Stars of the lid/And Their Refinement of the Decline(CD)
これはまた凄いなあ。
何だか、やられた。前後不覚に陥った。
すばらしかった前作"The tired sound of stars of the lid"を、超えていると言ってもいいだろう。
音の輪郭はさらに曖昧になり、トラック間のつなぎ目はもはや僕らには判別しづらく、そこではひたすらゆらぎ続ける音にただ感情と漠然とした記憶だけがうっすらとのっかっているようなもので、聴いていると覚醒度が少しずつ落ちてしまう。少なくとも、仕事に行く前とか昼間に聴くような音楽ではないだろうなあ。
こうなると、もはや表現し難い音だけれども、いわゆる音楽と環境音の境界にあるような音のように感じた。
深夜一人でこれを聴いているのだけれど、何とも言えないほんわかとした音が部屋全体に染み渡る。
stars of the lidの場合、トラックの長さもまた、美徳。前作と同じ2枚組というボリュームもうれしい。
しかも、全編を通して聴いていても全く耳が疲れない。
好きな本を読んでいると、とてもはかどる。
この作品が、アブストラクト不毛の地アメリカで生まれたというのも驚きだ。
去年の収穫はmanualとstars of the lidだったけれど、どちらも僕らの期待を裏切らない。
最近、mirror neuronとかsocial cognition、self/other segregation関連の論文を色々と読みあさっていたのだけれど、biological motionの認知とか、action understanding、intention understanding、representation of other's mental stateといったsocial cognitionの中でもコアな認知プロセスは、結局のところ自身のmotor actionやimaginary representationの成立に関わるネットワークと大部分重複していることが分かった。つまり、脳は他者の認知のために特別な領域を別個に発達させているわけではなく、自身の内部状態や入出力に関わるネットワークを、そのまま利用している可能性が高い。また、ヒトのmirror-neuron systemは、手だけではなく、口、足など様々なモダリティ(domein-general)の効果器によってなされる行為で賦活され、しかもmirror-neuron systemのマッピングパタンは、運動野における古典的なホムンクルスと一致しているのである(Buccino,2001)。
つまり、mirror neuronは、それ自体はmirroringに特化したネットワークではなく、脳内の特定の領域(それ自体は様々な機能をもつ)がもつdomein-generalな特性(mirror property)であって、また他者による行為(目的志向性であれ、非目的志向性であれ)を観察したときには、このmirror propertyを基盤に、自身で同じ行為を産出する際と同じネットワークが動員されているという可能性があるのだ。
僕たちは、他者の行為だけでなく、他者のemotional stateといった心的状態を前理論的に直接理解することができるわけだが、このような共感empathyといった認知能力にもネットワークのもつmirro propertyが関与している可能性がある(Gallese, 2003)。
このような事実から導きだされる仮説として、最近他者認知に関する「シミュレーション仮説simulation hypothesis」というものがある。これは、僕たちは、他者から受け取る様々な(biologicalなsalienceが付加された)入力から、他者の心的状態を自前のシステムでsimulateする能力があるという仮説だ。このような脳のもつ傾向は、かなりの部分automaticに進行しているプロセスで、システムのある部分(皮質のmidline structure周辺)がもつmirror-propertyによって実現しているのだろう。Rizzolattiや、Gallese、Decetyらも、最近はよく「motor simulation」という言葉を使っているようだ。哲学者のMetzingerも、Galleseとの共著論文で、似たようなことを述べているらしい。
VarelaやThompsonが言っていた、「身体化embodiment」という考え方も、現実味を帯びてくる。つまり、自身の身体性入出力に強置く関わっているネットワーク上でsimulateされるという意味で、他者認知はembodiedされている。僕らは、他者の心的状態をまさに「身をもって」体験しているということだ。
ちなみに、僕らは、このような能力は「simulation」ではなく、自前のシステムで他者の心的状態に関する表象を再現するのだから、むしろ「emulation」と言った方が適切だと思っている。その筋で、現在色々と考えているところ。Consciousnessとも、つなげられるかもしれない。
また、simulation hypothesisからは、「じゃあ脳は自己と他者をどうやって区別しているんだ?」という疑問が当然浮かんでくるが、残念ながらこれはまだ分かっていないことが多い。機能画像研究や神経心理学的には、self-awarenessやself-recognitonには、right front-parietal networkとか、TPJ(Temporal parieto junction)あたりが重要であることが知られている。例えば、TPJがおかしくなると「out of body experience(幽体離脱)」みたいなことが起きることが知られている(最近、そういう症例に出会った)。おそらくは、self-awarenessは、神経活動がネットワーク上を時系列的に伝播していく過程で、TPJやright front-parietal network、insulaあたりを巻き込んでいくうちに次第に浮かび上がってくるプロパティみたいなものだろう。
autismとの関連は、既に色んな実験やレビューがあるけど、個人的に気になっているschizophreniaとの関連は、まだまだ明らかではない。
僕らが、他者と対話するということは、実際には僕らの脳の中にエミュレートされるヴァーチャルな他者像と対話していることなのかもしれない。
ここまで好き勝手に書いたので、もっとspeculativeに言ってみると、複数の個体が同様のsimulativeな傾向(mirror property)をもっているとして、個体同士の相互作用の連鎖が積み重なることによって、個々の脳のネットワークに共通の変化を引き起こして、これがshared representationやconceptなどの成立に関わっているという可能性もあるかもしれない。Rizzolattiらは、言語能力の発達にもmirror neuron systemが関与していると主張しているが、確かに魅力的な仮説ではあると思う。
で、前置きが長くなったが、この論文は、このsimulation of other's mental stateとconsciousness(いわばself simulation)とをつなぐような内容の論文。実際は、そんなに大したことは書いてないけど、既にこういうことを述べている人がいるのにちょっと驚いた。
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