを解釈している。視覚刺激がその処理過程で異なる知覚的出力に分岐する以前から神経活動パタン上の分岐がみられるという結果は、Tallon-Baudryのダルメシアンの絵を使った実験やinsightの実験とも重なってくる。

51wlfdicokl_aa240_今日の音楽:V.A/Pop Ambient(LP,CD, 2007)今年も、KompactレーベルからPop Ambientがリリースされる季節になった。これまた、良質のアンビエント。いつも信頼しているけど、絶対裏切らない。

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2007年6月15日 (金)

天才たち

この世の中に確実に存在する、いわゆる「天才prodigy」や、「能力」、「才能」関連の論文を、勉強用にざらっとメモ。やはり、何らかの精神神経疾患と無関係でないことが多いらしい。

Pesenti, M, Zago, L, Crivello, F, Mellet, E, Samson, D, Duroux, B, Seron, X, Mazoyer, B, Tzourio-Mazoyer, N, Mental calculation in a prodigy is sustained by right prefrontal and medial temporal areas., Nat Neurosci, 4, 1, 2001

Butterworth, B, What makes a prodigy?, Nat Neurosci, 4, 1, 2001

驚異的な計算能力を示したprodigious calculator症例の、脳機能画像研究。サヴァンとは書かれていないが、そうじゃないかとも思われる。一般人とは異なるストラテジーを利用している点、圧倒的な記憶力を誇ることなどが指摘されている。f-MRI上は、やはり右半球のfrontal cortexの活動亢進が確認されている。この症例のprodigyでは、Short-term memoryからlong-term episodig memoryへのencodingや、retrievalが非常にeffortlessであることから、eidetic memory(直観記憶)の概念にも近い、Long term working memoryという概念が提唱されている。

Turkeltaub, PE, Flowers, DL, Verbalis, A, Miranda, M, Gareau, L, Eden, GF, The neural basis of hyperlexic reading: an FMRI case study., Neuron, 41, 1, 2004

自閉症スペクトラム(ASD)児では、66人中4人の割合で、「hyperlexia(読字過剰)」というサヴァン能力が発現する。逆説的だが、多くは、文章の理解や発話の障害などの言語機能の異常がみられることが多い。神経心理学的には、視覚優位の読字処理の傾向がみられる。f-MRIでは、対照群に対して、left superior temporal corticeおよびright frontal cortexの活動の亢進がみられる。

Baron-Cohen, S, The hyper-systemizing, assortative mating theory of autism., Prog Neuropsychopharmacol Biol Psychiatry, 30, 5, 2006

健常郡からサヴァンを含むASDまでを、systemizingとempathizingという2軸で連続的に捉えようとするBaron-Cohenの仮説。認知スタイルの性差と遺伝的要因について強調。特に、システム化能力(systemizing ability)をlevel1〜level8までに分け、ASDの臨床症状と関連づけている。ちなみに、電車の時刻表に対する強迫的なこだわりや記憶力は海外でもよくみられるらしい。

Kalbfleisch, ML, Functional neural anatomy of talent., Anat Rec B New Anat, 277, 1, 2004

サヴァンについても言及あり。前頭葉機能、シナプス可塑性、connectivityなどの観点から概観。

Miller, BL, Boone, K, Cummings, JL, Read, SL, Mishkin, F, Functional correlates of musical and visual ability in frontotemporal dementia., Br J Psychiatry, 176, (null), 2000

FTDに伴う芸術的才能の開花に関する症例報告。特に、left anterior temporal lobeの萎縮、血流低下と、右半球に関連した能力の亢進、獲得というのが共通の特徴として挙げられている。サヴァンとの関連で興味深い。

なお、今後は時間が空き次第、free willについて調べてみようと思う。

今日の音楽:HALCALI Feat. 谷川俊太郎/芝生(CD「音樂ノススメ」より):新緑の季節に合っている。
平沢進/賢者のプロペラ(CD):最近、かなり頻繁に聴くようになった。名状し難い世界観に引き込まれる。

気になるもの:i Phoneleopard
iPhoneの日本での発売はいつになるだろうか?

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2007年6月10日 (日)

FTDと芸術的才能

僕は、コーラが好きなのだが、最近の気に入りは、Curiosity Colaという英国産の高級コーラ。
一本280円もするので、たまにしか飲めない。
味は複雑で、炭酸は弱め、香りはつんと鼻をつくようなジンジャーが強い印象。
何本飲んでも、飽きがこない。
100年前からレシピが変わっていないという。


少し前から気になっている話題について。

脳の病理的な変化は、様々な神経学的障害や高次脳機能障害をもたらすのは周知の通り。
しかし、興味深いことに、しばしば逆説的に特定の能力の変化をもたらしたり、以前にはみられなかった能力を発現させることがある。

このような能力の変化・発現は、絵画、彫刻、音楽などの芸術的才能や表現行為に関わる領域で出現することが多い。
また、これらの認知機能の亢進は、前頭側頭痴呆や前頭葉周辺の脳卒中、前頭葉損傷など、前頭葉の障害に伴う例がほとんどだ。したがって、失語、社会的認知の障害、遂行機能の障害などの前頭葉症状に併存することが多いことが指摘されている。

前頭葉、特に前頭前野は、他の皮質領域に対して、抑制的に作用することが知られている。下位の認知プロセスを抑制し、適切な方向、シークエンスで進行させることは、遂行機能や社会的認知などの高次の脳機能の成立に不可欠とされる。以前にも紹介したKapurのレビューした「逆説的機能亢進現象paradoxical functional facilitation」と、ジャクソニズムの観点に立てば、抑制性の調節が障害された場合に、高次脳機能障害だけではなく、しばしば下位の認知機能の亢進をもたらす可能性があるということになるだろう。

臨床的には、前頭葉の機能障害として、強迫症状や、常同行為などが観察されるが、これらも前頭葉の抑制的作用が損なわれた結果として解釈することが可能だろう。ある特定の行為の反復が、局所の結合性を高め、結果的にドメインスペシフィックな機能を亢進させるのかもしれない。

ちなみに、精神医学では、病跡学のように、精神疾患と表現行為の相関について考察する精神病理学の一分野が存在するが、FTDや脳損傷例については、余り聴いたことがない。
1996年に、MillerがFTDの発症後に芸術的才能を開花させた5症例を報告してから、FTDを含む脳神経疾患と芸術的才能やスタイルとの関連について述べている論文が散見されるようになった。

以下、関連論文。

Miller BL, Hou CE.Portraits of artists: emergence of visual creativity in dementia. Arch Neurol. 2004 Jun;61(6):842-4.

Mendez MF.Dementia as a window to the neurology of art.Med Hypotheses. 2004;63(1):1-7.

Bogousslavsky J.Artistic creativity, style and brain disorders.Eur Neurol. 2005;54(2):103-11. Epub 2005 Sep 29.

今日の音楽:
Rou Leed/Walk on the wild side
The Korgis/Everybody's gotta learn sometime
どっちも、大好きな曲。

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2007年4月23日 (月)

emulation

今年のGWも、多分どこにも行けないだろうなあ。

現在、social brainとschizophreniaというテーマで、emulationとconsciousnessを絡めて、色々と考えているところ。もうちょっとで見えてきそうなのだが。

Emulation仮説

僕たちは、様々な状況に適応しながら、目的志向的な行為を産出することができる。ある行為を開始しようとするとき、その行為の時間的シークエンスをイメージし、行為によってもたらされる結果を予測することが可能である。さらに、僕たちは他者の行為を観察する際、その意味、文脈、目的を理解し、その行為にともなう結果を推測することができる。このようなプロセスは、普段の生活の中で前理論的に進行し、ほとんど無意識的、自動的に遂行されている。Rizzolattiによるミラーニューロンの発見は、私たちが他者の行為や心的状態を理解する神経基盤の理解に関して、大きな進展をもたらした。ヒトでも、ある個体が特定の行為を行った場合と、他の個体が行う同じ行為を観察した場合とで、共通の神経回路群が動員されていることを示す知見が蓄積している。実際に、他者の行為を観察する際に、運動野における体性局在的に相同的な領域が活動する。また、ミラーニューロンシステムと運動野は、体性局在的に(somatotopicaly)類似したマッピング構造を示すことも確認されている。つまり、他者の行為は、自身の身体性制御システムの上で再現されているようである。このようなプロセスは、行為の観察にとどまらない。僕たちが他者の心的状態を理解する際にも、自身の感情状態に関与する神経回路群が動員されている。つまり、他者の心的状態は僕たち自身の神経システム上でシミュレートされているのである(Galleze)。このシミュレーションのプロセスは、僕らの生活の中でほぼ無意識的、自動的に進行しているものと思われるが、意識的にアクセスすることも可能である。他者の心的状態のプロセスが、自身の心的状態を成立させる神経システム上で進行し、その際モデル化や近似・単純化を経ないという意味で、僕らはシミュレーションとは区別して、エミューションという用語の方がふさわしいと考えている。エミュレーション仮説は、ミラーニューロンを主とする最近の認知神経科学のエビデンスから自然に導かれる結果である。僕たちは、意識をもつ主体であるだけでなく、他の意識ある主体の内部状態をまさに「身をもって」体験することが可能なのである(embodied simulation)。エミュレーション能力のみでヒトの高度な社会認知能力の全てを説明できるわけではないものの、サルでも一定のエビデンスが得られていることから、エミュレーション能力は進化の過程で成立し、ヒトにおいて最も高度なものとなった認知能力なのであろう。僕らをとりまく高度に複雑な社会的環境は、エミュレーション能力の進化における選択圧として作用し、個体間のインタラクティブなエミュレーションの連鎖(resonant emulation)を通して、概念や行為が形成され、集団で共有されているものと思われる。

今日の音楽:Hammock"Kennotic"(CD)
聴いていると段々と高揚する、アンビエントーチルアウト。最近の大当たりの一つ。

今日の映画:パトリス・ルコント監督「ドゴラ」
無名のオーケストラ楽曲に乗って、カンボジアの田園や都市の風景が映し出されるという、台詞の無い映画。

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2007年4月 4日 (水)

social cognition

4月になった。僕が住んでいる官舎の目の前には大きな桜の木が数本植えられているので、部屋にいながら花見が出来てうれしい。
でも今日の雨で、大方散ってしまうだろう。

最近は、Buzsakiの本に並行して、social cognition関連の論文をちょこっとインテンシブに読みあさっているところ。
とりあえず、Ralph AdolphsFrith CD、Decety、Brunet-GouetBurnsArbibなどの総説を読んだ。
実験結果も一定しなかったり、解釈も様々だったりと、頭の中を整理するのが大変で、論文を読むたびに混乱していく気がする。うーん、ぱっとしない・・。中でもAdolphsのレビューは参考になった。
これからは、RizzolattiらのMirror neuron systemについて色々と調べる予定。

social cognition、あるいはsocial brainに関するレビューや研究論文を読んでいると、いくつかの前提と問題が浮かび上がってくる。整理のために、メモ。

定義、前提、仮説
1.social cognitionは、「他者の心的状態と行動出力を推測、理解することに関連した認知能力」と、ゆるやかに定義される。

2.social cogitionには、基盤となる脳の神経活動パタンが存在する。social brainとは、social cognitionに関与する脳領域であると定義される。

3.social cognitionは、自然選択の産物であり、霊長類、特にヒトに強く開花した認知能力である。

4.autistic spectrum disorderなど、social cognitionに明らかな障害を来す精神神経疾患が存在する。また、神経心理学におけるlesion studyでは、それぞれの損傷領域に対応したsocial cognitionの障害がみられる。schizophreniaでも、social cognition領域の障害がみられるが、それだけで全ての症候を説明することはできない。

問題
1.モダリティの問題:social cognitionは、単一のモダリティを構成するのか?そもそも、 social cognitionには、顔認知、emotional processing、perspective taking、familiality、empathy、learningなど、様々な認知処理過程が含まれており、もっと広くとれば、morality、言語能力、biological motionの認知やaction understandingなども含まれてくる。これらの全てが同一の次元の認知ドメインに属しているかというと、それははなはだ疑わしい。また、例えばTOMに代表されるように、social cognitionに関連した実験で用いられる課題も多岐に渡り、また賦活される領域も様々である。

2.stimuli自体のカテゴリー化に関する問題:1が脳内の処理過程に関する内的問題なら、こっちは外的問題に属する。環境から脳に与えられる無数の入力の中で、どのような条件を満たしたものがsocial stimuliと言えるのか?そもそも、脳に対する様々な入力の中から、social stimuliを取り出すことは妥当なのか?

3.underlying neural activityに関する問題:これも、1、2と重なるだろう。脳内に、social cognitionのprocessingに特化した領域は存在するのか?それとも、そのような固定した領域は存在せず、皮質および皮質下の脳構造がそれぞれ担うprocessingのcoordinationによって成立するものなのか。最近では、顔認知などをとってみても、コア領域のfusiform gyrusだけでなく、distributed processingという側面も強調されているようである。また、MEGやEEGなどで、social cognitionのprocessingのtemporal patternについても調べられているが、まだ初歩についたばかりである。

4.実験結果の解釈の問題:social cognitionに関連した実験では、主にf-MRIやPETなどの脳機能画像が用いられる。emotional processingにおけるamygdala、TOMにおけるmedial prefrontal cortex、顔認知におけるfusiform gyrus、motivational processingにおけるorbitofrontal cortexなど、self-representationにおけるright parietal regionなど、複数のコア領域が存在するというエビデンスは徐々に蓄積している。しかし、複数の実験が同様の課題を用いながらも、しばしば異なる脳領域が賦活されたり、矛盾する結果が得られている。また、lesion studyとactivation studyの結果に厳密な整合性がみられない点をどのように解釈するか?

5.methodの問題:1,2、4とも関連する問題。現在のところ、social cognitionを評価していると思われる様々な課題で賦活された領域郡をsocial brainであると仮定しているが、そもそもsocial cognitionのみを評価する課題を作ることは可能だろうか?

6.social cognitionは、その定義、性質上、self-otherのsegregationを前提とする。したがって、必然的に「自己self」に関連する問題もつきまとう。これまた、仮説的前提や、実験結果の解釈上の議論が絶えない問題の一つ。この問題に関しては、Mirror neuron systemが重要なトピックの一つだが、間接的なエビデンスが多く、今後の研究の進展が必要か。


現時点では、social cognitionに特化した脳領域を取り出すという戦略はmisleadingである可能性が高いと思う。確かに、高度な社会生活を送るヒトの適応戦略上、social stimuliはヒトにとって最重要かつ見落としてはならないものと考えられ、これらsocial stimuliのprocessingに強く関与するネットワークが存在する可能性は高いだろう。しかし、おそらくsocial cognitionは、系統発生の過程で良く保存された複数の脳領域の共調的な活動の上に成立するオーダーの高いmulti-modalな認知能力とみなした方がよいだろう。そういう意味では、f-MRIによるfunctional connectivityや、EEGやMEGによるsynchronization,coherenceなどを評価した実験があってもよいのだが、まだまだ少ないようだ。そもそも、social stimuliであれ、non-social stimuliであれ、環境から脳にはこれらが混在した形で入力され、形式的に両者を分つものは自明ではない。与えられたstimuliがsocialかnon-socialかどうかを規定するのは、学習や経験によって蓄積された知覚パタンのカテゴリーやこれらによって重み付けされたsaliencyだろう。た、実験結果が一定しない機能画像研究の実験結果は、むしろsocialとnon-social stimuliのprocessingが同一のネットワークを使用している可能性の方を示唆していると思われる。

今日の音楽:Yo La Tengo"I can hear the heart beat as one"(CD)
最近の映画:「フリークス」(DVD)

昨年のこの時期には、お台場で毎年やってる渚音楽祭に参加したのだけど、今年は病棟が忙しいし、連れもいないので、まあ無理だろうなあ。

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2006年12月30日 (土)

今年ももう終わり。
元旦の朝まで病棟の当番。元旦午後に徳島に帰省する予定。

最近読んだ論文。

Smith ML, Gosselin F, Schyns PG.
Perceptual moments of conscious visual experience inferred from oscillatory brain activity.
Proc Natl Acad Sci U S A. 2006 Apr 4;103(14):5626-31

ダリの絵に「ヴォルテールの見えない胸像がある奴隷市場」という作品がある。この絵は、ヴォルテールの顔か二人の修道女が浮かび上がる仕組みになっており、いわゆる曖昧図形である。
この実験では刺激の提示方法に巧妙な仕掛けを使っているが、大雑把に言うと、ダリのこのあいまい画を使って脳のcentroparietal regionのoscillationのfrequecy range(θ、α、β)と意識的な知覚パタンとの相関を調べた実験。結果的には、θ帯域のoscillationがヴォルテール、β帯域のoscillationが修道女に相関していたという本当か?というような結果。また、この相関部分はlate-processing stageである大体200m周辺で出現する。

異なる領域の異なる周波数帯域のoscillationsのcoodinationあるいはsynchronizationが、意識の成立過程の後期に関わっていることはあり得る話で、その意味ではsychronized oscillationsはNCCの一候補である(反論もある)。しかし、sychronized oscillationsは必ずしも意識的な知覚・運動だけにみられる活動パタンではなく、無意識的、不随意的な知覚・運動とも関わっている。このような経緯で、oscillationsとそのcoodinationが、何らかのcontentsを含んでいるのか、あるいは異なるmodalityの統合のための原理であって特定の感覚・運動パタンのcontents自体は含んでいないのか、結論は出ていない。この実験は、oscillationだけを調べており、そのcoodinationまでは調べていない。結果としては、前者の可能性を支持するもので、特定のoscillationの時空間的パタンが意識的な知覚パタンのcontentsと相関している可能性を示したものである。しかし、かなり大雑把な結果なので、今のところは弱い相関があるとしか言いようが無い。

僕らとしては、oscillationsやearly-stageでのlocalなsynchronzationは要素的な情報表現のパタンとして成立している可能性が高いが、よりlate-stageでのlong-rangeのsynchronizationは知覚パタンの要素的な内容ではなくて、より上位の関係論的な形式に関わっているのではないか、と思う。

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2005年12月 8日 (木)

Tilo T.J.Kircher, Dirk T.Leube.Self-consciousness,self-agency,and schizophrenia.Consciousness and Cognition12(2003),656-669

今日読んだ論文のメモ。内容的には、"The self in Neuroscience and psychiatry"(2003,Cambridge)に掲載されたものとほとんど同じ内容である。

Tilo T.J.Kircher, Dirk T.Leube.Self-consciousness,self-agency,and schizophrenia.Consciousness and Cognition12(2003),656-669

Kircher(キルヒャーと読むのだろうか?)はSchizophreniaの「自我障害のneural correlates」というようなタイトルでよく投稿しているチュービンゲン大学の精神科医である。
一人称的な主観的体験としてのself、あるいはself-awarenessを経験科学で扱うためには、まずは概念的な枠組みを必要とする。Kircherは現象学や分析哲学、精神病理学におけるselfの概念について概説した後、self-awarenessが概ね以下の要素から成るのだと述べる。

1.self-agency:the sense of the authorship of one's own action
2.self-coherence:the sense of being a physical whole with boundaries
3.self-affectivity: experiencing affect correlated with other experiences of self
4.self-history(autobiographical memory): the sense of enduring over time

次に、selfを経験科学で扱うために、self-awarenessを有するものは少なくとも以下の条件を満たす必要があるというflameworkを設定する。

1.autobiographical memory
2.recognition of the own face
3.perspective taking(theory of mindに関連した概念)
4.self-agency

このような主観的体験の極たるself-awarenessを経験科学の枠組みでtestすることの一例として、上記のself-agencyを取り上げる。現在Frith,BlakemoreらによってSchizophreniaとの関連が盛んに提唱されているinternal model theory of motor control(あらゆるactionの遂行過程でself-monitoring systemが働いており、あるactionの開始とparallelにefference copyによってactionのgoalが内的に表象され、これが実際の運動の結果と一致したときにのみそのactionが私のものであることが認知されるというモデル)について触れる。また、FranceのJeannerodらは小脳はefference copyではなくtimingに関与しており、表象された行為の結果と実際の結果がworking memoryにおいてダイレクトに照合されるのだとしている。Kircherはf-MRIを用いたいくつかの興味深い実験結果を挙げつつ、このようなself-monitoring systemの破綻がSchizophreniaの主観的体験の異常の(少なくとも)いくつか(被影響体験などの自我障害、思考障害、離人症、幻聴)の経験科学的な説明を可能としていると述べる。

ただし、Kircherはself-agencyの障害はあくまで複雑なself-systemにおける一つのsub-systemの障害で、Schizophreniaの自我障害の一部分を説明可能にするだけであり、Schizophreniaの症状は多数のsub-systemの協調や統合が障害されることによって引き起こされるものだと、控えめに語る。

感想:Frithらのモデルはよく聴くけど、しっかりと調べたことがないので一度勉強してみようと思う。レファレンスをみた限りではヒトでPETやf-MRIを用いた実験が多そうだけど、動物にtaskを課して直接神経活動を記録したり、神経回路を特定した実験はあるのだろうか?あれば、その神経回路の活動の時間的なパターンはどのようになっているのだろうか?

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2005年11月 2日 (水)

Prefrontal cortex

Prefrontal cortex(PFC)がいかにしてinput stimuliから目的とするoutput actionを産出することに関与しているのか?しかも空間的に分散して配置された領域がそれぞれ独自に担っている認知機能をどのように統合して、一つの目的志向型の行為を生み出すことができるのか?Top down型の認知機能の統制はどのように行われているのか?

暇なのでPrefrontal cortex(PFC)について勉強。

MillerとCohenらの主張は、まずcueとなる環境刺激がPFCにおける内的な表象(単純なstimuliやactionというよりは、より内在的なrule)を活性化させ、PFCが脳内の各領域にbiasとなるsignalを送り続けることにより特定の回路の活動が維持され(不適切な回路は抑制され)、結果として適切な目的が遂行される、とするものである。比喩的に言えば、脳内に複雑に混線して活動する無数の回路に適切なコントラストをつけるのがPFCの機能だという。

Miller EK, Cohen JD.n integrative theory of prefrontal cortex function.nnu Rev Neurosci. 2001;24:167-202.

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2005年10月21日 (金)

Meditation and Neural Synchironization.

瞑想Meditationと身体(脳)に関する論文をピックアップ。
たまたま目にしたScience and Consciousness誌にてStuart Hameroffが寄稿したReviewを目にしたのがきっかけ。Stuart Hameroffは瞑想体験について、外界の刺激から遊離しその内容が無であるにも関わらず、高度に意識されていることから、瞑想体験はpure qualeと言えるのではないか、と考察する。

このReviewでも言及されているように、僕らはFrancisco Varelaを思い出す。彼は晩年の脳科学と哲学的な探求の中でAutopoiesisという言葉を用いなかった。Embodimentされた心を探求する学としての認知科学、哲学的な言語との架橋を目指すNeurophenomenologyという戦略を掲げて、これから、というときに肝細胞癌でこの世を去った。晩年の、そして意識に関する唯一の著書「身体化された心」を読むと、Varelaがかなり早い時期から現象学を通り超して仏教思想に接近していたことが分かる。実際に彼はフランスのCNRS (National Institute for Scientific Research) at the laboratory of Cognitive Neurosciences and Brain Imaging (LENA)の Director of Researchの座に就く前に、チベットの仏教僧のもとで何ヶ月かを過ごしていたようである。Neurophenomenologyとは神経科学と哲学という二つの異なる言語を用いた学が相互に制限する関係をもつことで心や意識に関する研究を進めることができるというある種の宣言であったが、これは脳科学と哲学、仏教思想という異なる学を矛盾なく探求し続けたVarelaのスタンスそのものであったのだろう。そして、その二つの世界において彼は最後まで異邦人であったように思う。

MedlineでMeditationと入力し検索にかけると、怪しげな論文が沢山釣れるのだけど、中にはちゃんとした論文もある。

Antoine Lutz, Lawrence L. Greischar, Nancy B. Rawlings, Matthieu Ricard, and Richard J. Davidson.Long-term meditators self-induce high-amplitude gamma synchrony during mental practice.Proc Natl Acad Sci U S A. 2004 November 16; 101(46): 16369–16373.
まだ目を通していないけど、チベットの修行僧の瞑想(Mental Practiceとある)中の脳の活動を、EEGを通して解析した研究。Abstractを読む限りでは、瞑想中の修行僧はGamma synchronyのamplitudeが増幅し、baseline amplitudeもcontrolに比較して増大しているという内容。晩年に仏教思想に接近したFrancisco Varelaの意志を継ぐ論文なのかもしれない。

Newberg A, Pourdehnad M, Alavi A, d'Aquili EG.Cerebral blood flow during meditative prayer: preliminary findings and methodological issues.Percept Mot Skills. 2003 Oct;97(2):625-30.

Aftanas LI, Golocheikine SA. Non-linear dynamic complexity of the human EEG during meditation. Neurosci Lett. 2002 Sep 20;330(2):143-6.

Cysarz D, Bussing A.Cardiorespiratory synchronization during Zen meditation.ur J Appl Physiol. 2005 Jun 7

今日の音楽:Boards of Canada"Campfire Headphase"(CD)
毎日聴く。

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2005年9月 1日 (木)

脳の情報表現(朝倉書店)

Edelamanの論文を読んでいたら、エントロピーの話とか、謎の数式が出てきた。大学1年時以来、ずっと数学を避けてきた自分には意味不明の言語であった。F.Varelaの論文にも数式があったが、あのときは数式にまつわる葛藤を抑圧して、見なかったことにしたはずだ。で、脳の活動の数理モデルを知りたくて適当にこの本を手にとってみた。天気予報の比喩は分かりやすかったけど、数式になるとどうも駄目みたい。Synfire chainというのは初めて知った。面白い。
自分の数学の水準は高校卒業レベルだろう。簡単でなくてもいいが、最適な入門書はないものか?

今日の音楽:DJ disse/Egyptiaan Disco(12")
出た作品は全て買っているMusic for Dreamasの12inch。exoticな生音チルが好きだったので、これもその流れで。

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